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正史三国志・姜維伝の全文(意)訳と解説をするで

1名無しさん@おーぷん:2017/12/06(水)21:55:45 ID:BcU()
ここはワイが正史三国志の人物の伝を意訳するスレや
良かったら見て行ってクレメンス

前スレ
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1470897759/l50
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1476278898/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1487757732/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1488276141/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1501927686/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1502103402/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1502363645/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1512300441/
2【24】 :2017/12/06(水)21:56:02 ID:o8p
31
3名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:56:27 ID:K45
31
4名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:56:43 ID:gzH
イッチいつまでも次スレ立てないからビビったわ
5名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:57:09 ID:BcU()
>>4
すっかり忘れてた


前スレの>>1001の部分から再開するで
6名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:57:16 ID:tDs
もう終盤やな
7名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:57:25 ID:BcU()
會、厚待維等。皆權還、其印號節蓋。會、與維出則同轝、坐則同席。

鍾会は、姜維らを厚遇した。皆仮措置で、印や節、車蓋を帰した。鍾会は、姜維と出れば同乗し、座れば同席した。



8名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:58:21 ID:BcU()
謂長史杜預曰「以伯約、比中土名士、公休、太初、不能勝也」

長史杜預に言った「伯約は、中土の名士に比べると、公休(諸葛誕)、太初(夏侯玄)でも、勝れない」
9【51】 :2017/12/06(水)21:58:25 ID:o8p
傅僉「蜀の臣として生まれたからには、死して蜀の鬼とならん」は泣けるわ
10名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:58:42 ID:gzH
>>7
鍾会の下心が透けて見える
11名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:58:46 ID:K45
張翼って出てきた?
12名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:58:56 ID:gzH
>>9
審配定期
13名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:59:17 ID:BcU()
會、既構鄧艾。艾、檻車徵。因將維等、詣成都、自稱益州牧、以叛。

鍾会は、鄧艾を陥れた。鄧艾は、檻車で召還された。そこで姜維らを率い、成都に行き、自ら益州牧と称し、背いた。
14名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:59:33 ID:qyp
では北伐に行ってきます…
15名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)21:59:59 ID:BcU()
>>11
張翼伝の訳はやってない
姜維伝には出て来た
16名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:00:23 ID:K45
>>15
サンガツ
17名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:00:35 ID:BcU()
欲授維兵五萬人使、爲前驅。魏將士憤怒、殺會及維。維妻子皆伏誅。

姜維に兵五万人を授け、前進させようとした。魏の将士は憤怒し、鍾会及び姜維を殺した。姜維の妻子は皆誅殺された。
18名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:01:40 ID:BcU()
郤正著論、論維曰「姜伯約、據上將之重、處羣臣之右、宅舍弊薄、資財無餘、側室無妾媵之褻、後庭無聲樂之娛、

郤正が論を著し、姜維を論じて曰く「姜伯約(姜維)は、上将の重責を担い、群臣の上に位置したが、家は質素で、財産は余剰がなく、側室に妾を置く猥褻さはなく、奥座敷に音楽の娯楽を設けず、
19名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:02:13 ID:mFy
>>17
姜維は何で鍾会に協力したんや
20【75】 :2017/12/06(水)22:02:17 ID:o8p
どっかで机上の空論という言葉がこれほど似合う武将もいないって書かれてて草はえた覚えがあるわ、鍾会
21名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:02:35 ID:gzH
>>19
蜀の復興やろ
22名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:02:42 ID:BcU()
衣服取供、輿馬取備、飲食節制、不奢不約、官給費用、隨手消盡。

衣服は供給された物を使い、輿と馬は備えられた物を使い、飲食は節制し、豪奢ではなく倹約もせず、官給の俸禄を、手当たり次第に消費した。
23名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:02:54 ID:BcU()
>>19
>>21やろなぁ
24名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:03:42 ID:BcU()
察其所以然者、非以激貪厲濁抑情自割也、直謂如是爲足、不在多求。

そのようにした理由を察すると、貪欲な者を激励したり情を抑えて断ち切ろうとしたのではなく、ただそれで充分だと思い、多くを求めなかったのである。
25名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:04:14 ID:Bez
>>22
まさに亮先生が手本だなあ
26名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:04:28 ID:BcU()
>>20
なんでも劉備くらいにはなれるとか大言壮語してたらしいね
結果瞬殺
27名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:04:42 ID:BcU()
凡人之談、常譽成毀敗、扶高抑下、咸以姜維投厝無所身死宗滅、以是貶削、不復料擿。

凡そ人が談ずると、常に成功を誉め失敗を貶し、強者を助け弱者を押さえつけ、皆姜維が身の置き所がなく宗族が滅ぼされたことにより、それをもって貶め、ふたたびは検討しないのである。
28名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:05:23 ID:BcU()
>>25
清廉潔白だよね
あくまで妄想だけど諸葛亮から倣ったのかね?
29名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:05:26 ID:mFy
>>23
ってことは再び劉禅を推戴するんかな
鍾会じゃなく
30名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:05:43 ID:BcU()
異乎、春秋褒貶之義矣。如姜維之樂學不倦、清素節約。自一時之儀表也。」

これは春秋の褒貶の義と異なる。姜維は学問を楽しんで飽きず、清廉かつ質素で節制をする。その時の規範なのである。」
31名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:06:12 ID:gzH
>>29
成功したら鍾会ブッコロして

「劉禅さまを救い出す!」ってやるんやろか
32名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:06:36 ID:tc1
>>17
何で成功すると思ったんですかね…
33名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:07:21 ID:BcU()
>>29
この伝の注の『華陽国史』って資料に劉禅に手紙送って復興させるのをお待ちくださいって言ってる
34名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:07:30 ID:BcU()
評曰。蔣琬、方整有威重。費禕、寬濟而博愛。咸、承諸葛之成規、因循而不革。是以、邊境無虞、邦家和一。然、猶未盡、治小之宜、居靜之理也。

評に曰く。蒋琬は、厳正にして威厳があった。費禕は、寛容で博愛であった。皆、諸葛の作った制度を受け継ぎ、それに従って改めなかった。そのため、辺境に憂いはなく、国家は一つとなった。しかしながら、小さきを治める適宜な方法や、静かに住まわるやり方が出来なかった。
35名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:07:54 ID:mFy
>>33
へぇーそうなんや
サンキューガッツ
36名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:08:29 ID:BcU()
>>32
鍾会は思い上がり強いからいけると思っちゃったんやろ

>>33
なんか日本語おかしかったわ
今回は注まで訳してないからすまんな
37名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:08:34 ID:tc1
>>33
劉禅ももう皇帝になる気なさそう
38名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:08:39 ID:BcU()
姜維、粗有文武、志立功名。而翫衆黷旅、明斷不周、終致隕斃。老子有云「治大國者猶烹小鮮」況、於區區蕞爾而可屢擾乎哉。

姜維は、文武を兼ね備え、功名を立てることを志した。衆をもてあそび軍旅を汚し、明断はあまねからず、終いには亡くなった。老子は言った「大国を治めるは小魚を煮るがごとし(※)」ましてや、区々たる小国を何度も騒がしてよかろうか。
39名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:08:54 ID:BcU()
※小魚を煮るときに頻繁に動かせば型崩れしてしまう
大国も頻繁に動かしてはならないという戒め
40名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:09:08 ID:gzH
>>38
陳寿さんは厳しいなぁ
41名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:09:29 ID:tc1
>>38
ボロクソで草
42名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:10:01 ID:BcU()
>>33
しかも字を間違えてた
史ではなく『華陽国志』や
43名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:10:35 ID:tc1
いうて段谷までは上手くいってたからなぁ
44名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:11:48 ID:BcU()
>>37
一応降伏論を提示された時最後まで南方に逃げようと考えてたって譙周伝にある
譙周に説き伏せられて初めて降伏を決断したんだと
45名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:13:34 ID:BcU()
これで費禕、姜維伝は終わりや
明日も同じ時間に鄧艾、潘濬伝をやるんで良かったらみてくれやで

時間は毎日20:30を予定
12/7(木) 鄧艾、潘濬
12/8(金) 諸葛恪
12/9(土) 陸抗、中国古典などに出てくる武器の紹介
12/10(日) 三国志演義一回
12/11(月) 三国志演義二回
12/13(火) 三国志演義三回
12/14(水) 三国志演義四回
12/15(木) 三国志演義五回
46【50】 :2017/12/06(水)22:13:58 ID:o8p
姜維は山中幸盛と被る気がするわ
47名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:14:17 ID:gzH
お通夜で
48名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:15:46 ID:tc1
>>45
ハンシュンってのはよく知らんけど鄧艾はワイが三国一好きな武将やから楽しみンゴね
49名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:15:50 ID:BcU()
>>46
ワイは真田幸村って印象がある
文武両道とか最後まで敵に抗うとことか

>>47
こちらこそ乙や
50名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:18:20 ID:mFy
イッチ乙
51名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:19:02 ID:BcU()
>>48
三国きっての知将鄧艾はワイも好きや
それならぜひ見に来てクレメンス

>>50
こちらこそ長い時間付き合ってくれて乙やで


許叔龍は費禕伝のあの一ヶ所にしか名前がなかったんで素性とか諱すら不明やった
ただ許靖と出身が同じらしいから血縁の可能性もある
52名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:19:21 ID:Bez
>>44
蜀末期はあまり知られていないので、再考する余地はありやね。

イッチ乙。
53名無しさん@おーぷん :2017/12/06(水)22:21:23 ID:BcU()
じゃあワイはそろそろ落ちるで
明日12/7(木)は鄧艾、潘濬伝を20:30からやるんで良かったら見に来てやで
ほな、また

>>52
こちらこそサンガツ
蜀末期も調べてみればいろいろ面白いからぜひよろしく
54【88】 :2017/12/07(木)03:42:41 ID:RR9
おつやで
生姜繊維ニキの手腕はすりおろし生姜のようにボロボロやな
特に末期の意味不明な計画挙兵即終了感

諸葛瞻もアレやな陳寿逆恨み説もあるけど実際どんなもんなんやろ
55名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:30:26 ID:d6u()
そろそろ始めるで
まずは鄧艾伝からや
56名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:30:44 ID:d6u()
鄧艾、字士載、義陽棘陽人也。少孤、太祖破荊州、徙汝南、爲農民養犢。

鄧艾は、字を士載といい、義陽郡棘陽県の人である。若くして父を亡くし、太祖が荊州を破ると、汝南に移り、農民となり子牛を飼った。
57名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:30:56 ID:Rhp
まってました

テスト終わったから存分にやるやで
58名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:31:22 ID:d6u()
>>57
いつもの人やな
今日もよろしくやで
59名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:31:45 ID:d6u()
年十二、隨母至潁川、讀故太丘長陳寔碑文、言「文爲世範、行爲士則」艾遂自、名範字士則。後宗族有與同者、故改焉。

年十二にして、母に従って潁川に到り、元の太丘の長陳寔の碑文を読むと、書かれていた「文は世の範たり、行ないは士の則たり」鄧艾は自らを、名を範字を士則とした。後に宗族で同じくした者がいたので、故に改めた。
60名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:32:28 ID:Rhp
鄧艾って荊州人やったんかはえ~
61名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:32:49 ID:d6u()
爲都尉學士、以口吃、不得作幹佐、爲稻田守叢草吏。同郡吏父、憐其家貧、資給甚厚、艾初不稱謝。

都尉学士となったが、吃音のため、幹佐になれず、稲田守叢草吏となった。同郡の吏の父が、彼の家が貧しいのを憐れみ、物資を支給することは甚だ厚かったが、鄧艾は最初感謝を述べなかった。
62名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:33:37 ID:d6u()
>>60
せやで
63名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:33:48 ID:d6u()
每見高山大澤、輒規度指畫軍營處所、時人多笑焉。

高い山や大きな沢を見るたびに、常に測量し軍営の置き所を図示したので、時の人の多くが笑った。
64名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:34:49 ID:d6u()
後爲典農綱紀、上計吏、因使見太尉司馬宣王。宣王奇之、辟之爲掾。遷尚書郎。

後に典農綱紀、上計吏となり、使者となった太尉司馬宣王(司馬懿)に会った。宣王はこれを奇才だとし、招いて掾とした。尚書郎に昇進した。
65名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:35:54 ID:d6u()
※朝廷が田地の拡大と穀物の貯蔵を考え鄧艾を検地に遣わすがこのくだりは長いので省略
鄧艾は陳項以東から寿春まで調べると水の少なさに注目して『済河論』を著し、灌漑を進言
また陳、蔡の田地は良質なことから、許都付近の田地を廃止してその水を東に流し、淮河の南北で屯田を行うことを進言
司馬懿はそれを良いと考え全て実行する
66名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:36:56 ID:d6u()
出參征西軍事、遷南安太守。嘉平元年、與征西將軍郭淮、拒蜀偏將軍姜維。

(地方に)出て参征西軍事となり、南安太守に昇進した。嘉平元年(249年)、征西将軍郭淮と、蜀の偏将軍姜維を拒んだ。
67名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:37:07 ID:Rhp
>>61
鄧艾「艾は、艾は……」

司馬昭「鄧艾君の吃音はびといなぁ~。一体鄧艾は何人いるんや?」

鄧艾「世人は『鳳凰だ、鳳凰だ』と申しますが、鳳凰は何匹もおりますまい」キリッ


すこ
68名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:37:55 ID:SJH
ワイの鄧艾きたああああああああああああああああああああああああ
69名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:38:02 ID:d6u()
維退、淮因西擊羌。艾曰「賊去未遠、或能復還。宜分諸軍以備不虞」於是留艾屯白水北。

姜維が退くと、郭淮はそれにより西に行き羌を攻撃しようとした。鄧艾は言った「賊が去ってまだ遠くはなく、あるいは戻ってくるであろう。諸軍を分けて不測の事態に備えた方がよろしいでしょう」こうして鄧艾を留めて白水の北に駐屯させた。
70【86】 :2017/12/07(木)20:38:33 ID:RR9
姜維を拒むことしかしない
71名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:39:25 ID:d6u()
>>67
これ演義で知ってる人も多いだろうけど面白い逸話だよね

>>68
せっかくやから見てってや
72名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:39:35 ID:d6u()
三日、維遣廖化自白水南向艾結營。艾謂諸將曰「維今卒還、吾軍人少。

三日後、姜維は廖化を遣わし白水より南に行かせ鄧艾の向かいに軍営を築かせた。鄧艾は諸将に言った「姜維が今にわかに戻り、我が軍は人が少ない。
73名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:39:57 ID:SJH
>>64
農政部門の文官が蜀を滅ぼす名将になるんだからすごいよね
74名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:40:11 ID:d6u()
>>70
ある意味姜維の好敵手やからな
75名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:40:26 ID:d6u()
法當來渡、而不作橋。此、維使化持吾、令不得還。維必自東襲取洮城」

兵法に則れば渡るべきなのに、橋も作らない。これは、姜維が廖化を使って私と対峙させ、帰れないようにしたのだ。姜維は必ず東から洮城を襲い取るであろう」
76名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:41:05 ID:Rhp
鄧艾さんはどこで兵法を学んだんやろか
77名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:41:06 ID:SJH
姜維には毎回勝ってるし好敵手じゃなくて天敵やろ
78名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:41:09 ID:d6u()
>>73
世に名将は多くとも鄧艾はその中でも多才だよな
文武両道
79名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:41:22 ID:d6u()
洮城在水北、去艾屯六十里。艾卽夜潛軍徑到、維果來渡、而艾先至據城、得以不敗。

洮城は白水の北にあり、鄧艾の駐屯から六十里離れていた。鄧艾がその夜軍を密かに動かして真っ直ぐと到ると、姜維は果たして渡ったが、鄧艾は先に城に拠っていたので、敗れなかった。
80名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:41:26 ID:Rhp
>>78
なお吃音
81名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:42:16 ID:SJH
吃音とかいう先天的なものでしか揚げ足とれないのが鄧艾の凄さを物語ってるよね
82【18】 :2017/12/07(木)20:42:20 ID:RR9
>>80
ラッパーみたいな詩を読んでいれば…(適当)
83名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:42:31 ID:d6u()
>>76
どこで学問したかわからない人物多いからな
想像するしかない

>>77
確かに
84名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:42:41 ID:d6u()
賜爵關內侯、加討寇將軍、後遷城陽太守。

関内侯の爵位を賜り、討寇将軍を加えられ、後に城陽太守に昇進した。
85【78】 :2017/12/07(木)20:43:04 ID:RR9
生姜繊維すり下ろし機鄧艾
86名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:43:34 ID:d6u()
>>80
むしろ吃音でしか貶せない鄧艾と考えた方がいい
87名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:43:43 ID:d6u()
※鄧艾が異民族の対応を上奏するが長いので省略
并州の右賢王劉豹の反乱につけ込み匈奴を分裂させるように進言
司馬師は鄧艾の意見の多くを聞き入れた
88名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:44:00 ID:Rhp
>>86
最期もガバガバなんだよなぁ
89名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:44:44 ID:d6u()
遷汝南太守。至則、尋求昔所厚己吏父。久已死、遣吏祭之、重遺其母、舉其子與計吏。艾所在、荒野開闢、軍民並豐。

汝南太守に昇進した。(任地に)到ると、昔厚遇してくれた吏の父を探し求めた。すでに死んで久しかったので、吏を遣わして祭り、その母に重き贈物を与え、その子を推挙して計吏とした。鄧艾は所在で、荒野を開拓し、軍民は並んで豊かとなった。
90名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:45:56 ID:d6u()
>>88
それ言われたらアカンわ
でも名将なのは確かやから・・・
91名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:46:07 ID:d6u()
※諸葛恪の敗亡を司馬師に予言するが長いので省略
諸葛恪は誅されこの予言は当たる
92名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:47:04 ID:SJH
頭いい奴は先が読めるからな
93名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:47:06 ID:d6u()
遷兗州刺史、加振威將軍。

兗州刺史に昇進し、振威将軍を加えられた。
94名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:47:56 ID:d6u()
>>92
なお自分の未来は読めなかった模様
諸葛恪のことを見ていなかったのかね?
95【34】 :2017/12/07(木)20:47:58 ID:RR9
中華特有のなぜか糞ニートからどこで勉強したのかいきなり輝くタイプ(股のした潜りおじさん)を考えると鄧艾はまだ勉強したんやなっていい切れるだけましやな
96名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:48:08 ID:d6u()
※鄧艾の上言があるが長いので省略
農業の奨励を提言
97名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:48:21 ID:SJH
無双だと何故かマッチョマンにされてるんだよな
文官出身なのに
98名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:49:28 ID:d6u()
高貴鄉公卽尊位、進封方城亭侯。毌丘儉、作亂、遣健步齎書、欲疑惑大衆。

高貴郷公(曹髦)が皇帝に即位すると、方城亭侯に封爵を進められた。毌丘倹が、乱を行い、健脚な者に書を持たせて遣わし、大衆を惑わせようとした。
99名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:49:37 ID:Rhp
>>97
郭淮ェ……
100名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:50:11 ID:SJH
>>94
昔から吃音煽りはあったやろうし元々のコンプレックスが大きい→出世してそいつらを見返したので傲慢になったと予想
101名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:50:13 ID:23i
>>91 諸葛瑾さんのお子さんやね
102名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:50:28 ID:d6u()
>>95
韓信ってまじでどこで勉強したかわからん

>>97
恐らく演義で姜維や文鴦と互角に戦ったから
103名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:50:38 ID:d6u()
艾、斬之、兼道進軍、先趣樂嘉城、作浮橋。司馬景王至、遂據之。

鄧艾は、これを斬り、倍の速度で進軍し、先に楽嘉城に赴いて、浮橋を作った。司馬景王(司馬師)は到ると、これに拠った。
104名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:51:10 ID:Rhp
>>101
パッパはちゃんと諸葛恪の危うさわかってたよな
どうしてあの親からアレがでてくるのか
105名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:51:46 ID:d6u()
文欽、以後大軍、破敗於城下。艾追之、至丘頭。欽奔吳。

文欽は、後から大軍で来て、城下で破られた。鄧艾はこれを追い、丘頭に到った。文欽は呉に逃げた。
106名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:52:11 ID:SJH
>>102
政治統率知略武勇全部に長けてるのに武勇だけピックアップされるのは謎
107名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:52:15 ID:d6u()
>>100
なるほどな
吃音がコンプレックスになっていたと

>>101
せやで
108名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:52:43 ID:d6u()
吳大將軍孫峻等、號十萬衆、將渡江。鎭東將軍諸葛誕、遣艾據肥陽。艾、以與賊勢相遠非要害之地、輒移、屯附亭。

