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正史三国志・張飛伝の全文(意)訳と解説をするで

1名無しさん@おーぷん:2017/02/22(水)19:02:12 ID:LIn()
ワイが淡々と正史三国志・張飛伝の全文(意)訳と解説をするスレや
暇だったら見ていってクレメンス

ちな過去スレ
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1470897759/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1476278898/
2名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:03:11 ID:LIn()
張飛、字益德、涿郡人也。

張飛、字を益徳といい、涿郡の人である。

※演義では字を翼徳というがこれは益と翼が同じ「イ」という発音であることから混同されたと思われる
※出身地は劉備、簡雍らと同郷
3名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:03:50 ID:LIn()
※ちなみに張飛は演義で身長八尺、豹のような頭に環のような眼、燕のような顎に虎のような髭、声は雷の如く勢いは馬の如しと書かれているがこれらは全て後世の創作によるもの
4名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:05:10 ID:LIn()
何か意見とか質問あったら遠慮せずいってくれやで
その度答えるで
5名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:05:25 ID:iD2
みてるで
楽しみや
6名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:05:59 ID:LIn()
>>5
サンガツ
7名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:06:17 ID:LIn()
先主從曹公破呂布、隨還許、曹公拜飛爲中郎將。

劉備が曹操に従い呂布を破り、許昌に帰るのに随行し、曹操は張飛を中朗将にした。
8名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:07:02 ID:LIn()
先主背曹公、依袁紹、劉表。表卒、曹公入荊州、先主奔江南。

劉備は曹操に背き袁紹、劉表を頼った。劉表が亡くなると曹操は荊州に入り、劉備は江南に奔走した。
9名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:07:40 ID:hcC
展開早い、早くない?
10名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:07:51 ID:LIn()
曹公追之、一日一夜、及於當陽之長阪。先主聞曹公卒至、棄妻子走、使飛將二十騎、拒後。

曹操はこれを追い、一日一夜で当陽の長坂にまでやって来た。劉備は曹操の兵卒が追いついたことを聞くや妻子を棄てて逃げ、張飛は二十騎で殿を務めた。

※俗にいう長坂の戦い
※蒼天航路で勘違いしている人が多いが劉備が馬車から息子を投げ捨てたという話は劉邦の逸話のオマージュで正史には載っていない
11名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:08:46 ID:lqN
劉備クソやん
12名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:09:03 ID:LIn()
>>9
演義はあくまで創作やから
正史だと黄巾の乱とか反董卓連合では張飛は活躍してないんや
13名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:09:36 ID:hcC
>>12
はえ〜サンガツ
14名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:09:53 ID:LIn()
飛、據水、斷橋、瞋目橫矛曰「身、是張益德也。可來共決死!」敵皆無敢近者、故遂得免。

張飛は川に拠って橋を断ち、目を見開いて矛を横たえて言った、「我こそは張益徳である。かかってくるがいい、死を共に決しようぞ!」敵は近づこうとする者などなく、こうして劉備らは逃れることができた。

※演義では橋の上に仁王立ちしたとあるが正史では橋を切り落としたうえで戦っている
※ここでいう矛は蛇矛ではない。蛇矛は明の時代に出来た武器でこの時代には登場しない
15名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:10:44 ID:LIn()
先主既定江南、以飛爲宜都太守、征虜將軍、封新亭侯。後、轉在南郡。

劉備が江南を平定すると、張飛を宜都太守、征虜将軍に任じ、新亭侯に封じた。後に南郡に転任した。
16名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:11:31 ID:uY1
はぇ~
17名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:11:36 ID:sFh
>>14
蛇矛じゃないのてこういうやつ?



18名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:11:57 ID:LIn()
先主入益州、還攻劉璋、飛與諸葛亮等、泝流而上、分定郡縣。

劉備が益州に入り(葭萌から)引き返して劉璋を攻め、張飛は諸葛亮らと共に長江の流れをさかのぼって攻め上がり、手分けして郡県を平定していった。

※劉備は先主(劉備)伝で葭萌に居たとある
19名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:13:11 ID:LIn()
>>17
武器は詳しくないから正確にはわからへんがそういう普通の矛やと思うわ
20名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:13:27 ID:LIn()
至江州、破璋將巴郡太守嚴顏、生獲顏。

張飛は江州に至り、劉璋の将である巴郡太守厳顔を破り生け捕った。
21名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:13:33 ID:uY1
「かかってこい!(橋を切り落として)」
死を共にするどころか殺る気マンマンやんけ
22名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:14:12 ID:lo7
さぞかし立派な死に方するんやろなぁ・・・
23名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:14:25 ID:LIn()
飛呵顏曰「大軍至、何以不降而敢拒戰?」顏答曰「卿等無狀、侵奪我州。我州但有斷頭將軍、無有降將軍也」飛怒、令左右牽去斫頭。

