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正史三国志・馬超・劉禅伝の全文(意)訳と解説をするで

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1 :名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)21:25:33 ID:4iy
108:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:03:21 ID:4iy
◆六年冬十月。大司馬蔣琬、自漢中還、住涪。十一月大赦。以尚書令費禕、爲大將軍。七年閏月。魏大將軍曹爽、夏侯玄等、向漢中。鎭北大將軍王平、拒興勢圍。大將軍費禕、督諸軍、往赴救、魏軍退。夏四月、安平王理卒。秋九月、禕還成都。八年秋八月、皇太后薨。十二月、大將軍費禕至漢中、行圍守。九年夏六月、費禕還成都。秋、大赦。冬十一月大司馬蔣琬卒(※)。十年、涼州胡王白虎文、治無戴等、率衆降。衞將軍姜維、迎逆安撫、居之于繁縣。是歲、汶山平康夷、反。維往討、破平之。※『魏略』によると劉禅が自ら政治を行ったことになっているが、本伝には書かれていない
109:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:03:28 ID:4iy
◆十一年夏五月。大將軍費禕、出屯漢中。秋、涪陵屬國民夷、反。車騎將軍鄧芝、往討、皆破平之。十二年春正月。魏、誅大將軍曹爽等。右將軍夏侯霸、來降。夏四月大赦。秋、衞將軍姜維、出攻雍州、不克而還。將軍句安、李韶、降魏。十三年。姜維、復出西平、不克而還。十四年夏、大將軍費禕還成都。冬、復北、駐漢壽。大赦。十五年、吳王孫權薨。立子琮、爲西河王。
110:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:03:33 ID:Fp1
>>104曹操の教育が異常やない?子を戦場に引きすり回して教育とか普通やるのかな?
111:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:03:38 ID:4iy
◆十六年春正月。大將軍費禕、爲魏降人郭循所殺于漢壽。夏四月。衞將軍姜維、復率衆圍南安、不克而還。十七年春正月、姜維還成都。大赦。夏六月、維復率衆出隴西。冬。拔狄道、河閒、臨洮三縣民。居于綿竹、繁縣。十八年春、姜維還成都。夏。復率諸軍出狄道、與魏雍州刺史王經、戰于洮西、大破之。經、退、保狄道城。維、卻住鍾題。十九年春。進姜維位爲大將軍、督戎馬。與鎭西將軍胡濟、期會上邽。濟、失誓、不至。秋八月。維、爲魏大將軍鄧艾所破于上邽。維退軍還成都。是歲、立子瓚爲新平王。大赦。二十年。聞魏大將軍諸葛誕據壽春以叛、姜維復率衆出駱谷、至芒水。是歲大赦。
112:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:03:48 ID:4iy
◆景耀元年、姜維還成都。史官言、景星見。於是大赦、改年。宦人黃皓、始專政。吳大將軍孫綝、廢其主亮、立琅邪王休。二年夏六月。立子諶爲北地王、恂爲新興王、虔爲上黨王。三年秋九月、追諡故將軍關羽、張飛、馬超、龐統、黃忠。四年春三月、追諡故將軍趙雲。冬十月、大赦。五年春正月、西河王琮卒。是歲、姜維復率衆出侯和、爲鄧艾所破、還住沓中。
113:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:03:53 ID:AbB
>>107蒋琬武官やなく文官系や思うてたわ
114:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:04:00 ID:Fp1
劉禅伝(後主伝)はほぼ年表やからね
115:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:04:24 ID:0e6
>>110信長「子育てはスパルタ」
116:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:04:35 ID:Fp1
>>113蒋琬は孔明死後すぐに北伐立案した辣腕の政治家やぞ
117:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:04:46 ID:AbB
>>110曹操自体皇帝なる気なかったし、簒奪も考えてなかったせいじゃない?
118:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:04:50 ID:8CM
>>113ワイもや
119:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:04:55 ID:Fp1
>>115なお曹丕の戦争力
120:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:05:20 ID:4iy
>>113未遂に終わってるけど諸葛とは別ルートで北伐計画もしてるで>>114ほんこれ真面目にやったら多分つまらないって不評くる
121:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:05:26 ID:AbB
>>116いや、大将軍て書いてるから武官なんかと
122:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:05:43 ID:4iy
◆六年夏。魏、大興徒衆、命征西將軍鄧艾、鎭西將軍鍾會、雍州刺史諸葛緒、數道並攻。於是、遣左右車騎將軍張翼、廖化、輔國大將軍董厥等、拒之。大赦。景耀六(263)年夏。魏は大いに軍勢を起こし、征西将軍鄧艾、鎮西将軍鍾会、雍州刺史諸葛緒に、数ヶ所の道から並進して攻撃するよう命じた。そこで、左右の車騎将軍張翼、廖化、輔国大将軍董厥らに、それを拒ませた(※)。大赦した。※当初、劉禅は鬼神や巫の言葉を信じた黄晧の言葉を取り上げ、援軍を出さなかった。この増援は鍾会が駱谷に向かい、鄧艾が沓中に入るに及んで出されたもの。相当後手に回った挙句、諸葛緒の動きに合わせて待機したため、敵を拒んだ時には剣閣まで侵略されている(姜維伝)
123:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:06:06 ID:0e6
>>120じょうようルートやっけそっちのがいけそう
124:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:06:10 ID:Fp1
>>121将軍職なんてほぼほぼ名士やぞ名士=政治家=将軍=知識人の図式や
125:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:06:28 ID:Fp1
>>123黄権がさんざん止めたやんけ
126:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:06:40 ID:AbB
>>124ふむう
127:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:07:10 ID:d1u
廖化ははたして鉄人なのか2代目なのか…
128:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:07:17 ID:4iy
長すぎるみたいなんで二階に分けます◆改元爲炎興。冬、鄧艾破衞將軍諸葛瞻於綿竹。用光祿大夫譙周策、降於艾。改元して炎興とした。冬、鄧艾は衛将軍諸葛瞻を綿竹で破った。光禄大夫譙周の策(※)を用い、鄧艾に降伏した。
129:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:07:30 ID:Fp1
>>126そもそ古代中国って文武分離してないからなぁ全部スーパー知識人の名士が請け負ってる
130:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:07:45 ID:4iy
◆※鄧艾が陰平に到ると、劉禅は群臣を集めて議論させた。ある者は呉に逃れるべきだと言い、ある者は南中の七郡に逃れるべきだと言った。譙周だけは「呉に降れば、後に魏に併合された時に二度目の屈辱を受ける。南方に逃げるなら早めにしておくべきだった。今、逃れようとしても、小人の手にかかるかもしれず、危うい」と主張し、魏が降伏を受け入れないかもしれないという批判をする者がいると、「呉がいるので、状況からして受け入れないわけにはいかない。受け入れぬようであれば、私自ら説得に行く」と言った。劉禅はなおも南方に逃れることを考えていたが、「税を取り立てて怨みを買っていること、魏の追撃は結局逃れられないこと、軍事費や皇帝の使用する物の経費を賄おうとすれば、異民族が不満を抱くこと、降伏は天命であって仕方のないこと」を理由に反対した。ちなみに陳寿は「劉氏が安全を確保し、民が安泰であったのは、譙周の謀のおかげである」と評価しているが、孫綽、孫盛は皇帝を降伏させたこと、及び甘んじて降伏した劉禅を批判している(譙周伝)
131:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:07:55 ID:AbB
>>127もしも記録どおり1人の人物が生きてるなら90代くらいになるんやっけ
132:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:08:19 ID:Fp1
>>131それって黄巾からの計算?それは演義設定やで
133:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:08:35 ID:4iy
>>121諸葛以下蒋・費はどちらも文武のトップ兼任やね>>123それロマンある
134:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:08:40 ID:0e6
>>131龍造寺家兼「そんなやつおらんやろ」
135:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:08:46 ID:AbB
>>129張飛も演技ではアル中ヒゲ肉だるまやけど実は賢かったと聞くしなぁ
136:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:08:49 ID:4iy
◆降伏を求める書があるが省略「大いなる魏に降伏し、印綬を差し出すので、いかようにもお裁きください」といった内容
137:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:09:31 ID:0e6
>>135しかも娘が劉備の嫁やっけイケメンやろなあ
138:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:09:34 ID:Fp1
>>135張飛はバチバチの庶民ですぜ劉巴に見下されまくってる
139:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:09:49 ID:AbB
>>133武官肌はやっぱ姜維なんかな
140:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:10:41 ID:AbB
>>132正史やとまた違うんか>>134真田信之「せやせや」
141:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:10:44 ID:4iy
>>127廖化は演義の黄巾の残党に参加した少年って設定がなぜか黄巾の乱に参加したって間違えられてそれから計算しておかしなことになってるこれウィキペディアですら間違ってるんだよね正史での年齢は宋預伝から70余歳くらい
142:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:10:53 ID:4iy
◆是日、北地王諶、傷國之亡、先殺妻子、次以自殺。紹良、與艾相遇於雒縣。艾、得書、大喜、卽報書、遣紹良先還。この日、北地王劉諶は、国が滅亡するのを傷んで、まず妻子を殺し、次いで自殺した。張紹、鄧良は、鄧艾と雒県で会った。鄧艾は、書を受け取ると、大いに喜び、すぐに返書を作り、張紹、鄧良を先に帰らせた。
143:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:10:54 ID:Fp1
>>139そら(世紀末涼州の出身やし)そうよ
144:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:11:49 ID:AbB
>>138張飛が肉屋だったのは演義やっけ?
145:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:12:19 ID:Fp1
>>140廖化の初登場は荊州失陥の時やで関羽と一緒に捕らえられたのを脱出してきたのがデビューや
146:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:12:24 ID:d1u
>>141それでも当時70代ってすげぇわ軍内では長老扱いやったやろなぁ
147:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:12:44 ID:Fp1
>>144せやね
148:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:12:49 ID:4iy
>>137それは禅のほうだね>>139姜維が孔明の後継ってのは演義の設定やけど正史でも武官メインやね蒋費みたいに漢中で事を治めてたみたいな表記はなかったはず
149:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:12:59 ID:4iy
◆艾至城北、後主輿櫬自縛、詣軍壘門。艾、解縛焚櫬、延請相見。因承制、拜後主爲驃騎將軍。諸圍守悉被後主敕、然後降下。艾使後主止其故宮、身往造焉。鄧艾が城北に到ると、後主は輿櫬自縛(※)し、軍の塁門に赴いた。鄧艾は縛を解き柩を焼き、招き入れて会見した。承制(専断権)により、後主を驃騎将軍とした。諸所の陣営は全て後主の勅命を受けた後に降伏した。鄧艾は後主をもとの宮殿に留め、自身もそこに移動した。※降伏の儀礼で、柩を担ぎ、自らを縛って出向くこと。孫晧も降伏の際に行っているしかし、『晋諸公賛』によれば騾馬の引く馬車に乗っており、亡国の礼儀を具えていなかったとある
150:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:13:18 ID:0e6
>>144劉邦のハンカイエピソードパクったんやろなあまあ劉邦は初期メンバーヤバイけど
151:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:13:55 ID:4iy
◆資嚴未發、明年春正月、艾見收。鍾會、自涪至成都、作亂。會既死、蜀中軍衆鈔略、死喪狼籍。數日乃安集。旅装を用意して出発しないうちの、翌年の春正月、鄧艾は捕らえられた。鍾会うは、涪から成都に行き、反乱を起こした。鍾会の死後、蜀中の軍の多くが略奪を働き、死者が出る騒ぎとなった。数日して収拾した。
152:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:14:04 ID:Fp1
>>150近所の人とか幼馴染が全員綺羅星のごとくの名将とか死ねる
153:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:14:25 ID:Fp1
>>151鍾会「劉備程度にはなれる」
154:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:14:47 ID:4iy
レス遅くてすみません…>>146せやなこの爺さんスゲーみたいになってたらうけるわ
155:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:14:56 ID:4iy
◆この後、劉禅は洛陽に移される。辞令があるが省略「降伏の判断を褒め、安楽県公とし、領土を与える(遥任であるが)」といった内容
156:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:15:13 ID:d1u
鍾会とかいうミスター机上の空論、割とすこ
157:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:15:15 ID:0e6
>>151諸葛恪「反乱とかアホやなあ」
158:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:16:07 ID:4iy
◆食邑萬戶、賜絹萬匹、奴婢百人、他物稱是。子孫、爲三都尉封侯者、五十餘人。尚書令樊建、侍中張紹、光祿大夫譙周、祕書令郤正、殿中督張通、並封列侯。公、泰始七年薨於洛陽。食邑は万戸、絹一万匹、奴婢百人を賜り、他の物もこれに比例した。子孫のうち、三(奉車・駙馬・騎)都尉となり侯に封じられたれた者は、五十余人もいた。尚書令樊建、侍中張紹、光禄大夫譙周、秘書令郤正、殿中督張通は、揃って列侯に封じられた。公(劉禅)は、泰始七(271)年に洛陽で亡くなった。
159:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:16:51 ID:4iy
>>157諸葛恪虹現れて犬に咥えられてるぞ
160:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:17:00 ID:JnB
馬超の全盛期ってパッパにつれられて袁紹軍と戦ってた時なんやなって
161:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:17:12 ID:AbB
>>145関羽千里行のはやっぱ演義だけなんやね>>147>>150劉邦はホンマなろうやないけど、沛の皆が育ち過ぎ
162:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:17:17 ID:4iy
◆有名なため『漢晋春秋』の逸話を引用司馬昭が劉禅のために宴を開き、蜀の歌舞を行わせると、他の人は悲しんでいたが、劉禅は笑って泰然自若としていた。このため、司馬昭が賈充に「人はこれほどまでに無情になれるのか。諸葛亮が生きていても輔佐していつまでも安泰にすることは出来なかっただろう。ましてや姜維では」と言うと、賈充は「そうでなければ、殿下は(蜀を)併呑出来なかったでしょう」と答えた。後日、司馬昭が劉禅に「少しは蜀を思い出されるか?」と尋ねたところ、劉禅は「この地は楽しいので、蜀を思い出すことはありません」と答えた。郤正はこれを聞いて劉禅に会い、「もし、(司馬文)王が今後お尋ねになったら、『先祖の墳墓が隴・蜀にありますゆえ、西を向いては悲しくなり、一日として思い出さないことはありません』とお答えになり、目を閉じられますよう」と言ったさらに後日、偶然司馬昭が同じ質問をしたので、教えた通りに答えたところ、司馬昭は「なんとまあ郤正の言葉そっくりなことよ」と言った。劉禅は驚いて目を見張り、「まことにおっしゃるとおりです」と言ったので、側にいたものは皆笑った。
163:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:17:21 ID:Fp1
蜀の爺さん同士が「諸葛瞻さんに挨拶行く?」「いやいや老い先短いしそんなことに時間割けねーよ」「そっか」萌えるわ
164:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:17:21 ID:0e6
>>158普通に大食客レベルやなよく殺されんかったわ
165:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:18:05 ID:AyP
>>162・演技説・空気読めない発達障害説・ただのアホ説どれやろなぁ…
166:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:18:39 ID:Fp1
>>162劉禅の暗愚さを強調したかったんだろうが後世の逆張ガイジのせいで劉禅有能説が唱えられてて草
167:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:19:27 ID:AbB
>>162とりあえず劉禅のお人好しと言うかバカ素直なのは伝わってくる…
168:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:19:33 ID:4iy
>>164昔やから天命受けて皇帝になれるくらい偉大な者族滅させたら呪われるって概念あったらしいいわゆる二王三格でとにかく勢力滅ぼしても末裔は生かしておくとか特に劉禅の場合まだ孫氏が降伏してないのに殺すのは得策でもないしな
169:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:19:47 ID:4iy
◆評曰。後主、任賢相則爲循理之君、惑閹豎則爲昬闇之后。傳曰「素絲、無常、唯所染之」信矣哉。評に曰く。後主は、賢人に任せる時は道理に従う君主であったが、閹豎(宦官)に惑わされる時には昏迷な君主であった。ことわざに「素糸、常なし、ただこれを染むる所なり(白い糸に常態はなく、ただ染められたままになる)」というが、その通りである。
170:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:20:13 ID:8CM
>>156姜い「こいつを利用して復興や!」なお
171:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:20:31 ID:Fp1
>>169これは陳寿さん寝ずに考えた精一杯のフォローやろなぁ知らんけど
172:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:20:43 ID:d1u
これも有名な言葉やな
173:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:20:46 ID:4iy
>>165発達障害説考えたことなかったけどそれ面白そう
174:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:21:04 ID:4iy
◆禮、國君繼體、踰年改元。而章武之三年、則革稱建興。考之古義、體理爲違。又、國不置史、注記無官、是以行事多遺、災異靡書。礼では、国君が継いだ時には、年を越えて改元するものである。しかし、章武の三年に、建興と改めている。古の義を考えると、道理に違えている。また、国に史官を置かず(※)、注記官(?)が無く、そのため行事に遺漏が多く、災害も書に残っていない。※本伝の景耀元年に「史官言、景星見」とあり、矛盾している
175:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:21:40 ID:0e6
孫晧とかいうフォロー一切ない君主
176:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:21:57 ID:AyP
劉禅はガチの無能なのは間違いないけど暗愚差で比較するなら孫権・孫晧・曹叡のほうが遥かにヤバイから必要以上に陥れらてる感もある
177:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:22:01 ID:4iy
>>171陳寿「主君やった人やから・・・せや糸にしとこ」ありそう
178:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:22:20 ID:4iy
◆諸葛亮、雖達於爲政、凡此之類、猶有未周焉。然、經載十二而年名不易、軍旅屢興而赦不妄下、不亦卓乎。自亮沒後、茲制漸虧、優劣著矣。諸葛亮は、為政に熟達していたが、おおよそこれらのことは、なお周到ではなかった。しかし、十二年を経ても年号を変えず、軍勢をしばしば起こしても恩赦を妄りに下さなかったのは、卓越しているとはいえないだろうか。諸葛亮の死後、その制度はだんだんと欠落していき、優劣ははっきりとしている(※)。※裴松之は「恩赦を妄りに下さなかった」は称賛に価するが、「年号を変えず」については、それで称賛された例を前代に見ないとして、疑問を呈している。また、「その制度はだんだんと欠落し」について、延熙は二十年も続いており、当てはまらないと述べている(「その制度はだんだんと欠落し」が恩赦のことのみを指すのであれば、陳寿の言葉は間違いではない)
179:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:22:30 ID:AbB
>>175孫皓やないか?
180:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:22:41 ID:8CM
>>176曹叡はええやろ
181:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:22:54 ID:Fp1
>>176孫権曹叡は暗愚やないやろちょっとお酒と土木が好きだっただけで
182:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:22:58 ID:AyP
>>175豪族の寄り合い所帯だった呉を中央集権的国家に移行しようとして恐怖政治を行ったってフォローどっかで見たゾ
183:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:22:58 ID:d1u
まさか無双に参戦するとはなぁ
184:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:23:23 ID:4iy
>>175一応聡明で知られてやんやけどななお>>176その三人はプラスもあるけど劉禅はマイナスしかないから評価難しいね
185:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:24:05 ID:Fp1
曹叡の軍事はガチ
186:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:24:11 ID:AyP
>>184最初から暗君よりも名君から途中で暗君に変貌するほうが遥かに害悪なんだよなぁ…
187:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:24:19 ID:JnB
曹丕曹エイは早死にしたから悪評もそんなないという風潮
188:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:24:33 ID:0e6
蜀は大事な重臣死にすぎ
189:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:24:55 ID:Fp1
>>188なに? 夷陵がなんだって?
190:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:25:13 ID:AyP
>>188呉も二宮事件でいっぱい死んだからセーフ
191:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:25:30 ID:0e6
>>187于禁いじめて孟達贔屓したやつがなんだって?
192:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:25:39 ID:AbB
>>187曹昂「早死にし過ぎてガンダムポケットの中の戦争ののバーニィみたいな扱いやめてほしいですよ」
193:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:26:34 ID:d1u
曹操「息子死なせたら嫁から離縁されたンゴ」
194:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:26:53 ID:Fp1
>>191孟達贔屓はええやろ降伏者への態度はあれが最適解やないか?食べ物に興味津々な詔勅かわいい
195:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:27:05 ID:4iy
これで馬超・劉禅伝終わりや正史訳すシリーズも一旦完結にするけどまた機会あったらたまにやるわお付き合いしてくれた人サンガツ明日から週一のペースで水滸全伝か三国演義訳したやつやっていくんやけどどっちがええ?どのみ両方やるから先に見たいほう選んでくれやで水滸の方は今11回まで訳しててあと九年かけて全て訳すつもりや三国の方は一回パソコン壊れたけどデータ取り出せたんで120回ぶっ続けでできるぞ
196:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:27:16 ID:AyP
>>193原因が敵の女にうつつ抜かしてたからとか残当ですわ
197:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:28:06 ID:Fp1
今日は駆け脚だったわね
198:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:28:33 ID:d1u
演義やろなぁ
199:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:28:43 ID:8CM
演義やな
200:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:29:10 ID:4iy
>>197久しぶりやからペースわからないってのと実は明日仕事やから早めに終わらせたいってのが無意識であったのかもしれへん
201:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:29:13 ID:AbB
>>196田豊「ウチのボスも女にかまけて、天下逃しましたわ」
202:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:30:14 ID:0e6
演義やなあ
203:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:30:48 ID:4iy
もう少し待ってみるけど三国の方がよさそうねあとタイトル募集したいんやが「ワイが訳した三国志演義をみんなで見るスレ」で前やってたけど人が集められそうな案があったらオナシャス
204:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:39:12 ID:4iy
じゃあ三国の方に決定するわ明日7/28(土)21:30からは三国志演義の第一回やとりあえず「ワイが訳した三国志演義をみんなで見るスレ」でやってまたいい意見があったらそのタイトルにするで毎週土曜の21:30(ワイが仕事の日、または翌日出勤の日は金曜か日曜にずらします)にやるんでよかったら見てクレメンスワイは落ちるからスレ見てくれた人ありがとうやでほな、また
205:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:39:32 ID:Fp1
乙やで
206:【4】:18/07/27(金)22:41:10 ID:d1u
毎週の楽しみが増えるわ乙やで
207:名無しさん@おーぷん:18/07/27(金)22:41:39 ID:JnB
イッチのレスは真面目すぎんねんな…
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