呉の大将軍孫峻らは、十万の衆と号し、長江を渡ろうとした。鎮東将軍諸葛誕は、鄧艾を遣わし肥陽に拠らせた。鄧艾は、賊軍と遠く(肥陽は)要害の地ではないと思い、すぐに移動して、附亭に駐屯した。
109【4】 :2017/12/07(木)20:52:46 ID:RR9
>>102
哀れすぎて貧乏な婆さんに施しされてたくらいやしよくわからんやつやな
大志があるとかいう割には周りからなにもしとらんアホ言われてたしどこで学んだのか、学ばずあれだけできたのか
110名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:53:04 ID:SJH
>ジャーンジャーンジャーン
>戦いの時は来た…

三大の鄧艾はかっこよすぎる
111名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:53:16 ID:Rhp
>>109
政治はからきしだし、天性やろか
112【38】 :2017/12/07(木)20:53:27 ID:RR9
>>104
諸葛亮「せやな」
113名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:53:54 ID:d6u()
>>106
うーん
無双は司馬家がN1みたいな設定だからかすまないようにとか
114名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:54:04 ID:d6u()
遣泰山太守諸葛緒等、于黎漿拒戰、遂走之。其年、徵拜長水校尉。以破欽等功、進封方城鄉侯、行安西將軍。

泰山太守諸葛緒らを遣わし、黎漿で拒ませ、これを敗走させた。この年、召喚されて長水校尉を拝命した。文欽らを破った功により、方城郷侯に封爵を進められ、行安西将軍となった。
115名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:54:12 ID:SJH
>>108
諸葛誕って鄧艾の上司やった時もあったんか
結構偉かったんやな
116【82】 :2017/12/07(木)20:54:27 ID:RR9
>>111
天性であの才能か、むしろ転生でもしとるんちゃうか
117名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:54:33 ID:Rhp
>>112
孔明のところはお国のために散ったのでセーフ
118名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:55:11 ID:Rhp
>>115
諸葛ワンワンは重臣やで
119名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:55:32 ID:d6u()
>>109
水を背にする戦法とか兵法の常識を破る戦い方は兵法を学んでなかったからこそ出来たみたいな仮説
120名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:55:42 ID:d6u()
解雍州刺史王經圍於狄道、姜維退駐鍾提、乃以艾爲安西將軍、假節、領護東羌校尉。議者多以爲、維力已竭未能更出。

雍州刺史王経が狄道で包囲されているのを解くと、姜維は撤退して鍾提に駐屯し、かくして鄧艾を安西将軍、仮節、領護東羌校尉とした。議論した者の多くが、姜維の力はすでに尽きて改めて出てこないとした。
121名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:56:56 ID:d6u()
※鄧艾が反論するが長いので省略
五つの点で敵が出陣すると主張
敵には勝った勢いがあり味方は虚弱であること
敵は訓練されて武器も鋭利だが味方は交代されたばかりの兵で武器も整っていないこと
敵は船で移動するが味方は陸路で移動するので疲労が違うこと
味方は狄道、隴西、南安、祁山に分かれねばならぬが敵は一ヶ所に集まれること
祁山には熟した麦があること
122名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:57:56 ID:SJH
>>121
論理的ンゴねえ…憧れるわ
123名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:58:02 ID:d6u()
頃之、維果向祁山。聞艾已有備、乃回從董亭趣南安、艾據武城山以相持。

この頃、姜維は果たして祁山に向かった。鄧艾がすでに備えをしていると聞くと、かくして戻って董亭から南安に赴き、鄧艾は武城山に拠って対峙した。
124名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:58:25 ID:Rhp
>>122
議論って……吃音ニキ頑張ったなぁ
125【98】 :2017/12/07(木)20:58:55 ID:RR9
>>119
反対とか献策したやつを無理やり黙らせたか説得したのかようわからんな
まぁ他にも勝ちまくってるから無学だとしたらマジでこいつはヨーロッパあたりに生まれてれば戦史がごろごろ書き換えられそう
126名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:59:05 ID:d6u()
>>122
鄧艾はかなり理知的な人やと思うわ
現代にいたら学者やってそう
127名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)20:59:16 ID:d6u()
維與艾爭險、不克、其夜、渡渭東行、緣山趣上邽。艾與戰於段谷、大破之。

姜維は鄧艾と険要を争い、勝てず、その夜、渭水を渡って東に行き、山沿いに上邽に赴いた。鄧艾は段谷で戦い、これを大破した。
128【20】 :2017/12/07(木)20:59:34 ID:RR9
ワイの中で鄧艾は裸の大将のしゃべり方やわ
129名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:00:12 ID:d6u()
※甘露元年(256年)に詔があるが省略
鄧艾を鎮西将軍とし、隴右の諸軍事を都督させ、鄧侯に封爵を進める
また五百戸を分けて彼の子の鄧忠を亭侯にする
130名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:00:17 ID:SJH
>>126
地図見ただけで地形把握や合理的な用兵戦術は論理的な人間じゃないとできんからなぁ
131名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:00:47 ID:Rhp
>>127
ここの鄧艾VS姜維は純粋な武力衝突でええのか?  

もしそうだったら蜀の士卒もなかなかやな
132名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:01:21 ID:d6u()
今回省略多いけど真面目に鄧艾伝やったらかなり長いからこうするしかなかったんや
詳しく知りたい人はこんな糞訳やなくてちゃんとちくまとかの本で読んでみてやで
133名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:01:32 ID:d6u()
二年、拒姜維于長城、維退還。遷征西將軍、前後增邑凡六千六百戶。

二年(257年)、姜維を長城で拒むと、姜維は撤退して帰った。征西将軍に昇進し、前後で邑はおおよそ六千六百戸に増えた。
134名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:01:51 ID:Xm3
きっと司馬氏による晋は長く続くんやろなぁ
135【21】 :2017/12/07(木)21:02:13 ID:RR9
北伐マシーン(成果が出るとはいってない)
136名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:02:22 ID:d6u()
>>130
まさにその通りやな
そういうところが鄧艾はすごい
137名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:02:40 ID:d6u()
景元三年、又破維于侯和、維卻保沓中。

景元三年(262年)、また姜維を侯和で破ると、姜維は退却して沓中を保った。
138【73】 :2017/12/07(木)21:03:04 ID:RR9
ま た
139名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:04:10 ID:d6u()
>>131
蜀は弱いというわけではないで段谷の敗北があるまでは王経を大破したり徐質を殺したりの大勝があった
140名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:04:20 ID:d6u()
四年秋、詔諸軍征蜀。大將軍司馬文王、皆指授節度、使艾與維相綴連、雍州刺史諸葛緒要維、令不得歸。

四年(263年)秋、諸軍に蜀を征伐する詔があった。大将軍司馬文王(司馬昭)は、皆を指揮し、鄧艾を姜維と連なって対峙させ、雍州刺史諸葛緒に姜維が求めても、帰れないようにさせた。
141名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:04:59 ID:d6u()
>>134
なお
142名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:05:11 ID:Xm3
まーた諸葛の血が出て来た
143名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:05:22 ID:d6u()
艾、遣天水太守王頎等直攻維營、隴西太守牽弘等邀其前、金城太守楊欣等詣甘松。

鄧艾は、天水太守王頎らを遣わして真っ直ぐと姜維の軍営を攻撃させ、隴西太守牽弘らをその前で待ち伏せさせ、金城太守楊欣らを甘松に行かせた。
144名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:05:49 ID:Rhp
>>142
諸葛諸って一切血縁わからんのよな
145名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:06:24 ID:d6u()
維聞鍾會諸軍已入漢中、引退還。欣等追躡於彊川口、大戰、維敗走。

姜維は鍾会の諸軍がすでに漢中に入ったと聞くと、撤退して帰った。楊欣らは彊川口まで追撃し、大いに戦い、姜維は敗走した。
146名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:07:02 ID:Dkq
姜維ってすごい頑張ってたんやな

諸葛亮死んだ後とか知らなかったわ
147名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:07:06 ID:Hdc
遅れたけどまだやってる?
148名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:07:20 ID:SJH
>>145
あっさり漢中破られてんな
姜維ご自慢の防衛システムとはなんだったのか
149名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:07:24 ID:d6u()
聞雍州已塞道屯橋頭、從孔函谷入北道、欲出雍州後。諸葛緒聞之、卻還三十里。

雍州(軍)がすでに道を塞ぎ橋頭に駐屯していると聞くと、孔函谷から北道に入り、雍州(軍)の後ろに出ようとした。諸葛緒はこれを聞くと、三十里退却した。
150【63】 :2017/12/07(木)21:07:27 ID:RR9
定期姜維敗走
151名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:07:51 ID:Rhp
>>146
姜維は頑張ったで

なお国力
152名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:08:06 ID:VY3
この伝中ではほんとやられ役やな
153名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:08:10 ID:Xm3
姜維「負ける気せーへん。最早地元やし」
154名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:08:31 ID:d6u()
>>146
日本やと孔明死後までやる作品はなかなかないからな

>>147
大体中盤くらい
155名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:08:42 ID:d6u()
維、入北道三十餘里、聞緒軍卻、尋還、從橋頭過。緒、趣截維、較一日不及。

姜維は、北道に三十余里入ると、諸葛緒が退却したと聞き、次いで帰り、橋頭から通過した。諸葛緒は、姜維を遮りに行ったが、一日の差で及ばなかった。
156名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:08:50 ID:Dkq
>>151
諸葛亮で無理だったんだからガチガチに守り固めれば良かったのにね

まあ、いずれは潰されそうだけど
157【51】 :2017/12/07(木)21:08:56 ID:RR9
姜維「勝てないわね…勝てない」
158名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:09:21 ID:Rhp
どうして姜維ってこんなに負けてるのに降板しなかったんやろ

人材不足すぎて草も生えない
159名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:09:45 ID:VY3
>>155
姜維「やったか!?」
160名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:09:57 ID:d6u()
>>148
そもそもこのころ魏の内乱が終わって征伐に本腰を挙げられるようになってる
さらに劉禅が黄皓の言葉聞いて援軍出し遅れたりとかもある
161名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:10:12 ID:d6u()
維遂東引、還守劍閣。鍾會攻維、未能克。

姜維はかくて東に退き、帰って剣閣を守った。鍾会は姜維を攻めたが、勝てなかった。
162【4】 :2017/12/07(木)21:10:12 ID:RR9
負けてるからこそやけどそれが宮中では負けるくせに金と人を浪費して帰ってくるようなやつで反感買うんやろなぁ
163名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:10:36 ID:Tpt
>>158
暗黒でローテ守って2勝10敗みたいな感じ
164名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:11:16 ID:Xm3
この時、呉内心ビクビクしてそう
次はワイらや!ワイらが攻め込まれるぞ!みたいな
165名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:11:20 ID:Dkq
>>154
最後まで読んだの北方しかないんや
166名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:11:23 ID:d6u()
>>158
単純に姜維に代われる人がいなかったのではないかな?
167名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:11:24 ID:Hdc
>>163
原樹理かな?
168名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:11:28 ID:d6u()
艾上言「今賊摧折、宜遂乘之。從陰平、由邪徑、經漢德陽亭、趣涪、出劍閣西百里、去成都三百餘里。奇兵衝其腹心。劍閣之守必還赴涪、則會方軌而進。

鄧艾は上言した「今賊は挫かれたので、これに乗じましょう。陰平から、小径を経由し、漢の徳陽亭を経て、涪に赴き、剣閣の西百里に出れば、成都から三百余里の所に行けます。奇兵でその腹心を突くのです。剣閣の守備兵は必ず帰って涪に赴くので、鍾会は車を並べて進めましょう。
169名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:12:06 ID:Rhp
>>166
個人的には閻宇大将軍を見てみたかった
170名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:12:38 ID:Rhp
陰平突破キター!
171【93】 :2017/12/07(木)21:12:45 ID:RR9
人材も何もかもが足りてない
172名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:13:02 ID:d6u()
>>166
それならぜひ演義読んでみて
姜維が諸葛亮の遺した陣法とかで鄧艾と互角に戦う
めっちゃ面白いで
173名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:13:11 ID:d6u()
劍閣之軍不還、則應涪之兵寡矣。軍志有之曰『攻其無備、出其不意』今掩其空虛、破之必矣。」

剣閣の軍が戻らねば、涪に対応する兵は少なくなります。兵所ではこれをこう言います『其の備え無きを攻め、其の意(おも)わざるに出ず』と。今空虚を急襲すれば、必ず破れましょう。」
174名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:13:12 ID:SJH
>>168
有能過ぎる
175名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:13:56 ID:VY3
剣閣門。要害すぎる



176名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:13:58 ID:Tpt
>>171
ヤクルトやんけ
177名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:14:08 ID:Rhp
>>174
周りは「成功せへぇへんやろ」みたいな空気やったんやろなぁ
178名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:14:21 ID:Xm3
天険の要害、だいたい抜かれてる説

日本でいう難攻不落の城みたいな
179名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:14:28 ID:Tpt
>>175
さすが中国
180名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:14:33 ID:d6u()
冬十月。艾、自陰平道、行無人之地七百餘里、鑿山通道、造作橋閣。

冬十月。鄧艾は、陰平道から、無人の地を七百余里行き、山に穴をあけて道を通じさせ、橋や閣を造らせた。
181名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:14:36 ID:Rhp
>>175
はえ~
初めて見たわ
182名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:14:39 ID:Hdc
劉璋が治めてた頃は中央から逃げてきた人材がおったんやろうけど
183【33】 :2017/12/07(木)21:14:41 ID:RR9
>>175
うーん…無理やな(確信)
184名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:14:59 ID:Rhp
>>182
劉備の代で使い切ったよね
185名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:15:21 ID:Dkq
兵糧足りない
人口足りない
武将ほぼ死んだ

こんなんでどうにかしてた諸葛亮頭おかしい
186【66】 :2017/12/07(木)21:15:36 ID:RR9
>>178
熊本城「アハハ!」
西郷軍「」
187名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:15:38 ID:d6u()
山高谷深、至爲艱險、又糧運將匱、頻於危殆。艾、以氊自裹、推轉而下。將士、皆攀木緣崖、魚貫而進。

山は高く谷は深く、険阻の至りで、また兵糧の運搬も乏しくなり、危機に瀕した。鄧艾は、毛氈に自ら包まり、転がって下った。将士は、皆木をよじ登り崖にすがり、魚の串刺しのように進んだ。
188名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:15:41 ID:Tpt
現代でも会社の創業者が死ぬと結構ゴタゴタするからな
189名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:16:20 ID:Hdc
>魚の串刺しのように進んだ
表現に草
190【85】 :2017/12/07(木)21:16:29 ID:RR9
創業者が死んでうまく回るのはうまく引き継げるかどうかにかかってる
191名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:16:29 ID:d6u()
レスが追いつかない
返信できない人すみません
192名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:16:37 ID:Rhp
>>187
簀巻き鄧艾が転がるのを想像して草
193名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:16:41 ID:d6u()
先登至江由、蜀守將馬邈降。蜀衞將軍諸葛瞻、自涪還緜竹、列陳待艾。艾、遣子惠唐亭侯忠等出其右、司馬師纂等出其左。

先頭が江由に到ると、蜀の守将馬邈が降伏した。蜀の衛将軍諸葛瞻が、涪から緜竹に戻り、陣を並べて鄧艾を待った。鄧艾は、子の恵唐亭侯鄧忠らを遣わしてその右に出し、司馬師纂らをその左に出した。
194名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:16:53 ID:Xm3
魏延「だから長安まで行けばええ言うたのに……」

まぁ、実際に魏延が長安侵攻考えてたかどうかは色々言われてるけどね
195名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:17:04 ID:SJH
演義って
姜維「うおおおおおこれが丞相の残した凄い策略や!!!くらえ鄧艾!!!」
鄧艾「ぐえー死んだンゴ」
伝令1「補給が尽きたンゴ…」伝令2「成都で政変の兆しが…」伝令3「南方で反乱が…」
姜維「一回帰るンゴ…」
鄧艾「助かったぜ」

こんなん?
>>187
毛布きたあああああああああああああああ
196名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:17:35 ID:Dkq
>>194
長安奇襲作戦って魏延が考えたんか?
197名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:17:37 ID:d6u()
忠、纂戰不利、並退還、曰「賊、未可擊」艾怒曰「存亡之分、在此一舉。何不可之有」乃叱忠纂等、將斬之。

鄧忠、師纂は戦っても利がなく、並んで撤退し、言った「賊は、いまだ擊てません」鄧艾は怒って言った「存亡の分は、この一挙にある。どうして出来ない事があろうか」かくして鄧忠、師纂らを叱り、斬ろうとした。
198名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:17:46 ID:Hdc
馬バクとかいうやつ
199名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:18:01 ID:SJH
>>193
何で司馬師が生きてるんや
200名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:18:13 ID:Xm3
次の無双で鄧艾の武器決まったな
毛布や
201名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:18:42 ID:d6u()
>>195
いや割と鄧艾らに破られてる
でも追い詰めておきながら劉禅に呼び戻されたことはあった
202名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:18:52 ID:d6u()
忠纂馳還更戰、大破之、斬瞻及尚書張遵等首。進軍到雒。劉禪遣使奉皇帝璽綬、爲箋詣艾請降。

鄧忠、師纂らは馳せ帰って更に戦い、これを大破し、諸葛瞻及び尚書張遵らの首を斬った。進軍して雒に到った。劉禅は使者を遣わし皇帝の璽綬を奉らせ、文章を鄧艾に届けて降伏を請うた。
203名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:18:55 ID:Rhp
>>199
司馬の師纂

やない?
204名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:19:11 ID:Xm3
なんかもう三国志の斬首の基準がよう分からん……
205名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:19:27 ID:Rhp
>>202
張飛のマッゴェ……
206名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:19:35 ID:Hdc
ほれ逝きましたー
207【14】 :2017/12/07(木)21:19:37 ID:RR9
>>200
仕事人みたいな殺し方しそう
208名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:19:42 ID:Xm3
>>202
一瞬、張遼に見えたゾ
209名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:19:46 ID:d6u()
>>199
確かにわかりにくいな
>>203の解釈でいい
210名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:19:59 ID:d6u()
艾至成都、禪率太子諸王及羣臣六十餘人、面縛輿櫬詣軍門。艾、執節解縛焚櫬、受而宥之。

鄧艾が成都に到ると、劉禅は太子、諸王及び群臣六十余人を率い、面縛し棺を担いで(※)軍門に行った。艾、執節解縛焚櫬、受而宥之。

※面縛は両手を後ろにして縛り、顔を前に突き出すこと
自らを縛り棺を持って行くのが降伏側の礼儀で、その縛を解いて棺を焼くのが降伏を受ける側の礼儀であった
ちなみに孫晧伝でもこのようなやり取りがある
211名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:20:29 ID:Tpt
>>210
はぇー
212名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:20:30 ID:SJH
>>201
はえ~…
213名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:20:58 ID:SJH
>>209
>>203
サンガツ
214名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:21:04 ID:d6u()
檢御將士、無所虜略、綏納降附、使復舊業、蜀人稱焉。

将士を検察して統御したが、略奪はせず、降伏した者を慰撫し、元の業に戻らせたので、蜀人は称賛した。
215【12】 :2017/12/07(木)21:21:11 ID:RR9
たまに思うけど縄を解いた後棺桶に入れて焼くぐらいのいかれたやつって絶対いたよな
216名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:21:31 ID:Xm3
蜀人の手首はもうボロボロ
217名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:22:02 ID:d6u()
輒依鄧禹故事、承制拜禪行驃騎將軍、太子奉車、諸王駙馬都尉。蜀羣司各隨高下、拜爲王官、或領艾官屬。

鄧禹の故事(※)に倣い、専断の権利により劉禅を行驃騎将軍、太子を奉車都尉、諸王を駙馬都尉とした。蜀の官僚も各々の位により、(魏)王朝の官吏とし、ある者は鄧艾の属官とした。

※東漢の初めに鄧禹が河東を制圧すると光武帝の命を受けずに李文を河東太守にし、所属する県の令や長を独断で置いたという故事
218名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:22:05 ID:Rhp
>>210
譙周有能
219名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:22:20 ID:SJH
陰平越えの時の鄧艾って60超えてるからな
良く毛布に包まった程度で超えられたなって感じ
220名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:22:44 ID:gjy
そう言えば鍾会さんも孔明の墓参りしたりして、アピールしてましたね
221名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:22:45 ID:Rhp
>>217
将外にありては君命にも従わざるやな
222名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:23:03 ID:d6u()
以師纂、領益州刺史。隴西太守牽弘等、領蜀中諸郡。

師纂に、益州刺史を兼任させた。隴西太守牽弘らには、蜀中の諸郡(の太守)を兼任させた。
223名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:23:10 ID:SJH
>>217
故事に従っただけやったんやな
224名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:23:22 ID:VY3
>>210
艾、執節解縛焚櫬、受而宥之
これ訳し忘れかな?
225名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:23:40 ID:Xm3
張任「なんだかなぁ……なんだかなぁ……」
226名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:23:54 ID:Rhp
>>223
いや、故事を言い訳にした感あるで
227名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:24:07 ID:d6u()
使於緜竹築臺以爲京觀、用彰戰功。士卒死事者、皆與蜀兵同共埋藏。

緜竹に台を築かせて京観(※)とし、戦功を顕彰とした。士卒で死んだ者は、皆蜀兵と共に埋葬された。
228名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:25:11 ID:dMD
なんて読むんや?
メンチ?
229【67】 :2017/12/07(木)21:25:11 ID:RR9
これで蜀の古くからの家臣たちも守られたな!
230名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:25:29 ID:Rhp
>>228
綿竹やで
メンチク
231【64】 :2017/12/07(木)21:25:45 ID:RR9
>>228
緜竹?めんちく
232名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:26:04 ID:d6u()
>>224
すまん訳し忘れや
意味は節を受け取り縛を解き棺を焼き、受け入れて宥めたみたいな感じや
233名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:26:04 ID:Hdc
そろそろ廖化が死ぬ頃か
234名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:26:27 ID:d6u()
>>227の※貼り忘れた

※死体を積み上げ土で覆ったもの
勝利を記念して作る
235名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:26:30 ID:gjy
>>233
何時まで生きてんねん
236名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:26:38 ID:Dkq
>>233
え...