張飛は厳顔に怒鳴りつけて言った、「大軍がやってきたのだぞ、何故降伏せず抵抗したのか?」厳顔は答えて言った「卿らは無礼にも、我が州を侵略し奪った。我が州には首を刎ねられる将軍はおっても、降伏する将軍などおらんわ」張飛は怒り、側近に命じて厳顔の頭の皮を剥せようとした。
24名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:15:09 ID:LIn()
顏色不變、曰「斫頭、便斫頭。何爲怒邪」飛、壯而釋之、引爲賓客。

厳顔は顔色を変えずに言った、「頭の皮を剥ぎたければ剥げばいい。何を怒ることがあろうや」張飛は厳顔のことを壮士だと思いこれを釈放し、賓客として引き立てた。
25名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:15:56 ID:LIn()
飛、所過戰克、與先主會于成都。益州既平、賜諸葛亮、法正、飛及關羽、金各五百斤、銀千斤、錢五千萬、錦千匹、其餘頒賜各有差。以飛、領巴西太守。

張飛は通過するところで戦えば勝ち、劉備と成都において会った。益州は既に平定され、諸葛亮、法正、張飛及び関羽はそれぞれ金五百斤、銀千斤、銭五百万、錦千匹を賜り、その他の賜り物には各々差が有った。劉備は張飛に巴西太守を領させた。
26名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:16:24 ID:LIn()
どや?ペース早くないか?
27名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:16:55 ID:iD2
張飛もイメージほど脳筋じゃないねんな
28名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:17:36 ID:sFh
>>26
ちょっと速すぎんよ~(指摘)
29名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:18:08 ID:LIn()
>>27
せやな
後世の創作で馬鹿キャラになってもうたけど正史では頭悪い描写はないで

>>28
スマンな
少しペース落とすわ
30名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:19:39 ID:LIn()
曹公破張魯、留夏侯淵張郃、守漢川。郃、別督諸軍下巴西、欲徙其民於漢中、進軍宕渠、蒙頭、盪石。與飛相拒、五十餘日。

曹操は張魯を破り、夏侯淵と張郃を留めて漢川を守らせた。張郃は夏侯淵とは別に諸軍を率いて巴西を下り、その民を漢中に従わせようとし、宕渠、蒙頭、盪石に進軍した。張飛は相対してこれを拒み、五十余日となった。
31名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:21:30 ID:LIn()
飛、率精卒萬餘人、從他道邀郃軍交戰。山道迮狹、前後不得相救、飛遂破郃。

張飛は精兵一万余りを率いて他の道から迎え撃ち張郃軍と交戦した。山道は狭く、前後の兵はお互いに助け合うことが出来ず、張飛は遂に張郃を破った。
32名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:22:24 ID:uY1
意外と文字化けするな
33名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:22:52 ID:iD2
マ?普通にみえてるで
34名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:23:34 ID:LIn()
>>32
文字化けしとるんか、すまへん
今度から注意するわ
35名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:23:51 ID:LIn()
郃、棄馬、緣山、獨與麾下十餘人、從間道、退。引軍、還南鄭、巴土獲安。

張郃は馬を棄て山に拠り、ただ一人配下十余人を従え間道を進み退却した。張郃が軍を退いて南鄭に帰ったので巴の領土は平安を取り戻した。
36名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:24:58 ID:Kju
>>32
OSが古いと中華フォント(この場合は繁体字)表示できなくて文字化けするやで
37名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:25:24 ID:LIn()
先主爲漢中王、拜飛爲右將軍、假節。章武元年、遷車騎將軍、領司隸校尉、進封西鄉侯。

劉備が漢中王になり、張飛は右将軍、仮節に任命された。章武元年(221年)、車騎将軍、領司隸校尉になり西郷侯に封じられた。


※章武元年の張飛の出世は劉備が漢の皇帝を引き継いだことによるもの。正史では正式な王朝は魏であるから劉備は皇帝とみなされていない。そのため皇帝即位のことは敢えて書かれていない
※司隸はこのとき魏の領土である
38名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:25:52 ID:9KZ
フォントはしゃーない
こればっかりは各自の環境に依存する
39名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:26:46 ID:LIn()
※張飛にあまり関係ない上長いので中略
劉備が出した辞令には「賊(魏)が跋扈し心が痛んでいる。そのため軍を出して征伐したい。張飛も徳と刑罰を以て民を治め私の意に沿うようにしてほしい。」といった内容
40名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:27:54 ID:LIn()
初、飛雄壯威猛、亞於關羽、魏謀臣程昱等咸稱、羽飛萬人之敵也。

昔より張飛の雄壮で猛きことは関羽に次ぎ、魏の謀臣程昱らはみな関羽と張飛は万人に匹敵すると称えた。
41名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:28:31 ID:uY1
他国の領土に勝手に任命しちゃったん?
42名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:30:00 ID:LIn()
>>41
劉備の立場からすれば魏が勝手に司隷を占領してるって考えやからな
43名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:30:13 ID:LIn()
羽、善待卒伍而驕於士大夫。飛、愛敬君子而不恤小人。

関羽は兵卒を善く待遇したが士大夫には驕りをもって接した。張飛は君子には敬愛をもって接したが小人を憐れむことはなかった。
44名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:31:40 ID:LIn()
先主常戒之曰「卿、刑殺既過差。又日鞭撾健兒、而令在左右。此、取禍之道也」飛猶不悛。

劉備は常にこれを戒めて言った「卿(張飛のこと)は刑をもって殺すことが過ぎる。また日々兵を鞭打ちにしながらそのものを側近として置いている。これでは必ず災いを招くであろう」張飛はそれでもなお改めなかった。
45名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:32:04 ID:iD2
(アカン)
46名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:32:50 ID:lo7
・・・
47名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:33:08 ID:LIn()
先主伐吳、飛當率兵萬人自閬中、會江州。臨發、其帳下將張達范彊、殺飛、持其首、順流而奔孫權。

劉備が呉を征伐するとき張飛は兵一万人を率いて閬中から出て江州で落ち合う予定であった。出発するに臨み、その配下の張達、范彊が張飛を殺し、首を持ち長江の流れに沿って孫権の元に出奔した。

※演義では酒に酔った張飛が張達、范彊を棒叩きをしたことで恨みを持たれ殺されたことになっているが、正史の張飛には酒乱であるいう記述は無い
48名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:33:49 ID:lo7
あっけな
49名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:34:25 ID:iD2
部下は大事にしなあかんなあ
50名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:34:33 ID:LIn()
飛營都督、表報先主。先主、聞飛都督之有表也、曰「噫!飛死矣」追諡飛曰桓侯。

張飛の都督が上表して劉備にこのことを報告した。劉備は張飛の都督から上表があったと聞くや、「ああ!張飛が死んだ」と言った。(劉禅は)張飛を桓侯と諡した。

※諡は後主(劉禅)伝によると関羽、馬超、龐統、黄忠らと同時にされている
51名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:34:35 ID:lqN
死んでしもうた
52名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:36:10 ID:LIn()
長子苞、早夭。次子紹嗣、官至侍中尚書僕射。苞子遵、爲尚書、隨諸葛瞻於緜竹、與鄧艾戰、死。

長男の張苞は若くして死んだ。次男の張紹が後を継ぎ、官職は侍中、尚書僕射に至った。張苞の子張遵は尚書となり、諸葛瞻に随行して緜竹において鄧艾と戦い死んだ。
53名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:36:22 ID:MKL
劉備って登山家に対する評価もそうやし、張飛に対する忠告もそうやけど結構見る目あるな
魏延取り立てて漢中任したりしたのも有能やったし
54名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:37:07 ID:iD2
劉備は個人の力よりもそれがキモやんな
孫権もそれっぽいとこあると思うけど
55名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:37:24 ID:uY1
言うてボコボコにしても左遷まではしなかったとも取れるが…
56名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:38:06 ID:LIn()
>>53
これはホンマに同意やわ
乱世を渡り歩いてるだけあってそういう目が培われたんかな
57名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:39:00 ID:LIn()
評曰。關羽、張飛、皆稱萬人之敵、爲世虎臣。羽、報效曹公、飛、義釋嚴顏、並有國士之風。然、羽剛而自矜、飛暴而無恩、以短取敗、理數之常也。

評に曰く。関羽、張飛は皆万人に匹敵すると称え、世の虎臣である。関羽は(顔良を斬ることで)曹操に報い、張飛は厳顔を義によって釈放した。二人とも国士の風格があった。然れども、関羽は剛直で矜持が高く、張飛は暴力的で恩愛が無く、その短所によって敗れたのは道理の常である。
58名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:39:20 ID:iD2
辛辣で草
59名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:40:29 ID:LIn()
>>58
陳寿の評は割とバッサリやで
自分が仕えた君主の劉禅でさえ善政がないと言い切ってるし
60名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:40:52 ID:MKL
>>57
張飛ボロクソで草
61名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:41:51 ID:LIn()
以上で張飛伝は終わりや
何か質問あったら答えるで