何歳や...
237名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:27:01 ID:d6u()
艾、深自矜伐、謂蜀士大夫曰「諸君賴遭某、故得有今日耳。若遇吳漢之徒、已殄滅矣」

鄧艾は、深く自らを誇り、蜀の士大夫に言った「諸君は某と遭遇したおかげで、今日を得られたのだ。もし呉漢(※)のような輩に遭遇すれば、滅ぼされていたであろう」
238名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:27:14 ID:Rhp
>>235
たしか洛陽に送られる監車のなかで死んだんだっけ?
239【59】 :2017/12/07(木)21:27:16 ID:RR9
廖化「死への先鋒はパスで」
240名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:27:23 ID:VY3
蜀とともに生き蜀とともに逝く感じスコ
241名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:27:46 ID:dMD
>>230
>>231
( ・`ω・´)ゴメンチク!
242名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:27:53 ID:Hdc
>>238
せや
>>236
70代らC
243名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:27:59 ID:SJH
最初は抗菌兵だったんだよなぁ
244名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:28:01 ID:23i
風の谷の○⭕○⭕w
245名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:28:12 ID:Rhp
>>243
演義定期
246【54】 :2017/12/07(木)21:28:18 ID:RR9
>>243
精鋭衛生部隊ですねぇ
247名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:28:22 ID:d6u()
廖化はソウヨ伝で70以上ってあるけど年齢不詳
248名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:28:39 ID:gjy
>>237
呉漢はマズイですよ!
249名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:28:46 ID:d6u()
>>237の※も貼り忘れた
ぐだぐだですまん

※東漢初期の将軍
敵を根絶やしにする性格と蜀を攻略した事績から引き合いに出しているのであろう
250名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:29:05 ID:d6u()
又曰「姜維、自一時雄兒也。與某相值、故窮耳」有識者笑之。

また言った「姜維は、一時の英雄だ。某と会い、故に窮したのだ」有識者はこれを笑った。
251名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:29:21 ID:Dkq
>>242
>>247
関羽時代からバリバリ使えてたやつやろ?

すごいな
252名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:29:27 ID:SJH
>>237
実際略奪もしてないし元の業務につかせてるわけだからな
253名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:30:11 ID:d6u()
※十二月に詔があるが長いので省略
鄧艾を太尉とし、邑を二万戸増やし、子二人を亭侯に封じ、各々の食邑を千戸とした
254名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:30:20 ID:Xm3
孟獲「いや、ワイが心服したのは諸葛亮であって蜀ではないし」
255【100】 :2017/12/07(木)21:30:36 ID:RR9
なろう主人公光武帝のなろう配下みたいな呉漢さんかな
256名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:31:06 ID:d6u()
※鄧艾が司馬昭に上言するが長いので省略
呉を下すために軍の威勢を見せてから降伏を勧告する策を提案
そのために軍を蜀に留めて休息させ、製塩と鋳鉄を興して軍事や農業の助けとし、船を製造させて呉に攻める態度を見せ、劉禅を厚遇して呉を降伏しやすいようにするべきだと上申
司馬昭はそれを実行しないよう監軍衛瓘を通じて鄧艾に伝える
鄧艾はそこで再び上言して専断の利点を述べ上記の策を実行すると宣言
鍾会、胡烈、師纂らはこの態度から皆鄧艾が変事を起こそうとしていると建白
結果詔があって鄧艾は檻車に入れられて召喚される
257名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:31:15 ID:Rhp
>>255
初代俺TUEEEEの劉秀さんの家臣さんですねわかるわ
258名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:32:28 ID:d6u()
艾父子既囚、鍾會至成都、先送艾、然後作亂。會已死、艾本營將士追出艾檻車、迎還。

鄧艾父子が囚われると、鍾会は成都に到り、先に鄧艾を送り、その後に乱を為した。鍾会が死ぬと、鄧艾の本営の将士は鄧艾の檻車を追うために出て、迎えて帰った。
259名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:32:52 ID:VY3
>>256
言ってることは正しい気がするけど却下されたのはなんでなんやろ
260名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:32:56 ID:Hdc
>>256
>鍾会、胡烈、師纂らはこの態度から皆鄧艾が変事を起こそうとしていると建白
一人お前が言うなってやつがいますねぇ
261名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:33:11 ID:SJH
>>256
この辺は明らかにミスやな
262【30】 :2017/12/07(木)21:33:35 ID:16Y
今、龍が如く極2やってるけど次の外伝は三国志で「劉が如く」作って欲しいンゴねぇ
263【57】 :2017/12/07(木)21:33:39 ID:RR9
>>256
鍾会「最低だよ、どうなんだ人として!」
264名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:33:44 ID:d6u()
>>259
司馬昭が鄧艾の専横を恐れたからだと思う
265名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:33:51 ID:d6u()
瓘、遣田續等、討艾、遇於緜竹西、斬之。子忠與艾俱死、餘子在洛陽者悉誅、徙艾妻子及孫於西域。

衛瓘は、田続らを遣わし、鄧艾を討たせ、緜竹の西で遭遇し、これを斬った。子の鄧忠は鄧艾と共に死に、その他の子は洛陽で尽く誅され、鄧艾の妻子及び孫は西域に移された。
266【81】 :2017/12/07(木)21:34:08 ID:RR9
>>262
桐生(劉備)
大誤算(劉禅)
267名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:34:09 ID:SJH
>>259
・まだ呉を滅ぼす気がないから
・鄧艾が遠くにいるから
・鄧艾が勝手にいろいろ決めてイラついてるから
268名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:34:19 ID:gjy
>>259
司馬昭「お前に言われんでも分かっとるわ」的な奴やろ
269名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:35:04 ID:d6u()
初、艾當伐蜀、夢坐山上而有流水、以問殄虜護軍爰邵。

当初、鄧艾がまさに蜀を討伐しようとすると、夢で山上に座り流水があり、殄虜護軍爰邵に問うた。
270【9】 :2017/12/07(木)21:35:38 ID:RR9
>>259
学生時分のころ勉強しようとしてる時に勉強しなさいって言われたらむかついたし勉強する気失せるやろ?それよ
271名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:36:08 ID:d6u()
邵曰「按易卦、山上有水曰蹇。蹇繇曰『蹇、利西南、不利東北』

爰邵は言った「易の卦を調べると、山上の水を蹇と言います。蹇の言葉は『蹇は、西南に利、東北に不利』です。
272名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:37:25 ID:d6u()
孔子曰『蹇利西南、往有功也。不利東北、其道窮也』往必克蜀、殆不還乎」艾憮然不樂。

孔子は『蹇は西南に利は、行けば功有りだ。東北に不利は、その道が窮まるだ』と言いました。行けば必ず蜀に勝ちますが、大方帰れないでしょう」鄧艾は落胆して楽しめなかった。
273【57】 :2017/12/07(木)21:37:36 ID:16Y
>>266
魏(東城会)
呉(近江連合)

やろななぁ
274名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:38:16 ID:d6u()
※泰始元年(265年)、晋室が興り、詔を下すが長いので省略
鄧艾は罪に服したので後継を立てるのを許し、祭祀を絶やさせなかった
また議郎段灼が上疏して鄧艾を擁護する
九年(273年)にも詔があり嫡孫の鄧朗を郎中とする
275【48】 :2017/12/07(木)21:39:09 ID:RR9
>>273
法正(風間のおやっさん)
孔明(冷麺)
Vやねん!
276名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:39:18 ID:d6u()
艾在西時、修治障塞、築起城塢。泰始中、羌虜大叛、頻殺刺史、涼州道斷。吏民安全者、皆保艾所築塢焉。

鄧艾は西方にいた時、城塞を修理し、塢を築いた。泰始中(265-74年)、羌族が大いに背き、頻繁に刺史を殺し、涼州道を断った。吏民で安全であった者は、皆鄧艾の築いた塢に籠った者である。
277名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:40:26 ID:d6u()
評曰。鄧艾、矯然彊壯、立功立事、然闇于防患、咎敗旋至。

評に曰く。鄧艾は、強壮で、功を立て事績を立てたが、憂患を防ぐことには暗く、たちまち咎を受け敗れた。
278名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:41:19 ID:d6u()
これで鄧艾伝は終わりや
続けて潘濬伝やるで
279名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:41:33 ID:d6u()
潘濬、字承明、武陵漢壽人也。弱冠、從宋仲子、受學。

潘濬は、字を承明といい、武陵郡漢寿県の人である。弱冠(二十歳)にして、宋仲子から、学問を教わった。
280名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:42:28 ID:Hdc
そういえば姜維・鄧ガイときてなんで潘シュンなんや?
281名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:42:34 ID:d6u()
年、未三十、荊州牧劉表辟爲、部江夏從事。時、沙羡長、贓穢不脩。濬、按殺之、一郡震竦。後爲湘鄉令、治甚有名。

年が、三十にならぬうちに、荊州牧劉表に招かれ、江夏の従事となった。この時、沙羡の長は、賄賂を貰い身を修めなかった。潘濬は、法に照らして彼を殺し、一郡は震え竦んだ。後に湘郷令となり、統治は甚だ評判が良かった。
282名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:42:43 ID:SJH
ハンシュンって誰?
283名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:42:45 ID:Rhp
>>279
かれも宋子の弟子なんか
284【99】 :2017/12/07(木)21:42:51 ID:RR9
孫権「あーなんでこいつらは呂壱の悪事を言わなかったかなぁ!」
285名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:43:14 ID:SJH
>>281
収賄罪で処刑とか怖すぎやろ
286名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:43:16 ID:d6u()
>>280
時間的な問題でこの日が一番都合がよかった
287名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:43:31 ID:d6u()
劉備領荊州、以濬爲治中從事。備入蜀、留典州事。

劉備は荊州を領すと、潘濬を治中従事とした。劉備は蜀に入ると、留めて州の事を司らせた。
288名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:44:09 ID:Hdc
>>282
演義の被害者
289名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:44:47 ID:d6u()
>>282
一応演義には名前だけ出てるけど人物としては登場していない
正史の事績は今からやる
290名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:44:57 ID:d6u()
孫權、殺關羽、幷荊土、拜濬輔軍中郎將、授以兵。遷奮威將軍、封常遷亭侯。

孫権が、関羽を殺し、荊の地を併合すると、潘濬は輔軍中郎将に任じられ、兵を授けられた。奮威将軍に昇進し、常遷亭侯に封じられた。
291名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:45:21 ID:VY3
演義だとびほうふしじんと一緒に裏切ったやつだっけ
292名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:45:53 ID:Rhp
潘濬って正史だと高評価だし、当時もいい感じだった的なこと書かれてるけど


季漢輔臣賛じゃ、蜀呉どっちにも裏切者として罵倒された、見たいにかいてあるんよな
なぜやろ
293【95】 :2017/12/07(木)21:46:05 ID:RR9
呂壱のアレっぷりが一番書かれてるのって誰の伝なんやろ
294名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:46:10 ID:d6u()
>>289
人物として登場していないってなんかいいかた変やな
人物として活躍する場面がない
295名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:46:15 ID:d6u()
權稱尊號、拜爲少府、進封劉陽侯、遷太常。

孫権が皇帝を称すと、少府に任じられ、劉陽侯に封爵を進められ、太常に昇進した。
296名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:46:41 ID:Rhp
>>295
降伏者のくせに大出世やな
297名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:46:56 ID:d6u()
>>291
演義だと確か裏切った場面すらなかった気がする
298名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:47:05 ID:d6u()
五谿蠻夷、叛亂盤結、權假濬節、督諸軍討之。信賞必行、法不可干、斬首獲生、蓋以萬數、自是羣蠻衰弱、一方寧靜。

五谿の蛮族が、反乱して連結すると、孫権は潘濬に節を貸し与え、諸軍を督させて討伐させた。信賞は必ず行われ、法は曲げられず、首を斬り生け捕った者は、凡そ万を数え、これ以降諸蛮族は衰退し、一帯は安寧となった。
299名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:47:43 ID:Hdc
たしか全然出頭しないんでベットに縛り付けられて孫権のところにつれてかれたんだっけ?
300名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:47:57 ID:Rhp
>>299
おは張昭
301名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:48:02 ID:d6u()
>>292
季漢の立場やと裏切り者やから悪く書いたんやろ
302名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:48:08 ID:d6u()
先是、濬、與陸遜俱、駐武昌、共掌留事、還復故。時、校事呂壹、操弄威柄、奏按、丞相顧雍、左將軍朱據等、皆見禁止。

これより前に、潘濬は、陸遜と共に、武昌に駐屯し、共に事を掌握しており、帰るとまた事に当たった。この時、校事呂壱が、権威を弄し、上奏し、丞相顧雍、左将軍朱拠らを、皆拘禁した。
303名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:48:28 ID:Rhp
>>300
やと思ったけど違うンゴね、すまんこ
304名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:49:44 ID:Hdc
>>296
降伏したやつに高い地位を与えるのはわりかしあるね
黄権・夏侯覇もそうだったはず
305【50】 :2017/12/07(木)21:49:48 ID:16Y
>>275
とりあえずトン兄が真島の兄さんなのは間違いないやろな
306【68】 :2017/12/07(木)21:49:51 ID:RR9
呉の誤の元呂壱
なお最後のひと押しの二宮
307名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:50:11 ID:d6u()
>>293
この伝か顧雍伝か孫権伝に詳しかったはず
調べてないから後で調べる
308名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:50:15 ID:d6u()
黃門侍郎謝厷、語次、問壹「顧公、事何如」壹答「不能佳」

黄門侍郎謝厷が、話に次いで、呂壱に問うた「顧公(顧雍)は、どうなりますか」呂壱は答えた「よくはならない」
309【14】 :2017/12/07(木)21:50:17 ID:RR9
>>305
愛され枠がどっちにしろぶれない名采配
310名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:51:19 ID:SJH
武官、道案内、皇帝一族のカコウハは蜀にいなかったら困るレベルだし
311名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:51:27 ID:Hdc
>>308
「(マンゴー)見せて」「ここにはない」に通ずるものがある
312名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:51:31 ID:d6u()
厷又問「若此公免退、誰當代之」壹未答厷、厷曰「得無、潘太常得之乎」

謝厷はまた問うた「もし公が罷免されたなら、誰が代わりになりますか」呂壱が謝厷に答えぬうちに、謝厷は言った「なる者はおらず、潘太常(潘濬)がなるのではないでしょうか」
313名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:52:35 ID:d6u()
壹良久曰「君語、近之也」厷謂曰「潘太常、常切齒於君、但道遠、無因耳。今日代顧公、恐明日便擊君矣」壹、大懼、遂解散雍事。

呂壱はしばらくしてから言った「君の話が、近いであろう」謝厷は言った「潘太常は、常に君に切歯しておりますが、道が遠いので、何もしないだけです。今日顧公に代われば、恐らく明日ただちに君に攻撃しましょう」呂壱は、大いに恐れ、遂に顧雍を解放した。
314名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:53:34 ID:d6u()
濬、求朝、詣建業、欲盡辭極諫。至聞、太子登已數言之而不見從。

潘濬は、朝見を求め、建業に参り、言葉を尽くして強く諌めようとした。到ると、太子孫登がすでに何度も言ったが聞き入れられなかったと聞いた。
315名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:54:18 ID:SJH
顧雍クラスでさえ糾弾されるってヤバいやろ
孫権もそんな話信じるなや
316【16】 :2017/12/07(木)21:54:35 ID:RR9
迷采配連発時期の皇帝
317名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:54:38 ID:d6u()
濬、乃大請百寮、欲因會手刃殺壹、以身當之爲國除患。壹、密聞知、稱疾不行。

潘濬は、そこで百官を皆呼び、手ずから刃で呂壱を殺し、身をもって国の患いを除こうとした。呂壱は、密かに聞き知り、病と称して行かなかった。
318名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:55:12 ID:Tpt
もうだいぶジジイやからなあ
319名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:55:28 ID:Rhp
>>315
それでもなお黙る顧雍はホンモノの人物やな
320名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:55:30 ID:SJH
>>317
さっきから思ってたけどこいつやたら正義感強いな
321名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:55:37 ID:d6u()
濬、每進見、無不陳壹之姦險也。由此、壹寵漸衰、後遂誅戮。權、引咎責躬、因誚讓大臣。語在權傳。

潘濬は、拝謁のたびに、呂壱の奸悪さを述べた。そのため、呂壱の寵愛はだんだん衰え、後に誅殺された。孫権は、咎をもって自らを責め、大臣も責めた。話は孫権伝にある。
322名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:55:46 ID:Rhp
>>317
勇猛でいいと思う
323名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:56:41 ID:d6u()
>>320
潘濬は人格者や
潘姓嫌いのワイでも好きにならざるをえない
324名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:56:50 ID:d6u()
赤烏二年、濬卒、子翥嗣。濬女、配建昌侯孫慮。

赤烏二年(239年)、藩濬は亡くなり、子の藩翥が後を継いだ。藩濬の娘は、建昌侯孫慮に配偶された。
325名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:57:40 ID:Rhp
>>323
潘氏に何の恨みがあるんや……
326名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:58:09 ID:d6u()
評曰。潘濬、公清割斷。陸凱、忠壯質直。皆、節概梗梗、有大丈夫格業。

評に曰く。潘濬は、公正清廉で決断が出来た。陸凱は、忠義があり勇壮で実直であった。皆、節を曲げず、大丈夫の人格と業績があった。
327名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:58:56 ID:d6u()
>>325
潘氏というか殆ど金蓮と仁美のせいやけどワイの好きな人物陥れたから嫌いなんや
328【98】 :2017/12/07(木)21:59:00 ID:RR9
話は孫権伝にあるが今までの書いてあるよから言いたくもねぇよ感を感じる
329名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:59:02 ID:VY3
水滸伝の潘氏はヤバいやつら揃いな印象だけどなー
330名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)21:59:10 ID:Hdc
>>326
潘シュンは陸ガイとひとまとめにされとるんやな
331名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:00:00 ID:dMD
というか、大丈夫ってどういう意味なん?
博士やないやろ
332名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:00:35 ID:Tpt
呉の人たちってなんかちょっと不器用よな
333名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:00:47 ID:SJH
張昭がいなくなったのが終わりの始まりやな
334名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:00:47 ID:Rhp
>>331
立派な丈夫(ますらお・益荒男とも)

ってかんじやろ
335名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:01:02 ID:d6u()
>>328
正史やとAの伝に書いた話はBの伝では書かないことも多々あるんや

>>329
それで嫌い
金蓮と巧雲ほんと嫌い
336名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:01:37 ID:Rhp
>>333
いや、諸葛瑾・顧雍までが限界やな

顧雍はちょっと力不足が否めないが
337【73】 :2017/12/07(木)22:01:57 ID:RR9
国をあげての共産主義的な内ゲバ(主催皇帝)
338名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:02:37 ID:Tpt
呉は終わったな(確信)ってポイントだらけや
339名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:03:49 ID:23i
陸遜陸抗が最後の要やね
340名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:03:52 ID:d6u()
>>330
正史やと似た性質の人をまとめて立伝するから陳寿が似たような人やと思ったんやろ


今日ちょっと忙しいからもう落ちるわ
見てくれた人サンガツ
明日は20:30諸葛恪伝やるからよかったらみてクレメンス
ほな、また

時間は毎日20:30を予定
12/8(金) 諸葛恪
12/9(土) 陸抗、中国古典などに出てくる武器の紹介
12/10(日) 三国志演義一回
12/11(月) 三国志演義二回
12/13(火) 三国志演義三回
12/14(水) 三国志演義四回
12/15(木) 三国志演義五回
341【78】 :2017/12/07(木)22:03:59 ID:RR9
終わったな(確信)から終わった(断定)になるポイントが皇帝がらみとか言う
342名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:04:08 ID:SJH
そもそも孫策が死んだのが早すぎた
343名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:04:12 ID:Rhp
>>335
乙やでぇ
344名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:04:26 ID:Rhp
>>343
安価ミスったわ
345名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:04:44 ID:SJH
>>340
乙やで
346【85】 :2017/12/07(木)22:05:03 ID:RR9
おつやで
347名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:05:14 ID:Hdc
>>340

348名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:05:14 ID:23i

349名無しさん@おーぷん :2017/12/07(木)22:05:31 ID:Tpt
おつやでー
350【62】 :2017/12/07(木)22:06:19 ID:RR9
呉にはさらに二宮が待っているという事実
351名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:27:41 ID:zx3()
今日は諸葛恪伝や
352名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:28:26 ID:zx3()
途中送信してしまった

今日は諸葛恪伝やるからよかったら見て行ってクレメンス
30分から開始するで
353名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:30:17 ID:zx3()
そろそろ開始するで
354名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:30:31 ID:zx3()
諸葛恪、字元遜、瑾長子也。少知名。

諸葛恪は、字を元遜といい、諸葛瑾の長子である。若くして名を知られた。
355名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:31:33 ID:zx3()
弱冠拜騎都尉、與顧譚張休等、侍太子登、講論道藝、並爲賓友。從中庶子、轉爲左輔都尉。

弱冠(二十歳)にして騎都尉となり、顧譚、張休らと、太子孫登に侍り、道義や技芸を講論し、並んで賓友となった。中庶子から、左輔都尉に転じた。
356名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:32:35 ID:zx3()
恪父瑾、面長似驢。孫權、大會羣臣、使人牽一驢入、長檢其面、題曰、諸葛子瑜。

諸葛恪の父諸葛瑾は、面長で驢馬に似ていた。孫権は、群臣を大いに会させ、人に一頭の驢馬を引っ張ってこさせ、その面に長い札を貼り、題をつけた、諸葛子瑜と。
357名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:33:36 ID:zx3()
恪跪曰「乞請、筆益兩字」因聽與筆。恪續其下曰「之驢」舉坐歡笑、乃以驢賜恪。

諸葛恪は跪いて言った「お願いします、筆で二字を加えさせえてください」それを聞き入れて筆を与えた。諸葛恪は続けてその下に書いた「之驢(の驢馬)」座の者は笑い、こうして驢馬を諸葛恪に賜った。
358名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:34:38 ID:zx3()
他日復見、權問恪曰「卿父與叔父、孰賢?」對曰「臣父爲優」

後日また相見えると、孫権は諸葛恪に問うた「卿の父と叔父は、どちらが賢いか?」答えた「臣の父の方が優れております」
359名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:35:00 ID:msm
きたか
360名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:35:39 ID:zx3()
權問其故、對曰「臣父知所事、叔父不知。以是爲優」權又大噱。

孫権がそのわけを問うと、答えた「臣の父は仕えるべき所を知っておりますが、叔父は知りません。そのため優れております」孫権はまた大笑いした。
361名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:36:25 ID:zx3()
>>359
今日もよろしくやで
362名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:37:00 ID:zx3()
命恪行酒、至張昭前、昭先有酒色、不肯飲、曰「此、非養老之禮也」

諸葛恪に命じて酒を注ぎに行かせ、張昭の前に到ると、張昭はすでに酔った顔色をしており、飲もうとせず、言った「これは、老人を養う礼ではない」
363名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:38:01 ID:zx3()
權曰「卿、其能令張公辭屈、乃當飲之耳」恪難昭曰「昔、師尚父、九十、秉旄仗鉞、猶未告老也。

孫権は言った「卿が、張公を言葉で屈させれば、飲むであろう」諸葛恪は張昭を論難した「昔、師尚父(※)は、九十にして、旗を持ち鉞を杖とし、なおも老いたと言いませんでした。

※太公望のこと
364名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:38:48 ID:O5A
スープ―シャン「師尚!師尚!」
365名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:39:01 ID:zx3()
今軍旅之事、將軍在後。酒食之事、將軍在先。何謂不養老也?」昭卒無辭、遂爲盡爵。

今軍事については、将軍は後方に置かれております。酒食の事は、将軍は先頭に置かれております。どうして老人を養っていないと言われるのですか?」張昭はすぐに言葉が出でず、遂に杯を飲み干した。
366名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:39:53 ID:9PW
老人に酒を教養する鬼畜
367名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:40:11 ID:zx3()
後、蜀使至、羣臣並會、權謂使曰「此、諸葛恪、雅好騎乘。還告丞相、爲致好馬」

後に、蜀の使者が到り、群臣が並び会すと、孫権は使者に言った「この、諸葛恪は、常に騎乗を好んでいる。帰って丞相に告げ、良馬を送らせてくれ」
368名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:40:25 ID:O5A
ホンマ格はレスバ強いな
369名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:40:27 ID:l7X
孫権内心やったれやったれ!ワイは口では負けるから代わりに負かせろくらい思ってそう
370名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:40:56 ID:zx3()
>>366
孫権は酒が大好きで部下に無理やり飲ませたり諌められて止めたって逸話が結構残ってたりする
371名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:41:06 ID:zx3()
恪因下謝、權曰「馬未至而謝何也?」恪對曰「夫、蜀者陛下之外廄、今有恩詔、馬必至也。安敢不謝?」恪之才捷、皆此類也。

諸葛恪は(席を)下りて感謝したので、孫権は言った「馬がまだ来ていないのに感謝するのはどうしてだ?」諸葛恪は答えた「そもそも、蜀は陛下の外の厩で、今恩ある詔があれば、馬は必ず来ましょう。どうして感謝しないわけにいきましょうか?」諸葛恪の才覚は、皆この類であった。
372名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:41:25 ID:gUX
>>370
虞翻さんェ…
373名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:41:49 ID:zx3()
>>368
レスバも強いし軍事も出来る
ただ人格が残念と評されてる

>>369
絶対そう思ってるやろ
374名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:42:03 ID:O5A
>>371
うーんこの煽りカス
375名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:42:08 ID:zx3()
權甚異之、欲試以事、令守節度。節度、掌軍糧穀、文書繁猥、非其好也。

孫権はこれを甚だ異才だと思い、試しに実務をさせようとし、節度を兼任させた。節度は、軍の糧食や穀物を掌握し、文書の仕事が煩雑で、好みではなかった。
376名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:42:29 ID:JUo
>>370
酒の上での命令は無効やしな
377名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:42:37 ID:gUX
うんこも卵も一緒やっていったのは諸葛恪やっけ
378名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:42:44 ID:l7X
節度の癖に人格の節度が足りてないのはなぜなのか
379名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:42:55 ID:zx3()
>>372
酒から逃れようとしただけで殺そうとするってどうなのよ
380名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:43:07 ID:zx3()
恪、以丹楊山險、民多果勁、雖前發兵、徒得外縣平民而已、其餘深遠、莫能禽盡。屢自求、乞爲官出之、三年可得甲士四萬。

諸葛恪は、丹楊の山が険しく、民の多くは強いが、以前兵を徴発しても、いたずらに外の県の平民を得られただけで終わり、その他の深遠な地(にいる者)は、尽くを捕らえられなかったことから、何度も求め、地方の官僚になろうとし、三年で武装兵四万を得られるとした。
381名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:43:08 ID:O5A
>>375
リゲン「食糧の管理もできない奴wwwwwwwwwww」
382名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:43:20 ID:gUX
>>379
虞翻さんにも非はあります(真顔)
383名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:44:21 ID:zx3()
※人々の議論があるが省略
地形において不利、住人は武装し戦いに慣れている、蜂のように群がり鳥のように逃げる戦法で服従させ難いといった理由で困難だとした
384名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:45:13 ID:zx3()
>>377
孫登との話か?
385名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:45:24 ID:zx3()
恪父瑾聞之、亦以事終不逮、歎曰「恪不大興吾家、將大赤吾族也」

諸葛恪の父諸葛瑾がこれを聞くと、彼もまた事が終いまで遂げられないと思い、嘆いた「恪は我が家門を大いには興さぬ上に、我が一族を大いに空しくしてしまおう」
386名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:45:43 ID:VBQ
孫堅はもともと虞翻のこと嫌いそうやよな
387名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:45:47 ID:gUX
>>384
それやそれ
388名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:46:31 ID:zx3()
恪、盛陳其必捷。權、拜恪撫越將軍、領丹楊太守、授棨戟武騎三百。拜畢、命恪備威儀、作鼓吹、導引歸家。時年三十二。

諸葛恪は、盛んに必ず勝つと述べた。孫権は、諸葛恪を撫越将軍と、丹楊太守とし、棨戟(儀仗用の戟)を持った騎兵三百を授けた。拝命が終わると、諸葛恪に威儀を備えさせ、太鼓や笛を鳴らさせながら、引導をつけて家に帰した。この時年は三十二であった。
389名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:47:08 ID:VBQ
>>385
親父に見切られるとか趙活かな?
390名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:47:33 ID:zx3()
恪到府、乃移書四郡屬城長吏、令各保其疆界、明立部伍、其從化平民、悉令屯居。

諸葛恪は府に到ると、かくして書を四郡に属す城の長吏に届け、各自に境界を守らせ、部隊を明確に作らせ、教化されている平民は、尽く駐屯に住まわせた。
391名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:48:30 ID:zx3()
>>386
孫堅はどうなんだろうね?
孫権は嫌いというか恨むレベルまでいってるけど
392名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:48:40 ID:zx3()
乃分內諸將、羅兵幽阻、但繕藩籬、不與交鋒、候其穀稼將熟、輒縱兵芟刈、使無遺種。

かくして内地に諸将を分け、険阻に兵を配置し、籬を修繕させ、鋒先を交えさせず、穀物が熟すのを待ち、すぐさま兵を放って刈り取らせ、種すら残させなかった。
393名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:49:08 ID:gUX
>>391
誤爆と思われ
394名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:49:10 ID:l7X
孫権がネタ君主すぎるレベルでやらかしてるのが悪い
395名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:49:17 ID:VBQ
>>391
すまん変換ミスや
親子で読みが同じで紛らわしいンゴ
396名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:49:47 ID:zx3()
舊穀既盡、新田不收、平民屯居、略無所入、於是、山民飢窮、漸出降首。

元の穀物は尽き、新たな田に収穫はなく、平民は駐屯に住み、(平民から略奪しても)ほとんど手に入らなかったため、こうして、山民は飢えて窮まり、だんだんと出て降伏した。
397名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:50:31 ID:zx3()
>>395
ああそういうことか
確かに紛らわしいわ
398名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:51:02 ID:zx3()
恪乃復敕下曰「山民、去惡從化、皆當撫慰、徙出外縣。不得嫌疑有所執拘」

諸葛恪はかくしてまた命を下した「山民が、悪を捨てて教化に従えば、皆慰撫し、外の県に移せ。拘束して嫌疑させてはならない」
399名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:51:53 ID:zx3()
>>389
趙括は馬謖と諸葛恪を足したような人物やな
400名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:51:58 ID:gUX
>>398

平民から物資を略奪した将がそんな命令出していいんですかねぇ…
401名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:52:01 ID:3iy
孫堅、孫権
魯粛、魯淑
張昭、張承
呉はちょっと同じ読みの親子多すぎんよ
402名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:52:07 ID:zx3()
臼陽長胡伉、得降民周遺。遺、舊惡民、困迫暫出、內圖叛逆。伉、縛送、言府。

臼陽の長胡伉は、降伏した民周遺を捕らえた。周遺は、元は悪人で、迫られて出て来たが、内心叛逆を図っていた。胡伉は、縛って諸葛恪の府に送った(※)。

※「言府」がわからないが後の状況からとりあえずこう訳す
諸葛恪は字を元遜で、「言」と「遜」の文字は陸「遜」―伯「言」のように対応しているから、もしかしたら諸葛恪の旧名は諸葛言だったのかもしれない
情報求む
403名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:52:53 ID:O5A
>>401
発音が違うからな
同じ言葉でも4種類くらい違う発音するし
404名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:53:32 ID:zx3()
恪、以伉違教、遂斬以徇、以狀表上。民聞、伉坐、執人被戮、知官惟欲出之而已。於是、老幼相攜而出。

諸葛恪は、胡伉が命を違えたとし、斬って公布させ、実情を上表した。民は胡伉が人を捕らえたことにより殺されたと聞くと、官人はただ出て来てほしいだけだと知った。こうして、老幼は互いの手を引いて出て来た。
405名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:54:09 ID:l7X
>>399
つまり糞野郎かつ口だけのろくでなしで功績はあるんやな(すっとぼけ)
406名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:54:39 ID:zx3()
歲期、人數皆如本規。恪、自領萬人、餘分給諸將。

期限の年、人数は皆元々定めた通りとなった。諸葛恪は、自ら一万人を領し、その他は諸将に分け与えた。
407名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:56:00 ID:zx3()
>>405
すまん馬謖と諸葛恪の悪いところを足した人物って言いたかったんや
408名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:56:13 ID:zx3()
※孫権が功を慶賀して尚書僕射薛綜を遣わし軍を慰労する
薛綜が先んじて諸葛恪らに書を送るが長いので省略
409名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:56:26 ID:TlZ
孫権は人生楽しそうですこ
410名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:56:51 ID:4J0
>>407
パパはすごいのになぁ...
411名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:57:00 ID:l7X
部下は楽しくなさそうやな
412名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:57:04 ID:3iy
>>403
日本語だとすべて同じ読みになっちゃうからね、仕方ないね
413名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:57:23 ID:l7X
>>407
よし、こいつには何もないな!(追撃)
414名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:57:34 ID:zx3()
拜恪威北將軍、封都鄉侯。

諸葛恪を威北将軍とし、都郷侯に封じた。
415名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:57:49 ID:msm
ネームバリューだけの凡人?
416名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:58:12 ID:gUX
同じ酔っ払いでも曹操のがすこ
417名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:58:36 ID:zx3()
>>410
廉頗藺相如列伝読むたびにかわいそうになってくる
418名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:58:45 ID:zx3()
恪、乞率衆佃、廬江、皖口。因輕兵、襲舒、掩得其民而還。復遠遣斥候、觀相徑要、欲圖壽春。權以爲不可。

諸葛恪は、衆を率いて、廬江、皖口で屯田を行うことを求めた。軽装兵で、舒を襲い、その地の民をさらって帰ろうとした。また遠くに斥候を遣わし、小径や要地を見させ、寿春を図ろうとした。孫権はさせなかった。
419名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:58:54 ID:gUX
諸葛恪は才能はあるけど全部人格でダメにしてるよね
420名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:59:29 ID:TlZ
>>419
いるよなそういう人
421名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:59:31 ID:zx3()
>>413
おじさんやめちくりー
きちんと語るとそれはそれで面白そうやけどな
422名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)20:59:42 ID:zx3()
赤烏中、魏司馬宣王、謀欲攻恪。權方發兵應之、望氣者以爲不利、於是徙恪屯於柴桑。

赤烏(238-251年)中、魏の司馬宣王(司馬懿)が、諸葛恪を攻めようと謀った。孫権が兵を発して応戦しようとすると、運気を見る者が利がないと言ったため、こうして諸葛恪を移して柴桑に駐屯させた。
423名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:00:11 ID:vaa
孫静の曾孫たちといいなぜ呉の人格者の子孫は国を傾けるような破綻者ばかりなのか
424名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:00:25 ID:l7X
>>420
能力があるだけましなケースもあるのが悲しいなぁ
425名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:00:49 ID:l7X
>>421
よし、外伝でやろう(無茶ぶり)
426名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:00:51 ID:gUX
>>423
なんだかんだ孫堅の代からろくでもない気がする
427名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:00:56 ID:zx3()
※諸葛恪が丞相陸遜に書を与えるが長いので省略
諸葛恪は陸遜が自分の欠点を嫌っているのを知っていたため、書で欠点があっても大所高所から見てそれを責めてはならないと述べる
428名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:01:18 ID:gUX
>>427
自分でいうなし
429名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:01:25 ID:l7X
つまり呉はろくでなし一家だった…?
だな
430名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:01:44 ID:l7X
>>427
これは草
431名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:01:50 ID:zx3()
>>425
やってもいいけど需要あるかね?
藺相如が中国史で三番目に好きやからやりたくはあるけど
432名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:01:50 ID:VBQ
攻めることも守ることもさせてもらえないのは腹立つやろなあ
433名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:02:02 ID:zx3()
會遜卒、恪遷大將軍、假節、駐武昌、代遜領荊州事。

たまたま陸遜が亡くなり、諸葛恪は大将軍に昇進し、仮節となり、武昌に駐屯し、陸遜に代わって荊州の事を領した。
434名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:02:20 ID:TlZ
>>429
癖のあるやつばかりではある
435名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:02:24 ID:VBQ
>>433
たまたま…?
436名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:02:44 ID:gUX
>>435
孫権ェ……
437名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:02:56 ID:l7X
>>431
ワイは見たいと思いました(大声)
438名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:03:04 ID:zx3()
久之、權不豫、而太子少。乃徵恪、以大將軍、領太子太傅。中書令孫弘、領少傅。

久しくして、孫権は不予となり、太子は若かった。かくして諸葛恪を召喚し、大将軍のまま、太子太傅を兼任させた。中書令孫弘には、少傅を兼任させた。
439名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:03:16 ID:l7X
>>435
孫権「たまたま死んでしまったんや、何故やろ」
440名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:03:22 ID:TlZ
陸遜は労災やろ(すっとぼけ
441名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:03:43 ID:l7X
パワハラも労災のうちやしな
442名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:03:52 ID:zx3()
>>437
じゃあやるか
完璧の故事とか交えながらやれば恐らく見てくれる人もいるだろう
443名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:04:04 ID:l7X
>>442
やったぜ。
444名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:04:05 ID:zx3()
權疾困、召恪、弘及太常滕胤、將軍呂據、侍中孫峻、屬以後事。

孫権は病で危篤となると、諸葛恪、孫弘及び太常滕胤、将軍呂拠、侍中孫峻を召し、後事を託した。
445名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:04:39 ID:vaa
孫峻……
446名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:05:04 ID:zx3()
翌日、權薨。弘、素與恪不平、懼爲恪所治、祕權死問、欲矯詔除恪。

翌日、孫権が死んだ。孫弘は、平素より諸葛恪と仲が悪く、諸葛恪に処断されるのを恐れ、孫権の訃報を秘匿し、詔と偽って諸葛恪を除こうとした。
447名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:05:32 ID:gUX
>>446
どっちも救えないやつで草も生えない
448名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:05:33 ID:VBQ
政治(争い)100の孫峻さん
449名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:05:56 ID:l7X
宮女犯しマン!宮女犯しマンじゃないか!
450名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:06:03 ID:zx3()
峻、以告恪。恪、請弘咨事、於坐中誅之、乃發喪制服。

孫峻は、その事を諸葛恪に告げた。諸葛恪は、孫弘に事を諮問する名目で呼び、座の中で誅殺し、その後喪を発して服させた。
451名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:06:26 ID:l7X
>>446
どっちも死ね感半端ない戦い
452名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:06:50 ID:vaa
なお孫峻は諸葛恪に殴られる夢を見て病に倒れ亡くなる模様
453名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:07:02 ID:zx3()
※弟で公安の督の諸葛融に書を送るが長いので省略
自分は重責を受けたので親族の君が助けてくれと言う
454名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:08:10 ID:zx3()
恪、更拜太傅。於是、罷視聽、息校官、原逋責、除關稅。事崇恩澤、衆莫不悅。恪每出入、百姓延頸、思見其狀。

諸葛恪は、改めて太傅となった。こうして、監察を止め、校官を廃止し、債務から逃れるのを許し、関税を廃止した。諸事に恩恵を施したので、衆で喜ばぬ者はなかった。諸葛恪が出入りするたびに、百姓は首を伸ばし、様子を見ようと思った。
455名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:08:23 ID:l7X
>>452
夢でも面倒な男である
エルム街の悪夢みたいなやつ
456名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:08:26 ID:VBQ
呉って身内どうしで殺し合いし過ぎやろ
457名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:08:50 ID:gUX
>>456
はしりは孫権と張昭の喧嘩やろか
458名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:09:21 ID:zx3()
初權、黃龍元年、遷都建業、二年築東興隄、遏湖水。後、征淮南、敗以內船、由是廢、不復脩。

当初孫権は、黄龍元年(229年)に、建業に遷都し、二年(230年)に東興隄を築き、湖水をせき止めた。後に、淮南を征伐すると、壊して内に船を入れ、そのため廃され、再びは直されていなかった。
459名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:09:28 ID:msm
元々気性がおかしい地域なんか?呉は?
460名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:09:54 ID:TlZ
>>459
中原の人とは文化が違いそうな気はする
461名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:10:34 ID:vaa
豪族の連合体だからしゃーない
孫策時代にもう陸家と一悶着あったし
462名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:10:37 ID:l7X
日本住血吸虫のせいでアレになった甲斐の人みたいな扱いやめーや
463名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:10:40 ID:zx3()
魏は魏で内乱起こしまくりやし皇帝殺しまであったからな
蜀は平和とはいえ朝廷は乱れていたそうな
464名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:10:45 ID:zx3()
恪以、建興元年十月、會衆於東興、更作大隄、左右結山、俠築兩城、各留千人。使全端、留略、守之、引軍而還。