趙雲伝も作ってあるから五分休憩のあと趙雲伝開始するで
62名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:42:09 ID:iD2
おつやで
イッチは何の勉強しよる人なん?
63名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:43:15 ID:LIn()
>>62
特に歴史をを専行してるわけやないで
大学時代は哲学専行やったし
趣味でやってるだけや
64名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:43:31 ID:iD2
>>63
そうなんやサンガツ
65名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:44:38 ID:uY1

おもろいわ
66名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:46:27 ID:LIn()
>>65
そう言って貰えるとモチベーションになるわ
67名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:47:25 ID:LIn()
そろそろ開始するで
引き続きよろしく
68名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:47:38 ID:Kju
>>50
張飛の諡「桓」候については
辟土服遠曰桓・・・周辺を開き遠くを征服したという意味やで
三国時代で同じ「桓」をおくられたのは孫策や
69名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:47:41 ID:iD2
たのしみやで
70名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:47:41 ID:LIn()
趙雲、字子龍、常山真定人也。

趙雲は字を子龍といい常山真定の人である。

※演義では濃い眉に大きな目、広い顔で顎が重なっている、威風堂々といった容貌であるが正史には載っていない
71名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:48:09 ID:LIn()
>>68
補足サンガツ
72名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:49:28 ID:Cj5
趙雲も楽しみンゴ
73名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:49:39 ID:LIn()
本、屬公孫瓚。瓚遣先主爲田楷拒袁紹、雲遂隨從、爲先主主騎。

元は公孫瓚に仕えていた。公孫瓚が先主(劉備)を遣わせ田楷のために袁紹を防がせた際、趙雲は劉備に随行しその配下となった。

※ここで裴松之の注『趙雲別伝』という書物の記載が入るが余りにも趙雲を称賛する記載が多いため信憑性が低いと清の学者の何焯に指摘されている。ワイもそう思うため今回はカットするで
74名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:51:04 ID:LIn()
及先主爲曹公所追於當陽長阪、棄妻子南走。雲、身抱弱子、卽後主也。保護甘夫人、卽後主母也。皆得免難。

劉備が曹操に当陽の長坂に追われるに及び、劉備は妻子を棄て南へ逃げた。趙雲は身に幼子を抱いていたが、これ即ち後主(劉禅)のことである。甘夫人を保護していたがこれ即ち劉禅の母である。皆難を逃れられた。

※俗にいう長坂の戦い
※百万の兵の中ただ一騎で駆け抜けたという逸話も創作であり、青紅の剣も架空の武器なので正史には登場しない
75名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:51:57 ID:iD2
子供を守ったのは事実なのね
76名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:52:10 ID:LIn()
※劉備が先主、劉禅が後主と呼ばれる理由について解説。
正史では魏を正式な王朝として認めているため劉備や劉禅のことを皇帝と呼べない。
しかし正史の作者である陳寿は蜀に仕えていたため劉親子の名前を避けて呼びたい。
その折衷案として先代の主人、後代の主人としての意味で先主、後主という呼び方が使われている。
77名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:52:31 ID:LIn()
>>75
せやで
78名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:53:30 ID:LIn()
遷爲牙門將軍。先主入蜀、雲留荊州。

趙雲は帰還し牙門将軍となった。劉備が蜀に入るとき、趙雲は荊州に留まった。
79名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:54:28 ID:LIn()
先主、自葭萌還攻劉璋、召諸葛亮。亮、率雲與張飛等、俱泝江西上、平定郡縣。

劉備が葭萌から引き返し劉璋を攻めると、諸葛亮を召した。諸葛亮は趙雲と張飛らを率いて共に長江をさかのぼって西上し、郡県を平定した。
80名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:55:25 ID:LIn()
至江州、分遣雲、從外水、上江陽、與亮會于成都。成都既定、以雲爲翊軍將軍。

江州に至り、軍を分けて趙雲を遣わし、外の河水に沿って江陽に上らせ、諸葛亮と成都で会うようにさせた。成都が平定されると趙雲は翊軍将軍となった。
81名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:56:40 ID:LIn()
建興元年、爲中護軍、征南將軍、封永昌亭侯、遷鎭東將軍。

建興元年(223年)、趙雲は中護軍、征南将軍となり、永昌亭侯に封じられたが鎮東将軍に降格となった。

※建興元年の趙雲の出世は劉禅が皇帝に即位したことによるものだが正史では魏を正式な王朝とみなしているため、劉禅の皇帝即位のことは敢えて書かれていない
82名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:56:43 ID:4Hi
たまにやってるよなイッチ
魏延かなんかの回は見てたで
83名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:58:09 ID:iD2
当時も検閲があったんやろか
それとも自主規制?
84名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)19:59:33 ID:LIn()
>>82
その頃から見ててくれたんか
嬉しいわ