諸葛恪は、建興元年(252年)十月、衆を東興に集め、改めて大きな堤を造り、左右の山まで続かせ、それを挟むように二つの城を築き、各々に千人を留めた。全端、留略に、これを守らせ、軍を引き連れて帰った。
465名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:10:55 ID:gUX
>>459
もともとは漢民族じゃなかった気がする

春秋の楚王は漢民族の婦女に憧れて立ってあったきがしないでもない
466名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:11:51 ID:zx3()
魏、以吳軍入其疆土、恥於受侮、命大將胡遵、諸葛誕等、率衆七萬、欲攻圍兩塢、圖壞隄遏。


魏は、呉軍を領土に入らせ、侮りを受けたのを恥じ、大将胡遵、諸葛誕らに、衆七万を率いさせ、二つの塢を包囲させ、堤を壊そうと図った。
467名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:12:53 ID:zx3()
恪、興軍四萬、晨夜赴救。遵等、敕其諸軍、作浮橋度、陳於隄上、分兵攻兩城。城在高峻、不可卒拔。

諸葛恪は、軍四万を起こし、朝夜救援に赴いた。胡遵らは、諸軍に命じ、浮橋を作って渡り、堤の上に陣を敷き、兵を分けて二つの城を攻めさせた。城は高く険しく、にわかには抜けなかった。
468名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:12:59 ID:l7X
絵にかいた餅おじさん
469名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:13:43 ID:gUX
>>468
小狗系おじさんやぞ
470名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:13:55 ID:VBQ
>>464
留略の親父もキャラ濃いよな
471名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:14:05 ID:zx3()
恪、遣將軍、留贊、呂據、唐咨、丁奉、爲前部。

諸葛恪は、将軍をの、留賛、呂拠、唐咨、丁奉らを遣わし、先鋒とした。
472名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:14:35 ID:vaa
キャ-リュ-サ-ン!!
473名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:14:55 ID:VBQ
>>471
そうそうたる面子やな
474名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:14:57 ID:gUX
>>470
歌大すこのびっこおじさん
475名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:14:59 ID:O5A
内紛でゴミクズになった呉が持ってたのって陸抗と諸葛格のおかげだし…
476名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:15:04 ID:zx3()
>>468
諸葛恪は才能はあるんや
あるんやけど人格がちょっとな
477名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:15:16 ID:zx3()
時天寒雪、魏諸將會飲、見贊等兵少、而解置鎧甲、不持矛戟、但兜鍪刀楯、倮身緣遏、大笑之、不卽嚴兵。

この天候は寒く雪が降り、魏の諸将は酒宴をしていたが、留賛らの兵が少なく、鎧や甲冑を脱いで置き、矛や戟を持たず、ただ兜、刀、楯だけで、裸身でよじ登ろうとするのを見ると、これを大笑いし、即座に兵を厳重にしなかった。
478名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:15:34 ID:O5A
>>471
武将が足りなくなる後半では珍しいガチパ
479名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:16:18 ID:zx3()
>>473
そう
そしてこれだけは言いたいけど無双の丁奉見てガイジ扱いするのやめてほしい
480名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:16:22 ID:l7X
姜維「なんでだよ!」
宮廷「お前ですら器じゃない」
481名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:16:29 ID:zx3()
兵得上、便鼓譟亂斫。魏軍、驚擾散走、爭渡浮橋、橋壞絕、自投於水、更相蹈藉、樂安太守桓嘉等同時幷沒、死者數萬。

兵は上れると、ただちに太鼓を騒がせ乱れ斬った。魏軍は、驚き乱れて離散し、浮橋を争って渡ると、橋は壊れ、自ら水に落ち、さらに踏み合ったため、楽安太守桓嘉らは同時に没し、死者は数万であった。
482名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:16:47 ID:gUX
>>479
丁奉って無双だとガイジなんか?
483名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:17:10 ID:vaa
歌大好きおじさん大暴れで草
484名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:17:31 ID:O5A
>>479
三大のテイホウは呂蒙と組ませると強いから許してやってくれ
485名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:17:31 ID:zx3()
故叛將韓綜、爲魏前軍督、亦斬之。獲車乘牛馬驢騾各數千、資器山積、振旅而歸。

昔反した将韓綜は、魏の前軍督となっていたが、これもまた斬った。車、牛、馬、驢馬、騾馬を各数千獲得し、物資、武器を山積みし、軍旅を振るわせて帰った。
486名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:17:59 ID:O5A
>>481
こいついつも騒がせてんな
487名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:18:15 ID:zx3()
>>482
見た目がパワー系だったから最初に情報出たとき池沼池沼言われてた
今はいうやつあまりいないか
488名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:18:32 ID:zx3()
進封恪陽都侯、加荊揚州牧、督中外諸軍事、賜金一百斤、馬二百匹、繒布各萬匹。

諸葛恪を陽都侯に封爵を進め、荊、揚州牧を加え、内外の諸軍事を督させ、金百斤、馬二百匹、絹と布を各一万匹を賜った。
489名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:18:47 ID:VBQ
>>481
地獄やな
>>485
韓当が泣いてるぞ
490名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:19:01 ID:JUo
>>482
見た目がストⅡのバイソンの中身ポエマー
491名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:19:29 ID:gUX
>>487
サンガツ
492名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:19:41 ID:zx3()
恪、遂有輕敵之心。以十二月戰克、明年春、復欲出軍。

諸葛恪は、こうして敵を軽んじるようになった。十二月の戦いに勝ち、翌年の春、また出陣しようとした。
493名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:19:49 ID:VBQ
>>482
無双丁奉見た時のワイのアッネ「人喰ってそう」
494名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:20:00 ID:TlZ
丁奉っていま顔あり武将なんやな
このスレ見てるといつも無双やりたくなんねんけど終わると満足してまうねんな
495名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:20:04 ID:l7X
こ う し て 
496名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:20:12 ID:gUX
>>488
呉ってどうしても二代目に育成に失敗するよね

成功したのは陸遜くらいかな?
497名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:20:34 ID:zx3()
諸大臣以爲、數出罷勞、同辭諫恪、恪不聽。中散大夫蔣延、或以固爭、扶出。

諸大臣は、何度も出陣して疲労していることから、言葉を揃えて諸葛恪を諌めたが、諸葛恪は聞かなかった。中散大夫蒋延が、あるいは強く論争すると、連れ出された。
498名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:21:06 ID:l7X
>>496
孫登「早死にするという育成失敗」
499名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:21:34 ID:zx3()
※諸葛恪が論を著し衆を諭したが長いので省略
古今では座して動かず敵を強大にさせてしまった例が多くあるとし、今出陣しなければならないと主張
衆は皆諸葛恪の意思の固さを知り反論しなくなってしまう
500名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:21:37 ID:JUo
>>496
二代続けて名将名臣自体少ないやろ
501名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:22:21 ID:zx3()
>>496
むしろ陸抗が特例だと思う
502名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:22:38 ID:zx3()
※丹楊太守聶友が諌めるが長いので省略
諸葛恪は上記の論を書き写して聶友に渡し、読んで納得してもらおうとした
諸葛恪は結局二十万の軍を発し、百姓を騒がせ人心を失ってしまう
503名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:22:39 ID:gUX
>>500
名将名臣とは言わんが、害悪になったり池沼だったり敵国に降って祖国に仇名すやからが多いんじゃ…
504名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:22:40 ID:O5A
>>492
フラグが経ったな
>>494
ワイも鄧艾伝終わった後魚無双8やりたいって思ったけど
冷静になってどうせ面白くないからええわってなって辞めた
505名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:22:56 ID:VBQ
曹操「数打てば当たるやろ」
506名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:23:15 ID:gUX
>>505
ホントにあったったんだよなぁ
507名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:23:35 ID:O5A
>>502
この辺姜維とやってること同じだな
508名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:23:57 ID:zx3()
恪意、欲曜威淮南、驅略民人。而、諸將或難之曰「今引軍深入、疆埸之民、必相率遠遁、恐兵勞而功少。

諸葛恪の意は、威を淮南に輝かせ、民人を略奪することにあった。しかし、諸将のある者が論難した「今軍を引き連れて深く入れば、国境の民は、必ず互いを率いて遠くに遁走し、恐らく兵は苦労しても功は少ないでしょう。
509名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:24:24 ID:l7X
うーんこの
510名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:24:49 ID:O5A
>>499
実際国力差が開きすぎてる上に呉は二宮でボロボロだから
戦える時に戦わないとじり貧で詰むんだよな
この時点でほぼ詰んでるけど
511名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:24:52 ID:zx3()
>>507
実績出してから驕って没落
今回は鄧艾もそうやし姜維や諸葛恪とそういう人物ばっかりやな
512名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:25:12 ID:zx3()
不如、止圍新城。新城困、救必至。至而圖之、乃可大獲」

止まって新城を囲んだ方がよろしいでしょう。新城が困窮すれば、救援が必ず到ります。到ってこれを図れば、大きな利を得られます」
513名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:25:33 ID:O5A
>>508
本当呉は人口不足だなぁ
呉三国志とかいう本でもずっと後半その事ばっかやってたわ
514名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:26:09 ID:zx3()
>>510
今回略しちゃったけど言ってることは正論なんだよね
諸葛恪伝全部訳そうとすれば多分日をまたいでしまうからかなり省略させてもらったけど
515名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:26:10 ID:gUX
>>513
蜀漢「」
516名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:26:19 ID:zx3()
恪從其計、迴軍還圍新城。攻守連月、城不拔。士卒疲勞、因暑飲水、泄下流腫、病者大半、死傷塗地。

諸葛恪はその計に従い、軍を回らせて帰って新城を囲んだ。連月攻守したが、城は抜けなかった。士卒は疲労し、暑さのため水を飲み、下痢や脚気になり、大半が病人になり、死傷者は地を覆った。
517名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:26:31 ID:VBQ
ようこそガッピーランドへ
518名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:26:35 ID:O5A
どうでもええけど無双8の公式サイトのシナリオが三国鼎立までってどういうことやねん
舐めてるのか
519名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:27:05 ID:TlZ
>>513
船出して日本まで人さらいに来ようとしてたんやで
無理やったけど
520名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:27:25 ID:zx3()
諸營吏日白病者多、恪以爲詐、欲斬之。自是莫敢言。恪、內惟失計、而恥城不下、忿形於色。

諸営の吏は毎日病人が多いと申したが、諸葛恪は偽りだとし、斬ろうとした。それより言おうとする者はいなくなった。諸葛恪は、内心失計だと思い、しかも城を下せぬのを恥じ、怒りが表れた。
521名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:27:39 ID:l7X
ここで死ねのガッピーシンジョーランド
522名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:27:47 ID:O5A
>>516
こいつらいつも合肥で負けてんな
523名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:28:17 ID:l7X
合肥は八百長レベルで負ける呉サイドにも問題がある
524名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:28:38 ID:zx3()
>>518
晋の勢力がいるから晋の成立まではやるんやない?
525名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:28:38 ID:gUX
>>522
劉馥がすごかっただけや
526名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:28:53 ID:zx3()
將軍朱異、有所是非。恪、怒立、奪其兵。都尉蔡林、數陳軍計、恪不能用、策馬奔魏。魏、知戰士罷病、乃進救兵。恪、引軍而去。

将軍朱異が、是非を述べた。諸葛恪は、立腹し、その兵を奪った。都尉蔡林が、何度も計を述べたが、諸葛恪に用いられず、馬に鞭打って魏に走った。魏は、兵士が疲れて病となっていると知り、かくして救援の兵を進めた。諸葛恪は、軍を率いて退却した。
527名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:29:38 ID:VBQ
>>520
大見得切って出てきたから戻れんやろなあ
いっそ魏に降伏すれば
528名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:29:41 ID:msm
合肥は当たってあとは流れで……
529名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:29:52 ID:l7X
自分の失敗を認められない男
530名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:29:55 ID:JUo
>>518
今、夷陵当たりまで追加されてるぞ
531名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:30:04 ID:zx3()
士卒傷病、流曳道路、或頓仆坑壑、或見略獲。存亡忿痛、大小呼嗟。而、恪晏然自若。

士卒は傷病し、道中で流離い、ある者は穴や溝に倒れ、ある者は捕らえられた。生者も死者も悲憤し、貴人も賎民も怨嗟した。しかし、諸葛恪は泰然自若としていた。
532名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:30:15 ID:fng
朱異はあの最期といい愚直すぎたなぁ
533名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:30:48 ID:gUX
>>531
面の皮コロコロコミックやな
534名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:31:02 ID:O5A
>>524
どうせなら蜀滅亡までやるべきやろ
姜維プレイなら演義さながらの周り全部敵な感覚が楽しめるぞ!
535名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:31:10 ID:zx3()
出、住江渚一月、圖起田於潯陽。詔召相銜、徐乃旋師。由此、衆庶失望、而怨黷興矣。

出でて、長江の岸辺に一月留まり、潯陽で屯田をしようと図った。召還の詔が続き、ようやく軍を戻した。これらから、衆に失望され、怨みと非難が興った。
536名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:32:12 ID:zx3()
秋八月軍還、陳兵導從、歸入府館。卽召中書令孫嘿、厲聲謂曰「卿等、何敢妄數作詔?」嘿、惶懼辭出、因病還家。

秋八月軍を帰し、兵を並べて先導、従者とし、帰って府館に入った。即座に中書令孫嘿を召し、声を荒げて言った「卿らは、どうして妄りに何度も詔を作ったのだ?」孫嘿は、恐れて辞去すると、病となって家に帰った。
537名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:32:27 ID:l7X
ギャンブルでちょっとすったけど勝って見栄張るために生活費ぶち込んだような感覚やろな
538名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:32:48 ID:zx3()
>>534
なんやそれ悲しすぎるやろ
味方になってくれるプレイアブルキャラって夏侯覇くらいしかおらんやん
539名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:33:11 ID:zx3()
恪征行之後、曹所奏署令長職司、一罷更選。愈治威嚴、多所罪責、當進見者、無不竦息。又、改易宿衞、用其親近。復敕兵嚴、欲向青徐。

諸葛恪は出征の後、選曹が上奏して任命した令、長、職、司を、一斉に罷免して改めて選んだ。威厳を増そうとし、多く者の罪を責め、謁見する者で、息を潜めぬ人はいなかった。また、宿衛を改め、親しい者を用いた。また兵を整えるよう命じ、青、徐に向かおうとした。
540名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:33:20 ID:VBQ
この時の合肥新城の守将はカンキュウケン・文欽、援軍は芝生とまだまだ人材豊富
541名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:34:00 ID:fng
>>540
なお前者二人
542名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:34:23 ID:zx3()
孫峻、因民之多怨、衆之所嫌、搆恪欲爲變、與亮謀、置酒請恪。

孫峻は、民の多くが怨み、衆が嫌っていることにより、諸葛恪に(策を)講じて変事を起こそうとし、孫亮と謀り、酒を用意して諸葛恪を呼んだ。
543名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:34:59 ID:gUX
>>542
孫峻さんもたいがいですねぇ…
544名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:35:11 ID:l7X
>>542
どの口で言うのか
545名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:35:28 ID:zx3()
恪、將見之夜、精爽擾動、通夕不寐。

諸葛恪は、会見の前夜、精神が乱れ、夜を通して眠れなかった。
546名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:35:59 ID:O5A
>>538
でもワイは鄧艾使って蜀滅ぼしたいし…
後キャラクター欄にカコウハいなくね?

てか袁紹軍誰もいなくて草、ワイの好きな武将全然いねえじゃん
547名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:36:03 ID:JUo
>>538
なお
月英・ギンペー・関索・鮑・劉禅が対蜀最終ステージに出てくる模様
548名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:36:08 ID:l7X
だいぶ前から乱れてると思う
549名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:36:26 ID:zx3()
明將盥漱、聞水腥臭、侍者授衣、衣服亦臭。恪、怪其故、易衣易水、其臭如初、意惆悵不悅。

明けて顔を洗おうとすると、水が生臭く、従者が衣を渡すと、衣服もまた臭かった。諸葛恪は、そのわけを怪しみ、衣を換え水を換えたが、その臭いは初めと同じく、恨み嘆いて喜ばなかった。
550名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:36:38 ID:gUX
>>547
後主以外創作人物で草
551名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:36:46 ID:O5A
>>540
裏切りそうなメンツで草
552名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:36:56 ID:zx3()
>>546
覇ってリストラなの!?
味方誰もおらんやん
553名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:37:17 ID:l7X
三国志13の劉禅ってなんか刑事コロンボみたいな感じだしてるよな
554名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:37:19 ID:gUX
>>552
戦う黄皓がいるやで(ニッコリ)
555名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:37:30 ID:JUo
>>546
かこうはは晋扱いやぞ
556名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:37:30 ID:zx3()
嚴畢趨出、犬銜引其衣、恪曰「犬、不欲我行乎」還坐。頃刻乃復起、犬又銜其衣、恪令從者逐犬、遂升車。

支度を終えて進み出ようとすると、犬がその衣をくわえて引っ張ったので、諸葛恪は言った「犬よ、私を行かせようとしないのか」帰って座った。しばらくしてまた起つと、犬はまたその衣をくわえたので、諸葛恪は従者に犬を放逐させ、遂に車に乗った。
557名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:37:41 ID:fng
>>547
呉なんて孫亮の代で晋に滅ぼされたことになってるし、まあ多少はね?
558名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:38:05 ID:VBQ
>>556
護身完成かな?
559名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:38:12 ID:O5A
>>547
女性キャラとと創作人物しかおらんの草
560名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:38:15 ID:JUo
>>557
アレを出さない優しい世界
561名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:38:33 ID:zx3()
初、恪將征淮南、有孝子著縗衣、入其閤中。從者白之、令外詰問、孝子曰「不自覺入」時、中外守備、亦悉不見、衆皆異之。

当初、諸葛恪が淮南を征討しようとすると、孝行者が喪服を着て、閤の中に入っていた。従者がそれを申し、外に出して詰問させると、孝行者は言った「自覚せずに入っておりました」この時、中外の守備兵は、誰も見ておらず、衆は皆不思議に思った。
562名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:39:00 ID:VBQ
>>547
廖化「だから俺をプレイアブル化しろと」
563名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:39:09 ID:zx3()
>>554
それアカンやつですやん
564名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:39:16 ID:l7X
>>560
あんな奴出せるわけないだろ!
565名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:39:30 ID:O5A
>>552
晋におったわすまんな
マスク被ってんのは三大リスペクトなんか…?
566名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:39:34 ID:zx3()
出行之後、所坐廳事屋、棟中折。自新城、出住東興、有白虹見其船。還拜蔣陵、白虹復繞其車。

出行の後、勤めていた役所の屋根の、棟が真ん中から折れた。新城から、東興に出て留まると、白虹がその船に現れた。帰って蒋陵(孫権の墓)に参拝すると、白虹がまたその車を囲んだ。
567名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:39:36 ID:JUo
まぁ、無双8の蜀の新規参戦が周倉な時点でお察しよ
568名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:40:11 ID:gUX
>>564
家臣一同家族同然推しの無双呉でそんなことできるわけないじゃないですか
569名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:40:23 ID:O5A
>>564
ワイはみたいで
でもその前に陸抗やな
570名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:40:36 ID:zx3()
及將見、駐車宮門。峻、已伏兵於帷中、恐恪不時入事泄、自出見恪曰

会見に及び、車を宮門に停めた。孫峻は、すでに兵を帷の中に伏せ、諸葛恪がすぐ入らねば事が漏れると恐れ、自ら出で諸葛恪に会って言った
571名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:40:51 ID:fng
でも呉はラストエンペラーのやべーやつのところまで再現してもらわないと張悌や沈瑩の勇姿が見られないんだよなぁ
572名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:04 ID:zx3()
>>565
三大知らんから調べてみたらマスクとかいうレベルやなくて草
573名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:06 ID:9PW
白虹って中国では不吉の前兆なんね
なんか綺麗ぽいのに
574名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:18 ID:gUX
こんなにフラグ立ってんのに気づけよ諸葛恪
575名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:19 ID:VBQ
>>569
陸抗出すなら羊祜も出さんとな
576名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:21 ID:l7X
>>567
家族だから呂壱や二宮が起きたんやな
しゃーないしゃーない切り替えていく
577名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:30 ID:O5A
>>571
そうそうワイもそいつらの輝いてる所が見たい
特に張テイ
578名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:50 ID:JUo
>>568
おかげで二宮が出来んくなったわ