未だ鬱で休職中なんで暇やし三国志訳やっていくわ

>>83
『三国志』は皇帝の命令で作らされたものやなく私撰なんで自主規制や
85名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:00:27 ID:LIn()
※趙雲が翊軍将軍(雑号)からいきなり征南将軍という高い官位を貰っているのが謎である。
私見ではあるがこれは劉禅の贔屓の可能性がある。
劉禅は陳祗や黄晧を引き立て、後継者選びには道理に外れ劉恂を選ぶといったように自分の気に入った人物を重用するきらいがある。
劉禅はかつて趙雲に命を救われたため功績以上の官位を与えたのであろう。
そう考えるとすぐに鎮東将軍に落とされたのも納得いくものではないか。
86名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:01:30 ID:I1n
イッチ漢文読めるんか!?すごE
87名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:01:56 ID:LIn()
五年隨諸葛亮、駐漢中。明年、亮出軍、揚聲由斜谷道。曹真遣大衆當之。亮、令雲與鄧芝、往拒、而身攻祁山。

建興五年(227年)、趙雲は諸葛亮に随行し漢中に駐屯した。翌年諸葛亮は出陣し斜谷道を経由すると声をあげて喧伝した。曹真は大軍を遣わしこれに当たった。諸葛亮は趙雲と鄧芝に命令して拒ませ、自身は祁山を攻めた。

※俗にいう第一次北伐のこと
※諸葛亮は直接長安を攻めると見せかけて西方に進出する策を取った。このときの囮役となったのが趙雲と鄧芝である
88名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:02:29 ID:LIn()
>>86
大学で習った程度のレベルやけどな
89名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:02:31 ID:iD2
鬱はしんどいやな ワイもだいぶ人生に穴あいたで
お大事に
90名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:03:12 ID:LIn()
>>89
サンガツ
早く復帰したいわ
91名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:03:37 ID:LIn()
雲芝兵弱敵彊、失利於箕谷。然、斂衆固守、不至大敗。軍退、貶爲鎭軍將軍。

趙雲と鄧芝の兵は弱く敵は強く、箕谷では不利となった。しかしながら、兵を引き締めて固守したため大敗には至らなかった。軍を退却すると鎮軍将軍に降格となった。

※元より囮役として弱兵を率いての出陣なので理不尽に思えるかもしれない。しかし、さきほど述べたように趙雲はあり得ないくらいの昇格をしているのでこの敗北にかこつけて降格させた可能性がある
92名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:04:43 ID:TUQ
趙雲ってにわかに過少評価されがちだよな
93名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:06:07 ID:iD2
なんせ2000年も前の話やし500年前にも1000年前にもにわかっていたんやろなあ
気が遠くなるやね
94名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:06:07 ID:LIn()
演義と正史のギャップで過小評価してまうんやろなぁ
関羽張飛に比す大人物だとは言えへんがそこまで酷い人物でもあらへんのに
95名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:06:34 ID:LIn()
七年卒、追諡順平侯。

建興七年(229年)に死亡し、後に(劉禅によって)順平侯と諡された。
96名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:07:06 ID:qgD
武器も持つとこ多分木製やんな?
将軍クラスになると鉄で作るんやろか
でも少林寺の槍術とかも木のしなり使ってるしな
97名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:07:51 ID:LIn()
※二文字の諡は諸葛亮と関羽と趙雲だけである。
張飛ですら桓侯と一文字の諡なのに圧倒的に格下の趙雲が二文字の諡を貰えたのも謎である。
劉禅は関羽、張飛、馬超、龐統、黄忠ら功臣に諡を与える前に寵愛していた陳祗に諡するなど贔屓が目立つ人物なのでこれもその一端なのかもしれない。
98名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:08:09 ID:iD2
どんな武器で何万人もいる戦場で肉弾戦やってたのかは気になるよね
99名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:09:41 ID:LIn()
>>96
武器詳しくないからわからへん
今度勉強してくるわ、スマンな

>>98
ワイも気になってきたわ
100名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:09:56 ID:LIn()
初、先主時、惟法正見諡。後主時、諸葛亮功德蓋世、蔣琬、費禕荷國之重、亦見諡。陳祗、寵待特加殊奬、夏侯霸、遠來歸國、故復得諡。

初め、劉備の時代はただ法正だけが諡された。劉禅の時代、諸葛亮は功徳がずば抜けており、蒋琬、費禕は国の重鎮で、陳祗は寵愛が特別に加えられ、夏侯覇は遠方より国に帰したのでまた諡を得た。
101名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:10:44 ID:iD2
初歩的ですまんけど諡について若干おしえて
102名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:10:51 ID:Kju
>>96
今出土しとる漢代の矛や戟は皆先っぽだけ残ってるので柄は木製やろね
103名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:11:10 ID:uR5
趙雲は先発のエース格というより中継ぎ抑えロングリリーフと
色々便利に使えるPって印象が強いなあ。
104名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:11:11 ID:LIn()
於是、關羽、張飛、馬超、龐統、黃忠及雲、乃追諡。時論以爲榮。

これにおいて関羽、張飛、馬超、龐統、黄忠及び趙雲は諡を得た。時論はこれを栄誉なことだとした。
105名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:12:22 ID:qgD
蒼天航路の序盤張飛小物すぎて草
関羽は逆ちょっと良く描き過ぎやな
106名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:13:20 ID:iD2
>>105
小物なところもええやんけ
蒼天航路はキャラが全員魅力的すぎてやばいわ
107名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:14:08 ID:LIn()
>>101
諡は死んだ人に与える称号のことでその人の評価によってつけられる文字が違うんや
例えば外征で活躍した人物なら「武」がつけられたり治世をもたらした人物なら「文」がつけられたりといった具合やで
108名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:14:34 ID:qgD
>>106
蒼天のキャラ付けは好きやで
董卓がカッコいいのは良かったな
109名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:14:35 ID:LIn()
雲子統嗣、官至虎賁中郎、督行領軍。次子廣、牙門將、隨姜維沓中、臨陳戰死。

趙雲の子の趙統が後を継ぎ官職は虎賁中郎、督行領軍に至った。次男の趙広は牙門将軍となり、姜維に従って沓中に行き、陣に臨んで戦死した。
110名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:15:10 ID:iD2
>>107
サンキューイッチ
戒名みたいなノリでつけるけど全員貰えるわけやないんやな
111名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:17:01 ID:LIn()
>>110
皇帝などの貴人や臣下の中でも特に優れた人物に与えられる名誉ある称号や
当然乱発はされへんで
112名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:17:25 ID:qgD
関羽、張飛、馬超、黄忠の4人が、それぞれ前将軍、右将軍、左将軍、後将軍に任じられた。
趙雲は各地を転戦しつつもそれまで大きな功績が少なかった為他の四名より昇進が遅かった。待遇が同格になったのは晩年期であるとされる

くっそ働いてるのになあ 可哀想
113名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:17:56 ID:iD2
まさにブルペンの悲哀
114名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:18:12 ID:LIn()
※以下陳寿の評や

趙雲、彊摯壯猛、並作爪牙、其灌滕之徒歟。

趙雲は強くて勇猛であり、そろって爪牙を作り、灌嬰、滕公(夏侯嬰)のともがらであろうか。

※灌嬰、滕公(夏侯嬰)はそれぞれ劉邦に仕えた将軍で漢の功臣
115名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:20:28 ID:LIn()
以上で趙雲伝は終わりや
質問あったら受け付けるで

それとこの人物の訳をやって欲しいってのがあったら言ってやで
今後の参考にさせてもらうわ
116名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:21:10 ID:iD2
おつやでむっちゃ面白かったわ
蜀の人以外も読んでみたいやね
117名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:21:55 ID:LIn()
ちな今まで魏延・馬謖・張遼(合肥の戦い抜粋)・曹操(青州兵あたりまで)・法正・董卓・関羽やったで
118名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:21:58 ID:qgD
司馬懿とか面白そうやな
鬼嫁とかクーデターとか魏王配下時代の人物評とか
119名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:22:01 ID:Kju
>>101
諡法解っていう虎の巻があって生前の業績によってつけられる
「桓」だったら以下の三種類
辟土服远曰桓。以武正定。
克敬动民曰桓。敬以使之。
辟土兼国曰桓。兼人故启土。
ただし言外の意味も含んでて、表面上良い言葉でも孫策、張飛、斉の桓公みたいに
大いに武威を振るっても終わりを全うできなかったので「桓」みたいな隠れた意味もある
「恵」とかもそう
120名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:22:27 ID:uR5
大きな手柄に繋がらなくても黙々と指示された仕事をこなして
くれる便利な人だろうかね。
評価は上がらなくても重宝されてたタイプだろうなあ。

>>115
厳顔って評伝あったっけ?
121名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:23:43 ID:iD2
>>119
サンガツ!
122名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:24:04 ID:LIn()
>>116
読んでくれてサンガツ
例えば誰の伝がいいとかある?