>>569
パッパが次世代の若者枠やからなぁ
579名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:56 ID:zx3()
「使君、若尊體不安、自可須後。峻、當具白主上」欲以嘗知恪。恪答曰「當自力入」

「使君、もしお体が不調なら、後でもよろしいです。孫峻が、主上につぶさに申し上げましょう」諸葛恪が察知しているか探った。諸葛恪は答えた「入るよう努める」
580名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:41:59 ID:O5A
>>566
こいついつもフラグ立てられてんな
581名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:42:21 ID:gUX
>>578
陸抗はショタで!(暴論)
582名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:42:23 ID:zx3()
>>573
ワイも気になってきた
誰かわかる人いたらオナシャス
583名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:42:53 ID:l7X
ファイナルディスティネーション並にフラグ立てとるなこいつ
584名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:43:14 ID:zx3()
散騎常侍張約、朱恩等、密書與恪曰「今日張設非常、疑有他故」恪、省書而去。

散騎常侍張約、朱恩らが、密書を諸葛恪に与えた「今日の(酒宴の)用意は普通ではなく、他意を疑えます」諸葛恪は、書を省みて去った。
585名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:43:34 ID:O5A
三国志後半の武将はほとんど語られんからな
イッチはホンマサンキューやで
>>575
ドヨも出さんとな
586名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:44:29 ID:zx3()
未出路門、逢太常滕胤。恪曰「卒腹痛、不任入」

路門を出ぬうちに、太常滕胤に会った。諸葛恪は言った「にわかに腹が痛くなったので、入れない」
587名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:44:49 ID:JUo
晋の新規に辛い憲英来たからワンチャン
588名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:45:00 ID:l7X
原文の卒腹痛にちょっとジワった
589名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:45:21 ID:zx3()
>>585
こちらも見てくれてうれしいで
日本やと孔明の死後は知らん人も多いからなぁ
590名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:45:37 ID:zx3()
胤、不知峻陰計、謂恪曰「君、自行旋未見。今上、置酒請君。君已至門、宜當力進」

滕胤は、孫峻の密計を知らず、諸葛恪に言った「君は、行って帰還してからまだ拝謁をしておりません。今上は、酒を用意して君を招いております。君はすでに門まで来ているので、進むよう努めるのがよろしいでしょう」
591名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:46:50 ID:zx3()
恪、躊躇而還、劍履上殿、謝亮、還坐。

諸葛恪は、躊躇して戻り、剣を帯び靴を履いたまま殿に上り、孫亮に感謝し、座についた。
592名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:47:05 ID:gUX
>>590
滕胤ナイスやで
593名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:47:08 ID:VBQ
ちょっとググったら白虹はケイカが秦王(のちの始皇帝)を暗殺しようとしたときにも発生したらしい
それで不吉の前兆になったとか
594名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:47:25 ID:l7X
滕胤の伝ってあるんかな、宮女犯しニキと一緒にくくられてる?
595名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:47:37 ID:zx3()
>>587
今回そんなちょい役が出るんか
杜預とかおるやろ
596名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:47:46 ID:zx3()
設酒、恪疑、未飲、峻因曰「使君、病未善平、當有常服藥酒。自可取之」恪、意乃安、別飲所齎酒。

酒を用意されると、諸葛恪は疑い、飲まず、孫峻はこうして言った「使君の、病はまだ良くなっていないので、常に服している薬酒がございましょう。取って来られては」諸葛恪は、安心し、別に持ってきた酒を飲んだ。
597名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:47:58 ID:gUX
>>593
それって暗殺失敗の予兆ってことになるんじゃ……
598名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:48:32 ID:zx3()
>>594
あるで
というか諸葛恪と同じ巻に立伝されとる
599名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:48:43 ID:zx3()
酒數行、亮還內。峻、起如廁。解長衣、著短服、出曰「有詔、收諸葛恪!」恪、驚起、拔劍未得而峻刀交下。

酒が数度巡ると、孫亮は内に帰った。孫峻は、起き立って厠に行った。長い衣を脱ぎ、短い服を着、出て言った「詔があり、諸葛恪を捕らえよ!」諸葛恪は、驚いて起き立ったが、剣を抜かぬうちに孫峻の刀が交々と下った。
600名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:48:50 ID:9PW
古代中国では、白虹が天子を表す日(太陽)を貫くことは大乱の兆しとされ、司馬遷の『史記』にも記述がある。
らしい
601名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:49:26 ID:l7X
>>598
いやな巻やなぁ…サンガツ
602名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:49:44 ID:TlZ
どうしようPS4買うかなあ
でも今のワイのゲーム力じゃ絶対最後までやれんなあ
603名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:49:50 ID:zx3()
張約、從旁斫峻、裁傷左手。峻、應手斫約、斷右臂。武衞之士、皆趨上殿、峻云「所取者恪也、今已死」悉令復刃。乃除地、更飲。

張約、傍らから孫峻を斬り、左手を傷つけた。孫峻は、手に応じて張約を斬り、右肘を切断した。護衛の士が、皆殿に駆け上がると、孫峻は言った「捕らえるべき諸葛恪は、今すでに死んだ」ことごとく刃を収めさせた。かくして地面を掃除し、改めて飲んだ。
604名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:50:11 ID:fng
諸葛恪→孫峻→孫綝とかいう暗黒時代
605名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:50:14 ID:O5A
>>572
三大は時々キャラ濃いのおるからな
ワイの中で歩シツはガリベン君のイメージでもう固定されてるわ
606名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:50:18 ID:zx3()
>>593
>>600
サンガツ
607名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:50:26 ID:l7X
よっしゃ飲んだろ!
608名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:50:28 ID:JUo
>>595
女キャラは絶対出さなアカンし、晋はまだ二人しかおらんし
後推測やが、辛ピや羊コを追加する時に絡みを作りやすいと思う
609名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:50:50 ID:zx3()
※これより先に童謡で諸葛恪が石子岡に葬られることが予言されるが省略
諸葛恪は実際石子岡に遺体を棄てられる
後に遺体を埋葬することを許されるがそのくだりも省略する
610名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:51:21 ID:l7X
>>604
孫皓「反面教師や!」
611名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:51:58 ID:zx3()
評曰。諸葛恪、才氣幹略、邦人所稱。然驕且吝、周公無觀、況在於恪。矜己陵人、能無敗乎。

評に曰く。諸葛恪は、才気と謀略を、国の人に称えられた。しかしながら驕慢かつ物惜しみし、それがあれば周公ですら見るに堪えず(※)、ましてや諸葛恪ならなおさらである。己を誇り人を凌辱し、敗れないわけがない。

※周公は周の時代の政治家
立派な人物としてよく名前が挙がるが、ここでは諸葛恪のような欠点があれば周公ですら見るに堪えなくなるというように諸葛恪を批判する目的で使用されている
612名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:52:05 ID:gUX
>>610
ヒキニートは黙ってて
613名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:52:51 ID:fng
>>610
おまえも最初は孫策の再来とか言われてたんだよなぁ
614名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:53:02 ID:zx3()
>>605
ググったらあへ顔で勉強してる奴出て来たんやけど
615名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:53:12 ID:zx3()
若躬行所與陸遜及弟融之書、則悔吝不至、何尤禍之有哉。

もし自ら陸遜及び弟諸葛融に与えた書のように行っていれば、後悔はせず、どうして禍が起こったであろうか。
616名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:54:25 ID:zx3()
>>608
なるほど
羊祜は恐らく出るからそのためね
617名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:54:50 ID:TlZ
>>615
辛辣で草
618名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:55:35 ID:fng
孫堅四天王最後の一人はいつプレイヤーキャラ化されそうですか?
619名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:55:47 ID:O5A
でも孫シュンに諸葛格波の才能があったかというと…
>>614
彼が歩シツです(キリ
620名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:57:22 ID:l7X
才能と性格兼ね備えるとか難しすぎんだよなぁ…
光武帝助けて!
621名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:57:45 ID:VBQ
>>618
祖茂祖茂あいつ記録全然ないやん
622名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:57:59 ID:zx3()
これで諸葛恪伝は終わりや
見てくれた人サンガツ
ワイ今日も忙しいんでもう落ちるわ
明日9日は20:30から陸抗伝とおまけに中国の古典とかに出て来る武器の紹介もやるからよかったら見に来てクレメンス
ほな、また

時間は毎日20:30を予定
12/9(土) 陸抗、中国古典などに出てくる武器の紹介
12/10(日) 三国志演義一回
12/11(月) 三国志演義二回
12/13(火) 三国志演義三回
12/14(水) 三国志演義四回
12/15(木) 三国志演義五回

>>618
他の三人と比べて速攻で華雄に殺されるからなぁ
無双のナンバリングが50くらいになるまで出なさそう

>>619
ワイの知ってる歩隲はこんなんやない
なんか薬やってる人みたいやんけ
623名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:58:12 ID:JUo
>>618
超序盤で消える人はちょっと……
624名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:58:25 ID:O5A
両方兼ね備えてるのは難しいから仲のいい同僚や君主に助けてもらわなきゃいけないんだけど
そういうのいなかったからね
625名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:58:29 ID:gUX
>>618
朱治のほうがええで
626名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:59:01 ID:O5A
>>622
乙やで~
627名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:59:04 ID:JUo
>>622
乙やで
628名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:59:25 ID:gUX
おっつおっつ
629名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:59:27 ID:VBQ

630名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:59:31 ID:fng
>>622

陸抗が楽しみやな
631名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:59:31 ID:fng
>>622

陸抗が楽しみやな
632名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)21:59:56 ID:l7X
おつやでー
633名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)22:01:20 ID:TlZ
おつおつ
明日も楽しみや
634名無しさん@おーぷん :2017/12/08(金)22:06:55 ID:O5A
無双は他軍少なすぎない…?
袁術やリカクシ、厳氏、華雄に徐栄、兀突骨、張魯に董白、リジュ、高順に鄒、馬頭、オフラ、そして張角の弟共
パッと思いつくだけでこれだけおるやん
ウルトラCでヒミコとか出せるし

それはとにかく明日の陸抗楽しみや
乙やで~
635【78】%【43】%【58】% :2017/12/09(土)00:08:58 ID:KQh
>>634
ヒミコはもう居るからセーフ
636名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)17:16:13 ID:ePZ
>>634
ワイも他軍増やしてほC
後漢の文官とか、あとあの宦官どもから一人ならんかな~
637名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:30:13 ID:jMa()
そろそろ時間やな
今日は陸抗伝をやるで
638名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:30:35 ID:jMa()
抗、字幼節、孫策外孫也。遜卒時、年二十、拜建武校尉、領遜衆五千人、送葬東還、詣都謝恩。

陸抗は、字を幼節といい、孫策の外孫である(※)。陸遜が死んだ時、年は二十で、建武校尉となり、陸遜の兵五千人を率い、棺を運んで東に帰り、都に参って謝恩した。

※孫策の娘が陸遜に嫁いで産んだ子が陸抗である
639名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:30:38 ID:Hl1
待ってたで
640名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:31:04 ID:jMa()
>>639
来たで
今日もよろしくや
641名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:31:10 ID:EiN
待ってた
642名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:31:10 ID:tjb
>>638
陸抗はサラブレットやなぁ
643名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:31:15 ID:eMH
きたあああああああああああああああ
644名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:31:45 ID:jMa()
孫權、以楊竺所白遜二十事、問抗。禁絕賓客、中使臨詰。抗、無所顧問、事事條答、權意漸解。

孫権は、楊竺が建白した陸遜の二十の事を、陸抗に問うた。賓客を入れず、使者が詰問に臨んだ。陸抗は、顧問がなくとも、事ごとに箇条で答え、孫権の意はだんだん解消された。
645名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:31:49 ID:eMH
呉最後の名将きたああああああ
646【94】 :2017/12/09(土)20:31:55 ID:KQh
呉は好かんけどこの人はすこ
647名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:32:29 ID:jMa()
>>641
>>643
お待たせ
今日も楽しんでくれたらうれしいわ

>>642
恵まれた血筋から恵まれた才能
珍しい人物やで
648名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:32:39 ID:jMa()
赤烏九年、遷立節中郎將。與諸葛恪、換、屯柴桑。

赤烏九年(246年)、立節中郎将に昇進した。諸葛恪と、交代され、柴桑に駐屯した。
649名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:33:21 ID:Hl1
字に幼~って5男につけるんだっけ?
650名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:33:26 ID:jMa()
>>645
本当にそうやな
呉の末期で人物を挙げるとしたら真っ先に出て来る

>>646
ワイも好き
このスレで知名度上がらんかな?
651名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:33:37 ID:jMa()
抗、臨去、皆更繕完城圍、葺其牆屋。居廬桑果、不得妄敗。

陸抗は、去るに臨み、城壁を皆修繕し、垣根や屋根を葺きかえた。草廬や桑樹果樹を、妄りに壊させなかった。
652名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:34:00 ID:q8C
ニコニコの101匹阿斗ちゃん見た?
653名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:34:47 ID:jMa()
恪、入屯、儼然若新。而恪柴桑故屯、頗有毀壞、深以爲慚。

諸葛恪が、駐屯に入ると、厳然として新しいようであった。諸葛恪の柴桑の元の駐屯は、多くが壊れており、深く慚愧した。
654名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:34:52 ID:eMH
>>650
でも呉には”諸葛恪”がいるから…
諸葛恪もいまいちマイナーなんだよな
ていうか五丈原以後は大体マイナー
655名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:34:59 ID:EiN
>>652
賀斉神を讃える動画やな!
656名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:34:59 ID:tjb
>>652
前々から好きだった賀斉が大活躍しててほんとすこ
657【87】 :2017/12/09(土)20:35:11 ID:KQh
>>650
無双の新キャラで羊祜関係の人来たからワンちゃんあるんちゃう?
658名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:35:43 ID:jMa()
>>649
馬謖とかは五男やけど陸抗の場合は次男やし関係ないのかもしれん
659名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:35:53 ID:eMH
まず洋コ出してからやろ…
660名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:36:01 ID:jMa()
太元元年、就都治病。病差當還、權涕泣與別、謂曰「吾前、聽用讒言、與汝父、大義不篤、以此負汝。前後所問、一焚滅之、莫令人見也」

太元元年(251年)、都に行って病を治した。病が治り帰ろうとすると、孫権は流涙しながら別れ、言った「私は前に、讒言を聞き、お前の父に、大義を篤くせず、お前に悪く思っている。前後の詰問(の書)は、一切を焼き捨て、人に見せぬようにしてくれ」
661名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:36:31 ID:ePZ
>>660
悪いとは思ったんやな
662名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:36:36 ID:jMa()
>>652
ワイは見とらん
変態三国志シリーズとかは好きやったけど
663名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:36:41 ID:Hl1
>>660
こいついつも反省してんな
664名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:36:49 ID:eMH
>>660
耄碌した孫権を説得できるってのがまず凄いよね
665名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:37:01 ID:jMa()
建興元年、拜奮威將軍。太平二年魏將諸葛誕、舉壽春、降。拜抗爲柴桑督、赴壽春、破魏牙門將、偏將軍。遷、征北將軍。

建興元年(252年)、奮威将軍となった。太平二年(257年)魏将諸葛誕が、寿春を挙げて、降伏した。陸抗は柴桑の督となり、寿春に赴き、魏の牙門将、偏将軍を破った。征北将軍に昇進した。
666【40】 :2017/12/09(土)20:37:05 ID:KQh
>>660
ワイやったら許せんわ
667名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:37:11 ID:tjb
>>660
でました孫権恒例の「やらかした後反省するも即効でやらかす」パターンや
668名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:38:00 ID:jMa()
永安二年、拜鎭軍將軍、都督西陵自關羽至白帝。三年、假節。孫晧卽位、加鎭軍大將軍、領益州牧。

永安二年(259年)、鎮軍将軍となり、西陵の関羽から白帝までを都督した。三年(260年)、節を与えられた。孫晧が即位すると、鎮軍大将軍、益州牧となった。
669名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:38:49 ID:jMa()
孫権がボロクソ言われてる
でも二宮事件は擁護出来ないから残当かもしれん
670名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:38:57 ID:Hl1
>>668
関羽って地名があるんやな
671名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:39:06 ID:jMa()
建衡二年、大司馬施績、卒。拜抗、都督信陵、西陵、夷道、樂鄉、公安諸軍事。治、樂鄉。

建衡二年(270年)、大司馬施績が、亡くなった。陸抗に、信陵、西陵、夷道、楽郷、公安の諸軍事を都督させた。楽郷にて治めた。
672名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:39:27 ID:eMH
孫皓が暴君になったのは呉と晋の国力差に絶望して自棄になったから説好き
673名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:39:54 ID:jMa()
>>670
白帝が地名でそれと並列してるから地名で合ってるはず
674名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:40:12 ID:EiN
孫登の早逝が惜しまれる
675名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:40:12 ID:jMa()
※陸抗は都の行政に欠点が多いことを聞くと上疏するが長いので省略
内容は自身の考えた十七箇条の方策を故事を引き合いに出しながら勧めるというもの
この十七箇条の本文は散逸したらしく、『三国志』には載せられていない
676名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:40:39 ID:tjb
>>673
どうして荊州失陥の戦犯が地名に名を残してるんですかねぇ
677名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:41:03 ID:jMa()
※何定が権力を弄し、宦官が政治に参与すると陸抗は諌めるために上疏するが長いので省略
678【17】 :2017/12/09(土)20:41:15 ID:KQh
>>676
失敗を忘れない為のモニュメントやろなぁ
679名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:41:49 ID:jMa()
>>676
関雲長が元となったんやなく元からあった地名やない?
調べてないからわからん
誰か知ってたらオナシャス
680名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:42:08 ID:jMa()
鳳皇元年、西陵督步闡、據城以叛、遣使、降晉。抗、聞之日、部分諸軍、令將軍左奕、吾彥、蔡貢等、徑赴西陵。

鳳皇元年(272年)、西陵の督歩闡は、城に拠って背き、使者を遣わし、晋に降った。陸抗は、これを聞いた日に、諸軍を分け、将軍左奕、吾彦、蔡貢らを、ただちに西陵に赴かせた。
681名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:42:25 ID:ePZ
>>669
孫権はこの人間くささが魅力や
三国志にしては珍しくそこらへんにいそうなんや
682名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:43:15 ID:jMa()
敕軍營、更築嚴圍、自赤谿至故市、內以圍闡、外以禦寇。晝夜催切、如敵以至、衆甚苦之。

軍営に命じ、改めて重囲を築かせ、赤谿から故市までとなり、内は歩闡を囲み、外は賊を防いだ。昼夜切に催促し、敵が到ったかのごときで、衆は甚だ苦しんだ。
683名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:43:26 ID:EiN
吾彦も忠臣だけど三国志末期だからあまり有名じゃないなぁ
684名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:44:09 ID:jMa()
>>681
確かに俗っぽい面もあるし失敗も多いしなんというかそういうところも面白い人物やな
685名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:44:20 ID:jMa()
諸將咸諫曰「今及三軍之銳、亟以攻闡、比晉救至、闡必可拔。何事於圍而以弊士民之力乎」

諸将は皆諌めた「今三軍の鋭鋒で、速やかに歩闡を攻めれば、晋が救いにくる頃には、歩闡は必ず抜けましょう。どうして包囲して士民の力を疲弊させるのですか」
686名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:45:01 ID:Hl1
召還命令を出しただけで配下に寝返られる主君がいるらしい
687名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:45:12 ID:jMa()
>>683
基本的に日本の三国志コンテンツは諸葛亮死後で終わってまうから後期に興味持つ人あんまりいないんやろうな
688名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:45:24 ID:jMa()
抗曰「此城、處勢既固、糧穀又足、且所繕修備禦之具。皆、抗所宿規。今反身攻之、既非可卒克、且北救必至、至而無備、表裏受難、何以禦之」

陸抗は言った「この城は、地勢が堅固で、糧穀も充足し、しかも防御の道具が修繕されている。皆、抗がかねて配備したものだ。今は反対に自らこれを攻めるが、にわかには勝てず、しかも北は必ず救いに来るのに、来た時に備えがなければ、表裏に難を受けてしまい、どのように防ぐつもりだ」
689名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:46:32 ID:jMa()
諸將咸、欲攻闡。抗、每不許。宜都太守雷譚、言至懇切。抗、欲服衆、聽令一攻。攻果無利、圍備始合。

諸将は皆、歩闡を攻めようとした。陸抗は、その度許さなかった。宜都太守雷譚の、言は懇切の至りであった。陸抗は、衆を従わせようと、一度だけ攻めさせた。攻めると果たして利はなく、包囲は始めて完成した。
690名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:46:46 ID:eMH
>>687
人材が晋に偏りすぎてるからな
蜀なんて姜維とカコウハくらいしかいないし
691名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:47:17 ID:Hl1
>>690
黄皓「俺がいるぞ」
692名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:47:28 ID:jMa()
>>688
失敗した
「皆、抗がかねて配備したものだ。」の「抗」は陸抗の一人称や
ちゃんと直しておけばよかった
693名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:47:40 ID:jMa()
晉車騎將軍羊祜、率師、向江陵。諸將咸以抗不宜上。