>>118
司馬懿は『三国志』に伝がないんや
せやからパスで

>>120
厳顔はないんや
123名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:24:28 ID:iD2
>>122
個人的に好きなんは孫権や
124名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:25:16 ID:LIn()
>>123
孫権伝な
長いから前半ちょこっとになるかもしれへんがやってみるで
125名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:25:27 ID:qgD
曹植は無いやろか?武将じゃないからなあ
カクカはどうや?
126名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:26:01 ID:iD2
>>124
サンガツやで!

郭嘉もええなあ
127名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:26:24 ID:z8V
蜀書のこの巻って明らかに趙雲だけ浮いてるよな
魏延が反逆者扱いされなければ、この巻に入ってたんやろうけど
128名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:28:53 ID:uR5
孫権やるなら張昭もw
129(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/22(水)20:29:19 ID:XW7
魏の文官見たいなぁ…カクカも好きだけどカクも好きです
130名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:30:43 ID:LIn()
>>125
曹植の伝あるで
郭嘉もあるから後々両方やるわ

>>127
劉禅が諡した五人でまとめられてるけど官職的にも事績的にも趙雲は他の四人より劣るから異質やな
魏延についてはワイも同意
性質と事績からすればこの巻だったと思うわ
131名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:31:24 ID:z8V
呉なら魯粛を押したい
呉の人材の中で天下を目指した最後の一人や
132名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:31:29 ID:qgD
>>130
サンガツ 
133名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:32:58 ID:LIn()
>>128
張昭伝了解したで

>>129
賈詡やな、ワイも好きやから絶対やるわ

>>131
魯粛了解や
134名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:33:29 ID:uR5
>>133
サンガツ!
135名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:34:34 ID:z8V
>>130
趙雲と陳到って、劉備の親衛隊みたいな立ち位置だったんじゃないかと思ってる
だから、劉備生前はあまり事績が無い
劉禅の時代になって、軍方面の人材不足から急激な昇進をしたんじゃないかと
古参でそれなりに能力もあったわけやから
136名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:36:03 ID:qgD
蜀を善玉にしたいから経歴盛るやで〜←まあわかる
ネタ切れてきたな…せや!関羽に架空の子供作ったろ!←やめろや
137名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:36:21 ID:z8V
ついでに言うと、こうした忠誠心が強く我が強くないタイプは諸葛亮の好みでもあったと思う
138名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:43:23 ID:LIn()
>>135
陳到なんか『季漢輔臣賛』でちょこっと触れられてるだけで謎の人物やから親衛隊説も面白いな
二人が出世したのも夷陵の後で人材不足の辻褄も合うし

もう質問なさそうやからワイはそろそろ落ちるで
読んでくれた人サンガツ
明日の19:00から呂布伝と間に合えば孫権伝やるから楽しみに待っていてクレメンス
139名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:44:19 ID:iD2
ここでやるんか?
別スレ立てるんやったらここにもリンク貼ってクレメンス
140名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:44:27 ID:z8V
>>138

141名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:44:33 ID:LIn()
>>139
ここでやるで
142名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:44:46 ID:iD2
>>141
サンガツや
正座してまってる
143名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)20:50:09 ID:sFh
無理のない範囲でよろしくがんばってくれや
期待してるやで
144名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)21:36:56 ID:KVu
>>114
灌嬰・夏侯嬰の同類ってめちゃめちゃ高評価やん
魏で言うなら徐晃・張遼レベルかな
145名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)22:10:25 ID:qgD
ここでやるんか?じゃあブクマしとくで
146(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/22(水)22:22:39 ID:XW7
(*^○^*)また明日なんだ
147名無しさん@おーぷん :2017/02/22(水)22:44:16 ID:aug
イッチ乙やで
おもろくて前スレから見てきてもうた
148名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:02:39 ID:wye()
そろそろ始めるで

今日は呂布伝と孫権伝の赤壁あたりまでをやってくんでよろしくやで
149名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:03:00 ID:wye()
呂布、字奉先、五原郡九原人也。

呂布は字を奉先といい五原郡九原の人である。
150名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:03:40 ID:XOT
まってたで
151名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:03:54 ID:wye()
>>150
サンガツ
152(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)19:04:15 ID:ms4
(*^○^*)のんびり見てるんだ
153名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:04:26 ID:wye()
以驍武給并州。刺史丁原、爲騎都尉、屯河內。以布爲主簿、大見親待。