晋の車騎将軍羊祜が、軍を率い、江陵に向かった。諸将は皆陸抗に上流はよろしくない(下流に行くべきだ)と言った。
694名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:48:34 ID:eMH
>>691
お前は人罪だろ
695名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:48:43 ID:jMa()
抗曰「江陵、城固兵足、無所憂患。假令敵沒江陵、必不能守、所損者小。

陸抗は言った「江陵は、城が堅固かつ兵は充足し、憂いはない。仮に敵が江陵を落としたとしても、必ず守りきれず、損害は小ない。
696名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:48:49 ID:tjb
>>693
どうしてわざわざ流れに乗れない下流に行くんですかね
697名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:49:41 ID:jMa()
如使西陵槃結、則南山羣夷皆當擾動、則所憂慮、難可竟言也。吾寧棄江陵而赴西陵、況江陵牢固乎」

西陵に居座られれば、南山の蛮族は騒乱し、憂慮するところとなり、その難は言葉では言い尽くせない。私は江陵を棄てようとも西陵に赴くが、ましてや江陵が堅固であればどうであろうか」
698名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:50:00 ID:eMH
流れって大事だからな
ワイも丞相の命令無視して山頂に布陣したし
699名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:50:11 ID:jMa()
>>696
>>697が主な理由やで
700名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:50:16 ID:tjb
>>698
なお水源
701名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:50:27 ID:ePZ
>>698
成仏
702【73】 :2017/12/09(土)20:50:46 ID:KQh
>>698
死ね(直球)
703名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:50:51 ID:jMa()
初、江陵平衍、道路通利。抗、敕江陵督張咸、作大堰遏水、漸漬平中、以絕寇叛。

当初、江陵は平坦で、道路は利便であった。陸抗は、江陵の督張咸に命じ、大きな堤で水を遮らせ、平地を水に浸からせ、賊の反乱を絶った。
704名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:51:34 ID:jMa()
陸抗の伝で馬謖が叩かれるの草
705名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:51:47 ID:22F
イッチは何者や 漢文研究者か?
706名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:51:52 ID:jMa()
祜、欲因所遏水、浮船運糧、揚聲將破堰以通步車。抗聞、使咸亟破之。諸將皆惑、屢諫、不聽。

羊祜は、水がせき止められていたため、船を浮かべて兵糧を運ぼうとし、堤を壊して歩兵と車を通すと揚言した。陸抗はこれを聞くと、皆に速やかに壊させた。諸将は皆惑い、何度も諌めたが、聞かなかった。
707名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:52:22 ID:ePZ
諸将戸惑いっぱなしやな
708名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:52:25 ID:jMa()
>>705
ただの中国古典好き
要は一般人
709名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:52:29 ID:EiN
陸抗は頭が回るなぁ
710名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:52:54 ID:jMa()
祜、至當陽、聞堰敗。乃改船以車運、大費損功力。

羊祜は、当陽に到ると、堤が壊されていると聞いた。かくして船を改めて車で運び、大きな力を浪費した。
711名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:52:59 ID:22F
>>708
はえ~ 漢文の読解のコツ教えてクレmンス
712名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:53:08 ID:eMH
これだけ見ると洋コって大したことないんやないか?って思われそう
713【30】 :2017/12/09(土)20:53:13 ID:KQh
ここの名将同士の読み合いほんとすこ
714名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:53:44 ID:jMa()
晉巴東監軍徐胤、率水軍、詣建平。荊州刺史楊肇、至西陵。

晋の巴東監軍徐胤が、水軍を率い、建平に向かった。荊州刺史楊肇が、西陵に到った。
715名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:55:13 ID:tjb
イッチはどこで三国志原文入手したん?
716名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:55:18 ID:jMa()
>>711
好きこそものの上手なれで好きな漢文読みまくったから多少読めるようになった
ワイはコツとかアドバイスとかできん
717名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:55:28 ID:jMa()
抗、令張咸固守其城、公安督孫遵巡南岸禦祜、水軍督留慮、鎭西將軍朱琬、拒胤。

陸抗は、張咸にその城を固守させ、公安の督孫遵には南岸を巡らせて羊祜を防がせ、水軍督留慮、鎮西将軍朱琬には、徐胤を拒ませた。
718名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:56:17 ID:eMH
この辺になると全然名前分からんなるわ
末期は陸抗洋コクラスじゃないとゲームでも漫画でもまず出てこんし
719名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:56:27 ID:jMa()
>>715
http://www.seisaku.bz/sangokushi.html
このサイトのやつ使ってるから買ってない
三国志演義と水滸伝は買ったけど
720名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:56:43 ID:jMa()
身率三軍、憑圍、對肇。將軍朱喬、營都督俞贊、亡詣肇。

自らは三軍を率い、囲に拠り、楊肇と対峙した。将軍朱喬、営都督兪贊が、逃亡して楊肇の元に行った。
721名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:57:29 ID:eMH
イッチは三国志は活字体オンリーンゴ?
722名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:58:07 ID:jMa()
抗曰「贊、軍中舊吏、知吾虛實者。吾常慮、夷兵素不簡練、若敵攻圍、必先此處」卽、夜易夷民、皆以舊將充之。

抗曰「兪贊は、軍中の旧吏で、我らの虚実を知っている。私が常に慮っているのは、蛮兵が元より訓練されておらず、もし敵が囲を攻めれば、必ずここを先にすることだ」即座に、夜異民族(の配置)を変え、皆旧将を充てた。
723名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:59:04 ID:jMa()
>>721
三国志って活字体以外にあるんか?
こっちの読解力がなくてよく意味がわからんのや
すまへん
724名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)20:59:14 ID:jMa()
明日、肇果攻故夷兵處。抗、命旋軍擊之、矢石雨下、肇衆傷死者相屬。

明日、楊肇は果たして元々蛮兵がいた所を攻めた。陸抗は、軍を巡らせてこれを攻撃し、矢や石を雨のように下し、楊肇の衆の傷死者は続いた。
725名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:00:14 ID:Hl1
なぜか近年のコーエー三国志に出てくる楊肇
726名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:00:16 ID:jMa()
肇至經月、計屈夜遁。抗、欲追之而慮、闡畜力項領、伺視閒隙、兵不足分。

楊肇は月を経ると、計が尽きて夜遁走した。陸抗は、これを追おうとしたが、歩闡が要地に力を蓄え、隙を窺い、兵を分けても足りないのを慮った。
727名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:00:48 ID:eMH
>>723
三国志を題材にした漫画とかゲームとかあるやん?
そういうのはやらんの?ってこと
728名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:01:15 ID:jMa()
於是、但鳴鼓戒衆、若將追者。肇衆兇懼、悉解甲挺走。抗、使輕兵躡之。肇大破敗、祜等皆引軍還。

こうして、ただ太鼓を鳴らさせ衆を戒厳し、追撃をかける様子を見せた。楊肇の衆は恐れ、皆甲冑を脱いで逃げ出した。陸抗は、軽装兵に追撃させた。楊肇は大破して敗れ、羊祜らは皆軍を引き連れて帰った。
729名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:02:03 ID:tjb
>>728
ジャーンジャーンジャーン
730名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:02:09 ID:eMH
>>720
この頃になるともう寝返りまくってんな
蜀も滅びたし皇帝は孫皓だしなあ
731名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:02:23 ID:jMa()
>>727
正史の『三国志』だけのことかと思ってたわすまん
ゲームとか大好きやで
無双もシミュレーションも両方やってるし一騎当千とか恋姫とかも大好きや
732名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:02:33 ID:jMa()
抗、遂陷西陵城、誅夷闡族及其大將吏。自此以下、所請赦者、數萬口。

陸抗は、遂に西陵城を陥落させ、歩闡の一族及びその大将や吏を誅滅した。それ以下は、要請して、数万人が赦免された。
733名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:03:39 ID:jMa()
脩治城圍、東還樂鄉。貌無矜色、謙沖如常。故得將士歡心。

城や囲を治し、東の楽郷に帰った。容貌に矜持の様子はなく、謙虚さはいつも通りであった。故に将士の歓心を得た。
734名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:04:31 ID:eMH
>>731
はえ~後半はワイも碌に知らんかったわ
イッチは詳しいンゴねえ…
三大もよろしくンゴ!(ステマ)
735名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:04:33 ID:tjb
>>733
亡国には似つかわしくない清廉さだな
736名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:04:47 ID:jMa()
※陸抗の上疏があるが長いので省略
都護を加えられ、武昌の左部督薛瑩が、呼び出されて獄に下されたと聞くと擁護する
737名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:04:51 ID:EiN
張悌や沈瑩、諸葛睛とかは本当に忠臣だったな
738名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:05:43 ID:jMa()
※陸抗の上疏があるが長いので省略
軍を動かし百姓が疲弊しているため兵士と民の力を養うよう進言
739名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:06:04 ID:ePZ
こいつ話長いんやな(短絡的
740名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:06:41 ID:jMa()
>>734
昔DSのやつやってたで
あれもう五年ちかくやってないから引っ張り出してやろうかな
741名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:06:49 ID:jMa()
※陸抗の上疏があるが長いので省略
二年(273年)春に大司馬、荊州牧となり、三年(274年)夏に病となると上疏する
742名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:07:14 ID:eMH
>>737
亡国の忠臣って泣けるよね
743名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:07:49 ID:jMa()
>>739
一つの事を美辞麗句使って長々と述べてるから見てる人にとっては退屈かなと思っていつも省略してるんや
読みたかったのならすまへん
744名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:08:10 ID:jMa()
※陸抗の上疏があるが長いので省略
二年(273年)春に大司馬、荊州牧となり、三年(274年)夏に病となると上疏する
西陵、建平は国の入り口であるから防御を固めること、兵の補強をすることを進言
745名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:08:58 ID:tjb
>>741
こう見ると陸抗って外では外敵やっつけて、内では一生懸命諫言してたんやな

人材不足が手に取るようにわかるで
746名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:09:12 ID:jMa()
秋、遂卒。子晏、嗣。晏及弟景、玄、機、雲、分領抗兵。晏、爲裨將軍、夷道監。

秋、遂に亡くなった。子の陸晏が、継いだ。陸晏及び弟の陸景、陸玄、陸機、陸雲は、陸抗の兵を分配して領した。陸晏は、裨将軍、夷道監となった。
747名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:09:49 ID:ePZ
>>743
全然かめへんで
748名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:09:52 ID:Hl1
>>746
グッバイ陸抗
グッバイ孫呉
749名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:10:12 ID:tjb
>>746
この兄弟たちって晋じゃ文学者として取り立てられてなかったっけ?

ほんと、陸遜一族は抜け目ないな
750名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:10:20 ID:jMa()
天紀四年、晉軍伐吳。龍驤將軍王濬、順流東下、所至輒克、終如抗慮。

天紀四年(280年)、晋軍が呉を討伐した。龍驤将軍王濬は、流れに順じて東に下り、至る所で常に勝ち、終いには陸抗の憂慮の通りとなった。
751名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:10:46 ID:ePZ
三国志オワタ
752名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:11:08 ID:EiN
吾彦も長江を流れる木屑から晋の侵攻を察して建平に援兵求めたのに孫皓は送らず
なお唯一晋の攻勢を耐え切った模様
753名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:11:12 ID:jMa()
>>747
サンガツ

>>749
そうなんか?
やっぱ有能な人物の一族って有能なんやな(いろんな所から目を背けながら)
754名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:11:23 ID:jMa()
評曰。抗、貞亮籌幹、咸有父風、奕世載美、具體而微、可謂克構者哉。

評に曰く。陸抗の、貞実さと謀略の才は、皆父の風があり、歴代の美徳をさらに重ね、実態は劣っていても、よく出来たと言えよう。
755名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:11:59 ID:MDi
董卓伝はやりますか?
756名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:12:27 ID:Hl1
呉の滅亡戦といえば陶濬
757名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:12:50 ID:tjb
>>756
変顔定期
758名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:12:54 ID:jMa()
これで陸抗伝は終わりや
今からおまけとして中国古典なんかに出て来る武器の紹介をやるんで興味あったら見て行ってクレメンス
時間なかったんで大したものはできなかったけどそれでもよかったらどうぞ
759名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:13:36 ID:Hl1
>>758
流星鎚ある?
760名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:13:41 ID:jMa()
>>755
前半だけやったで
>>1のスレの一番上にあるからそこから見てやで
もし後半も見たかったら今度訳すけどやってもええか?
761名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:14:09 ID:tjb
>>760
ぜひやってくれ
762名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:14:11 ID:jMa()
>>759
すまん入れられなかった
時間なくて暗器系も全滅した
763名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:14:11 ID:eMH
>>754
言うほど実体は劣ってたか?
764名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:15:11 ID:Hl1
>>762
王双「は?」
765名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:15:11 ID:jMa()
じゃあ開始するで


中国においては両刃のものを剣、片刃のもの刀と明確に区分されている
中国では石質の関係で石器時代は先端の長い剣は流行しなかったが、青銅の技術が生まれてからは多く作られるようになる
戦国時代からは最盛期を迎えるが漢代になると匈奴との戦いで騎兵戦が発展し、馬の勢いに乗じて敵を斬りつけると刃が折れるという問題が発生したため、余り使われなくなる
しかし主に儀仗用として用いられるようになった他、民間で使用されたり、道教で儀式に使わるなど戦場以外の場所で残った武器である
三国志でも使い手は多いが、特に有名なのは曹操が夏侯恩に賜った「青釭」であろう
趙雲はこの剣を使い見事阿斗を救い出した




766【96】 :2017/12/09(土)21:15:26 ID:KQh
陸抗、還らず
767名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:15:46 ID:jMa()
>>761
了解や

>>764
すまん
またの機会があったら絶対入れるわ
768名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:16:02 ID:eMH
何故か日本では全く流行らなかった弩はありますか?
769名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:16:07 ID:tjb
>>765
なお青紅のその後
770名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:16:25 ID:jMa()

片刃の武器で、刀身が真っ直ぐな直刀や曲がっている曲刀など様々な種類がある
古代中国では剣があるために余り使用されていなかったが騎兵戦が発展すると共に使われるようになり、特に漢代において騎馬民族である匈奴に対抗するため騎兵を増やすと最盛期を迎えるようになる
剣は両刃のため刃を厚くするのは困難だが、刀は剣ほどそれが難しくないのである
また片刃のため両刃より製造が容易なこともあり、剣に代わる武器となりえたのだ
三国志にも刀は何度も登場するが、その中でも名シーンと言えば曹操が董卓に刀を献上する場面であろう
曹操は董卓を暗殺しに行き、董卓が身体を背けて寝ると刀を抜くが、鏡に反射して気づかれてしまう
そこで曹操は機転を利かせて刀を献上しに来たと言い、虎口を逃れるのだ




771名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:16:59 ID:jMa()
>>768
それは入れたで
さすがに弩抜きはまずいと思って真っ先にやったわ
772名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:17:32 ID:eMH
>>771
サンガツ
773名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:17:38 ID:jMa()

長柄の先端に両刃の穂先を取り付け、遠距離から攻撃することを目的とした武器
棒状のものの先端に鋭利な刃をつけるという発想は単純だがかなり効果的なので殷周の時代にはすでに登場している
三国時代にもポピュラーであり『三国志』の張飛伝には張飛が長阪でこれを持ちながら曹操軍の追撃を防いだとの記録がある




774名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:17:56 ID:Jio
>>770
七星剣じゃないのん?
775名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:18:03 ID:Hl1
>>770
七星剣は演義の創作か
776名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:18:30 ID:eMH
>>773
槍とは違うンゴ?
777名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:18:40 ID:jMa()
蛇矛
先端に曲がりくねった矛身が特徴の矛
これで攻撃されると傷口が複雑になるという
このような目的の武器は「フランベルジュ」という曲がりくねった剣があるように西洋にも存在したようだ
上記のように張飛は正史でも矛を使ったという記録があるが、蛇矛は少なくとも明代にはあったが張飛のいた三国時代にはなかったと考えられている
『三国志演義』で張飛が使う蛇矛は長さが一丈八尺なので実に張飛の身長(八尺)の二倍以上である




778名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:18:58 ID:EiN
蛇矛とかいう程普や張飛に使われた妙に需要のある矛
779名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:19:47 ID:tjb
>>777
(三国時代にそんな冶金術は)ないでしょ
780名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:20:49 ID:ePZ
片刃の武器は使い手に技術要求すんのよな
781名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:21:00 ID:Hl1
ワイは刀といえば古錠刀
782名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:21:02 ID:jMa()
>>774
>>775
その回のタイトルは「謀董賊孟徳献刀(董賊を謀りて孟徳刀を献ず)」だから刀だし作中でも一貫して刀って表記されてる
どこで剣と混同されたんやろか?
783名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:21:28 ID:jMa()

矛を前身とするが矛と比べて先端が細く、より刺突に特化している
騎兵歩兵を問わず使用出来、また軍営や筏の部品にしたり、旗竿の代わりに出来るなど戦場で非常に便利に使えるため、火器に多くの兵器が駆逐される中、十九世紀の終わり頃まで使われ続けていた
中国の槍の特徴として槍の穂先の下に槍纓と呼ばれる紐の塊がついている
これは敵を突き刺した際に流れる血が柄を伝って手を滑らせるのを防ぐため、または見栄えを良くする装飾としての目的でつけられているという説がある




784名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:21:48 ID:tjb
>>783
槍って三国時代にあったの?
785名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:22:06 ID:eMH
あっ全く関係ないけどもし次があるんやったらワイは袁術と公孫サンがみたいで
786名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:22:36 ID:jMa()
>>776
矛は剣のような両刃の穂先で斬る目的もあった
ちなみに某漫画の王騎の矛って明らかに矛やない
両刃やないし
787名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:23:03 ID:eMH
>>783
槍は作りやすいし使いやすいから使い勝手良すぎるワン
788名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:23:08 ID:ePZ
槍は使い手が未熟でも致命傷を与えやすいのがええんやな
赤穂浪士の討ち入りも槍やんな
789名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:23:17 ID:jMa()
鉤鎌槍
穂先に内側に向かう鎌がついた槍のことを鉤鎌槍と呼ぶ
槍としての使用方法の他に、鎌として敵を引き倒すことも出来る
また鎌の部分があるので槍が深く突き刺さって抜けなくなるのを防止する副次的な機能もある
『水滸伝』には金槍手徐寧という鉤鎌槍の使い手がおり、敵将呼延灼の連環馬(三十頭の馬を鉄の鎖で繋いで突撃させる呼延灼の戦法)をこの槍で打ち破った




790名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:23:56 ID:ePZ
>>789
かっこE
791名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:24:02 ID:Hl1
>>789
これ三国志のドラマでよう見たわ
792名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:24:18 ID:EiN
レッドクリフで馬の脚に引っかけてたのはこれかな?
793名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:24:18 ID:eMH
>>786
はえ~微妙に違うンゴね…
794名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:24:28 ID:jMa()
>>784
槍は諸葛亮が開発したって説があるように三国時代からと言われてる
ただ流行したのは隋の時代だとか
795名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:24:47 ID:jMa()

騎兵用の長い槍のことを特に槊と分類する
非常に長く重いので、振り回して戦わず、身体を使って固定し、騎馬の突進を利用して敵に突き刺す
また槊を歩兵に使わせることもあり、これを歩槊と呼ぶ
集団で陣形を組み、敵の突撃を止めるのに有効なのだ




796名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:24:53 ID:ePZ
槍ってマンモスと戦ってる頃からあるやろ?
797名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:24:57 ID:tjb
>>794
サンガツ
798名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:25:32 ID:eMH
長槍ンゴねえ
799名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:25:56 ID:jMa()
>>785
すまんスルーしてた
公孫瓚伝はやったから>>1の一番下のスレからオナシャス
袁術伝了解やで
800名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:26:22 ID:jMa()

戈は長い柄に対し刃を垂直に取り付けた武器で主に切っ先で刺したり、刃に引っ掛けて攻撃する
一見刺突系の武器よりメリットが少ないように思えるが、その真価を発揮出来るのは戦車戦である
戦車の上ですれ違う際は、敵に矛を刺すより敵に戈を引っ掛ける方が容易であり、また矛と違い戈は相手の身体に引っ掛けるだけで戦車の走る勢いを利用して大きなダメージを与える事も可能なのだ
そのため殷以降の戦車戦の発展と共に最盛期を迎えるが、戦車より優れた騎兵が登場すると一気に廃れることとなる




801名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:26:34 ID:Hl1
槊でサクっと
802名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:27:08 ID:ePZ
>>801
803名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:27:57 ID:jMa()
>>796
まああるんやろうけど武器として成立したのはもっと遅いんやないか?
804名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:28:15 ID:jMa()

矛と戈の両方の特徴を持つ武器で、矛のような刃を「刺」、戈のような刃を「援」または「枝」と呼ぶ
矛と戈の両方の利点が同時に仕えるので、単純に使い勝手が良く、三国時代にも一般的な武器となっていた
しかし鎧の発展と共に攻撃力が不足するようになり、重装騎兵の出現で援がほとんど役に立たなくなったことから、矛が進化した槍にその地位を奪われてしまうこととなる
『三国志演義』では典韋がこれの有名な使い手で、それを恐れた胡車児は計で戟を奪い、典韋にその威力を発揮させなくした





805名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:28:25 ID:ePZ
>>803
そっか武器やもんな
はじめ戦争はなかったんや
806名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:28:53 ID:jMa()
>>792
レッドクリフワイもみたけど覚えとらん
恐らく馬の足を引っかけるのにも適しているからこれかもしれん
807名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:29:06 ID:Hl1
>>800
はえ~そう使うんか
ぐるぐる回転して攻撃するイメージしかないわ
808名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:29:19 ID:jMa()
方天戟
戟と名称がつくものの、槍から発展した武器で、槍状の穂先に「月牙」と呼ばれる三日月型の刃が両側についている
槍のように刺したりする他、月牙で敵を刺したり斬ったりも出来るのでかなり使い勝手が良い
また月牙があるおかげで穂先が深く突き刺さって抜けなくなるのも防げる
『三国志演義』で呂布の使っている戟は「方天画戟」と呼ばれ、月牙が一つしかない
呂布はこれを使って虎牢関で張飛と五十合互角に戦い、関羽が来ても三十合耐えたが、劉備が来るとついに防ぎきれなくなって関に逃げ戻った




809名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:29:22 ID:ePZ
>>806
ワイも前後編見たけど全然思いだせん
810名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:30:11 ID:jMa()
大刀
五代十国の頃に登場したといわれる長い柄の先端に片刃の刀身がついた武器
刃で斬撃することも出来るが、その重さを利用して鎧の上から敵を叩くことも出来るので、たとえ厚い鎧を着こんでいても致命傷を与えられる非常に機能的な仕組みとなっている
『水滸伝』に登場する関勝は関羽の子孫であり、この大刀を使うので、そのまま「大刀」というあだ名がついている(厳密にいえば関羽と同じ青龍偃月刀だが、偃月刀も大刀の一種)




811名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:30:18 ID:tjb
>>808
これって公孫瓚が異民族撃退に使ったやつやっけ?
812名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:30:18 ID:EiN
宋謙とかいう地味すぎる方天画戟の使い手
813名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:31:08 ID:jMa()
>>809
なんせ十年近く前やからな
周瑜と小喬の濡れ場しか覚えとらん
814名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:31:45 ID:jMa()
偃月刀
大刀の一種であり、大刀に分類される武器の中でも偃月刀は特に重く、また製造のコストも高いので、実践では使用せず、普通は演武などで使用する
また、演武に使用することが多いという特性から、装飾が施され華やかになっているものが多い
『三国志演義』に登場する関羽の青龍偃月刀は別名を「冷艶鋸」といい、重さは八十二斤で、作中ではこの刀を振るって多くの敵将を討ち取った




815名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:32:11 ID:Hl1
>>809
ウィはサッカーやっとるシーンしか覚えてないわ
816名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:32:39 ID:ePZ
>>815
ワイは孫権と妹が喧嘩してたことしか覚えとらん
817名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:32:48 ID:eMH
>>799
そういえば公孫サンやってたわ
ワイが忘れてただけやわうまんな
818名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:33:04 ID:EiN
>>809
盾反対にして太陽の反射で突撃崩してたのは覚えてる
819名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:33:06 ID:tjb
>>815
フランス人定期
820名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:33:17 ID:jMa()
>>811
こういう形式の戟の登場は三国時代にない
今カンニングした所千年近く後の宋の時代くらいかららしい
821名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:33:34 ID:jMa()
朴刀
大刀の一種だが大刀と比べると全体のうち刃の割合が高い
両手で用い、そのため「双手帯」とも呼ばれる
宋代を起源とするので『水滸伝』では好漢がしばしばこの武器で戦う描写が見られる




822名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:33:54 ID:Hl1
>>816
そのレスで劉備が孫尚香にのされる場面を思い出した
823名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:34:07 ID:jMa()
>>817
ええんやで
824名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:34:26 ID:jMa()
三尖両刃刀
先端が三方に分かれ、刀なのにまるで剣のように両刃なので三尖両刃刀と呼ばれる
その形状から、斬るだけではなく、突き刺しても大きな威力を発揮する
また二郎真君が愛用しているため、「二郎刀」と呼ばれることもある
三国志では紀霊が使用し、関羽と互角に渡り合った




825名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:34:38 ID:tjb
全部紹介し終わった後、どの武器が三国時代に使われていたか分類してクレメンス
826名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:35:27 ID:ePZ
むっちゃ種類あるなあ
ワイが知らんだけで日本にも鉄砲伝来以前はいろんな種類の武器があったんか?
827名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:35:34 ID:EiN
関羽と30合余り打ち合い張飛に数合で討ち取られた紀霊さんの評価は如何に
828名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:35:58 ID:jMa()
大斧
中国の斧のうち、両手で使う大きなものを大斧という
大斧は長い柄の先に分厚い刃がついた武器で、大刀と同じく斬ることに加えて叩くことで鎧の上から致命傷を与えることも出来る
古代の石斧まで起源を辿れるが、武器としては長らく使用されなかった
日の目を浴びるのは宋の異民族の重装騎兵を敵にした時代で、敵の厚い鎧の上から重い斧で叩きつける戦法、または馬の足を切り落とす戦法で重装騎兵を撃退した
金の兀述がこの大斧を恐るるべきだと嘆いたという逸話からもその威力がわかる
『三国志演義』では徐晃が使用し、許褚と五十合互角に戦うなど優れた武勇を発揮した




829名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:36:44 ID:jMa()
>>825
調べないと正確なこと言えへんから時間クレメンス
嘘ついてもしゃーないし
830名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:37:06 ID:jMa()
棍、棒
棍や棒は木や鉄などを素材とし、敵を叩いたり突いたりする長めの武器
単純なつくりから中国でいち早く生まれ、長らく使用されてきた
先端に金属製の穂先をつけないので主に練習のためや武器が禁止された時代に護身用に持つなどして使われた
また人を傷つけないことから刑罰のためにも使用され、水火棍などの罪を罰することを専門にした棍もある
西遊記の孫悟空は棒の有名な使い手で、彼の持つ「如意金箍棒」は名前の通り意の如く変化させることが出来る
『三国志』の賀斉伝の注釈には、反乱軍で刀剣を抜くことが出来なくなり矢を射てもはね返してしまう術を使う者がいたところ、賀斉は棍棒を使い打ち破ったという記録が残っている




831名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:37:58 ID:EiN
やっぱ賀斉って神だわ
832名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:38:40 ID:jMa()
狼牙棒
棒の先端に狼の牙のような鉄のトゲがある錘をつけた打撃武器
単純に重さがあるので敵を殴るだけで大きなダメージを与えることが出来るが、さらにトゲで多くの傷を負わせることも可能である
たとえ鎧をつけていても重傷を負わせることが出来るので、重装騎兵が相手の重装騎兵に対抗するため、好んで使っていた
宋代に普及した武器のため、北宋末を舞台にした『水滸伝』でも霹靂火秦明という人物がこの狼牙棒を使用している




833名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:39:59 ID:jMa()
鞭、鐧
鞭には軟鞭と硬鞭があるがここでは金属製である硬鞭の方を紹介する
鞭や鐧は剣や刀のように小さく、その重量をもって敵を殴りつける武器である
鞭は竹の節のような構造を持つが、鐧は節がなくシンプルなつくりである
唐代に現れ、刀剣が通らない重装騎兵に対抗するため、騎兵がよく使っていた
『三国志演義』では文鴦は鞭の使い手で、文鴦は撤退戦の最中、魏の武将の集団に単騎で突入してはこの鞭で数人を打ち殺し、何度も追いかけてくる魏軍をその都度撃退した






834名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:40:11 ID:eMH
>>830
>刀剣を抜くことが出来なくなり矢を射てもはね返してしまう術を使う者

毎回思うけどこいつ雇って最前線に出せば対魏も楽勝だろ
835名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:41:13 ID:jMa()
>>834
賊軍だから討伐致し方なし
実際にいたらパワーバランス崩壊するやろうなぁ
836名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:41:21 ID:Hl1
>>833
鞭って投げつけて頭かち割る武器だと思ってたわ
837名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:41:38 ID:Jio
呼延灼さんは銅の双鞭だっけ
838名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:41:39 ID:jMa()

長い柄の先端に球状の重りをつけた打撃を専門とする武器で、錘(重り)の形に似ていることから、そのまま錘と呼ばれる
殷周春秋の時代からすでに存在していたものの、使用価値がなかったため、実戦には使われず、多くは儀仗用であった
刀剣が通らない厚い鎧の上から効果的にダメージを与えることが出来ることから、重装兵が出現した南北朝ではその価値を見直され、宋代で最盛期を迎えた
この中の一種に蒺藜骨朶と呼ばれる突起つきの錘があり、『三国志演義』の沙摩柯は鉄の蒺藜骨朶を使う




839名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:42:23 ID:tjb
>>834
異民族戦線のが重要やろ(適当)
840名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:42:55 ID:jMa()
>>836
打撃系の武器で剣に代わるものや
ぼこぼこ殴るんやで

>>837
どうやったっけ?
金属製で左右の長さが違うのは覚えてる
841名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:43:15 ID:jMa()

鏟はかんな状の工具である鏟、ないしショベル状の農具である鏟が武器化したものといわれており、さらに月牙がついたものは「月牙鏟」とも呼ばれる
僧侶が好んで使ったことから禅杖とも呼ばれ、禅杖の多くには鉄の輪がついている
これは僧侶が旅をする際、この輪に荷物をぶら下げて天秤棒のように扱える利便性のためにつけられているのである
禅杖は人物に僧侶のイメージを与えられるため、『水滸伝』に登場する花和尚こと魯智深や『西遊記』の沙和尚(沙悟浄)などのキャラ付けにも使用されている




842名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:44:19 ID:EiN
無双農夫魯粛さんの武器じゃないか
843名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:44:49 ID:jMa()
>>837
今適当に水滸伝取り出してぱっと開いたら偶然表記があった
第五十五回に銅の鞭とある
844名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:45:14 ID:jMa()

鈀は字義を辿ると「杷」や「耙」のような農具を金属で作った武器のことである
原型となった農具は南北朝の時代に登場していたが、これが武器として成立したのは明代といわれている
これの有名な使い手は『西遊記』の猪八戒で、彼が天蓬元帥に任命された際、玉皇上帝から「上宝遜金鈀」という名の鈀を賜っている




845名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:45:15 ID:8TF
>>841
文字化けして読めんのやが
846名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:45:51 ID:jMa()
>>842
魯子敬は>>844の方やな
847名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:46:41 ID:Hl1
こう見ると無双も現実に存在した武器を採用しとるんやね
848名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:46:46 ID:EiN
>>846
せやったか、すまんな
849名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:46:48 ID:Jio
>>843
wikiみたら
呼延灼は、『水滸伝』の原型といわれる『大宋宣和遺事』では「鉄鞭・呼延綽」という名で登場する
らしい
鉄?
850名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:46:53 ID:jMa()
>>845
それはすまん
金へんに産で(金産)と書いてサンと読む
851名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:47:17 ID:jMa()

叉は先端が二股ないし三股に分かれており、長い柄を持つ
槍と似ているが、穂先が多いため、単純により多くの傷をつけることが出来る
漁師や猟師、農民などに使われていた道具を原型とし、唐代ではすでに武器として成立していたが、軍隊に正式に採用されるようになったのは明代からである
武器の特徴から猟師や漁師のイメージをつけることが出来るので、例えば『水滸伝』の解兄弟は猟師から山賊になった人物だが、これを使用している




852名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:47:21 ID:8TF
>>850
さんがつ
サンだけに
853名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:48:51 ID:Hl1
おおっ>>852を捕らえたか
斬れっ
854名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:48:59 ID:jMa()
>>849
水滸伝は宣和遺事からかなり設定変わってるからね
元は鉄の設定やったんやろ
855名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:49:18 ID:jMa()
狼筅
枝を残した竹を柄にして、先端に槍のような穂先をつけた武器
竹の枝はしなり、刀に切り落とされ難いので、特に倭寇が持つ日本刀に対抗するためによく使われた
また竹の枝が敵の攻撃を邪魔するので、高い防御力も備えていたが、一方かさばるので、行軍に不便であるという欠点もあった
明の戚継光が倭寇に対策するために軍の正式な装備とし、狼筅を持った兵を最前列に配列したのが有名




856名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:50:24 ID:jiu
今北
武器の紹介しとるんやね
857名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:50:25 ID:Hl1
>>855
これおもろいな
858名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:50:43 ID:ePZ
>>855
昼寝して見る夢に出て来そうな感じ
859名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:51:09 ID:jMa()

弓は柔らかい木材に弦を張り、木材が曲がってから戻る力を利用して矢を飛ばす武器である
遠距離武器として最古の歴史を持ちながら、その利便さから清の末期まで使われている
それは弩や火器に比べて連発が出来、持ち運びもしやすいからで、弩が火器に駆逐されたのに対し、弓は火器の長い発射間隔を補うために使用され続けた
また状況を問わず使えることから、歩兵戦、騎兵戦、水戦の全てにおいて重要視された
『三国志演義』で最も有名な使い手といえば呂布と黄忠であろう
呂布は劉備軍と袁術軍を和睦させるため、百五十歩先の戟に弓を射当てた
黄忠は関羽に一騎討ちの最中救われたので、百発百中の弓の才を持ちながら、敢えて関羽を射殺さず、義に対し義で答えた




860名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:52:08 ID:ePZ
弓は命中率がハンパねぇからな
火器がこれに追いつくのはかなり近代になってからや
861名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:52:12 ID:jMa()
>>856
せやで
時間が中途半端になるからおまけとして

>>857
一見すると変な武器やけど理由を見ればかなり合理的な武器やね
ワイも好き
862名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:52:53 ID:jMa()

弩は弦を止め金に掛けて張り、レバーを引くと止め金が落ちて矢が発射されるという武器
弓を引いてから発射するまで力を使い続けなければならない弓と違い、一度引いてしまえばよいだけの弩はより強い力を込められるので、弓より威力と飛距離が格段に上である
戦国時代から正式な装備として使われていたが、その威力の高さから突撃する騎兵を阻むのによく使われた
そのことが騎兵の重装備化を促し、さらに重装騎兵に対抗するため、強力な弩が生まれるといった、ある意味では騎兵との戦いにより進化したと言える
『三国志演義』においては諸葛亮が矢を一度に十発も放てる連弩を開発し、その法を託された姜維は司馬師に陽平関まで追撃されると、この連弩で司馬師を撤退させている




863名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:53:32 ID:Hl1
>>859
夏侯淵の弓に関するエピソードは演義だけだっけ?
864名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:53:49 ID:EiN
>>859
太史慈……
865名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:53:56 ID:jMa()
以上で終わりや
今回時間少なかったからこれだけで許してください


>>858
なんやそら

>>860
せやで
そのため弓はなかなか廃れなかった
866名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:53:57 ID:eMH
>>859
呂布が戟に矢を当てたのが正史だと言う事実
867名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:54:47 ID:Hl1
>>866
そら紀霊もビビって軍を引きますわ
868名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:54:53 ID:jMa()
>>863
銅雀台でのエピソードか?
それは演義だけやで

>>864
弓の名手はたくさんいるから紹介しきれなかったんや
太史慈さんすまんな
869名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:55:43 ID:Hl1
>>868
重要な武器やから名手もたくさんおったんやろな
870名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:56:33 ID:eMH
ワイがゲームで弓使っても全然当たらないんだが????????
871名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:56:49 ID:EiN
>>868
弓の名手は多いな
太史慈は山賊討伐とかのときの話やし武将との絡みがあるわけでもないしまあしゃーない、すまんな
872名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:57:14 ID:Hl1
>>870
そういう時は矢の雨を降らすんや
873名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:57:40 ID:8TF
弓の名手→やきうの名手
サンとかの名手→ハンドボールの名手

こんなイメージ?
874名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:57:55 ID:tjb
>>871
いしつぶて(ボソッ
875名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:58:23 ID:jMa()
じゃあこれで正史三国志の紹介は終わりや
明日からは三国志演義をワイ訳でやらせてもらうで
これは最後までやるわけやなくて、いずれは百二十回まで訳すけど、どれくらい需要があるか確認のためにやらせてもらうんや
もし全部訳してから需要ないってわかっても悲しいからな
というわけで五回だけやらせてもらうわ
正史やないけど見てくれたらうれしいで

時間は毎日20:30を予定
12/10(日) 三国志演義一回
12/11(月) 三国志演義二回
12/13(火) 三国志演義三回
12/14(水) 三国志演義四回
12/15(木) 三国志演義五回
876名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:58:33 ID:ePZ
おもしろかったー
877名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:59:00 ID:eMH
>>875
楽しみにしてるで!
878名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)21:59:18 ID:Hl1

できる限り参加させてもらうで
879名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)22:00:39 ID:EiN
>>875
乙やで

>>874
石つぶてといえば民間伝承やけど丁奉が使い手やな
880名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)22:00:43 ID:jMa()
>>869
せやな
ただ三国志演義では呂布と黄忠の知名度が一番だろうからこの二人を選んだんや

>>871
太史慈さんのエピソードも紹介したかったけど上記の理由で省いてしまったわ
881名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)22:03:53 ID:tjb
あ、イッチ、武器分類は気長に待ってるやで
882名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)22:04:14 ID:jMa()
>>873
サンは投げるものやないで振り回すスコップや
>>876
>>877
>>878
>>879
こちらこそ今までお付き合いありがとナス
かなり時間取らせてしまったけど本当にありがとうやで


じゃあワイは落ちるわ
三国志演義を訳すのはまた別スレ立てるからそっちでよろしくお願いします
他にもやって訳してほしい人物おったらここに書いてくれやで
883名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)22:04:28 ID:jMa()
>>881
今日中にはやっておくで
884名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)22:05:14 ID:tjb
>>883
サンガツやで
885名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)22:49:59 ID:jMa()
三国時代に使われている武器について調べてきた

まず投擲武器でいうと弓や弩は使われている
またこの時代の弩の特徴として連射式の連弩が使われている
これは諸葛亮が開発したと言われてるな

刀剣類でいえば直刀が使われてている
剣は騎兵戦に対応出来ずに廃れているし曲刀は唐の時代以降だそうだ

長兵器と呼ばれる身長以上の長い武器に関していえばこの時代のメインは戟らしい
戈は戦車戦と共に廃れて槍は隋の時代まで出てこない
矛もあまり使わないそうだが張飛伝などにあるようにまだ残ってはいたようだ

打撃系の武器は三国時代は使われていない
これ系の武器は晋や南北朝に入って重装兵が出現すると刀剣で斬れなくなった鎧の上から効率的にダメージを与えるために使用されるようになったみたい
だからまだ三国時代では重視されていないそうだ

火器は全く使われない、というかこの頃にはまだ火薬は発明されていないからね

ちなみに流星錘は宋の時代に登場したと推測されているらしい

また防具としては筒袖鎧という鉄で出来た鎧があったそうだ
これは諸葛亮が開発したと言われているが真実は定かではないな

戦車は漢の初期に騎馬に取って代わられたからこの時代は使ってないみたい

だいたいこんな感じ


じゃあ今度は馬超伝、袁術伝、董卓伝の後半やるわ
大体三か月から六か月くらい後になると思うけど少なくとも二週間前くらいにはここで予告しておくで
886名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)23:05:42 ID:eMH
サンイチ
いつか禰衡伝もみたいで
887名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)23:32:55 ID:ePZ
おつおつ
わかりやすい説明サンキューイッチ
888名無しさん@おーぷん :2017/12/09(土)23:57:22 ID:vk2
おつやで
889名無しさん@おーぷん :2017/12/10(日)14:44:39 ID:Jxj
台東区の書道博物館で、呉志の偉曜伝末とカカク伝冒頭とかリヨウの出師表とか曹真残碑とか曹丕・ショウヨウ・諸葛亮・陸機の書を見てるやで
890名無しさん@おーぷん :2017/12/10(日)14:45:40 ID:Jxj
あとサイヨウの「喜平石経」もあったやで
891【46】 :2017/12/10(日)20:28:55 ID:NRd
あげ
892名無しさん@おーぷん :2017/12/10(日)20:30:31 ID:hL5()
一応こっちにも貼っておく
よかったら見に来てやで

ワイが訳した三国志演義をみんなで見るスレ
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1512905350/l50

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