勇猛さによって幷州に仕えた。刺史丁原が騎都尉になると河内に駐屯した。これをもって呂布は主簿となり大いに親しみ待遇された。

※主簿は帳簿係で呂布が何故任命されたかは謎
154名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:05:04 ID:wye()
>>152
昨日見てくれた人やな
今日もよろしくやで
155名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:05:59 ID:wye()
靈帝崩。原、將兵詣洛陽、與何進謀誅諸黃門、拜執金吾。進敗。

霊帝が崩御した。丁原は兵を率いて洛陽に参内し、何進と共に(張讓、趙忠ら)黄門たちを誅しようと謀り、執金吾に拝された。何進が敗れた。
156名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:06:47 ID:cOz
あのBGMが聞こえてきた
157名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:07:11 ID:wye()
董卓、入京都將爲亂、欲殺原幷其兵衆。卓、以布見信于原、誘布令殺原。

董卓が洛陽に入り乱を為し、丁原を殺し兵を併せようと欲した。董卓は呂布が丁原に信頼されているのを見て、呂布を誘って丁原を殺すように命令した。
158名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:08:13 ID:wye()
布、斬原首詣卓、卓以布爲騎都尉。甚愛信之、誓爲父子。

呂布は丁原を斬って董卓の元に参内し、董卓は呂布を騎都尉に任命した。董卓は呂布を甚だ信愛し、父子の誓いを為した。
159名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:09:28 ID:wye()
布、便弓馬、膂力過人、號爲飛將。稍遷至中郎將、封都亭侯。

呂布は弓馬に優れ、膂力は人に過ぎ、飛将と号された。しばらくして遷都し中朗将となり、都亭侯に封じられた。

※飛将は前漢の名将・李広にあやかったもの。李広は李信の後裔で李白の祖先
160名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:10:45 ID:wye()
卓、自以遇人無禮、恐人謀己。行止常以布、自衞。

董卓は自分が人を遇することが無礼であるから人が反乱を企てるのを恐れていた。行く先々では常に呂布をもって自衛した。

然卓性、剛而褊、忿不思難。嘗小失意、拔手戟擲布。布、拳捷避之、爲卓顧謝。
161名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:12:01 ID:wye()
然卓性、剛而褊、忿不思難。嘗小失意、拔手戟擲布。布、拳捷避之、爲卓顧謝。

然れども董卓の性格は剛直かつ偏狭で怒るときは難となることを思わなかった。かつて呂布が小さな失敗をしたとき、手戟を抜いて呂布に投げつけた。呂布は拳と敏捷さでこれを避け、董卓を顧みて謝った。
162名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:12:25 ID:XOT
呂布も結構苦労してんな
163名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:13:05 ID:t7b
魏延のスレから見てるで〜
164名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:13:42 ID:wye()
>>163
その頃から見てくれてるんか
ほんま嬉しいわ
165名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:13:59 ID:wye()
卓意亦解。由是、陰怨卓。卓常使布守中閤。布與卓侍婢私通、恐事發覺、心不自安。

董卓の怒りもまた解けた。しかしこれが理由で呂布は密かに董卓を恨んだ。董卓は常に宮中の小門を呂布に守らせた。呂布は董卓の侍女と密通していたため、事が発覚することを恐れ、心は不安であった。

※正史には貂蝉は存在しないがこの記述が彼女の元となっている
166名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:15:12 ID:wye()
先是、司徒王允、以布州里壯健、厚接納之。

これより先、司徒王允は呂布が州と里の壮健な人物であったことからこれに厚く接した。
167名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:16:07 ID:wye()
後、布詣允、陳卓幾見殺狀。時、允與僕射士孫瑞、密謀誅卓。是以、告布使爲內應。

その後、呂布は王允に拝謁し、董卓に何度か殺されそうになったことを述べた。その時、王允は僕射士孫瑞と共に董卓を密かに誅殺する計画を練っていた。そのため王允は呂布に内応するよう告げた。
168名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:17:32 ID:wye()
布曰「奈如父子何!」允曰「君自姓呂、本非骨肉。今憂死不暇、何謂父子?」

呂布が言った「(董卓と私の)父子の関係をどうするのだ!」王允は言った「君の姓は呂で、本来は董卓の肉親ではない。今貴殿は死を憂いて暇がなく、どうして父子のことを言っていられるのであろうか?」
169名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:18:49 ID:wye()
布遂許之、手刃刺卓。語在卓傳。

呂布委は遂にこれを許諾し、刀で董卓を刺した。その話は董卓伝にある。
170名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:20:09 ID:wye()
允以布爲奮威將軍、假節、儀比三司、進封溫侯、共秉朝政。

王允は呂布を奮威将軍、仮節とし、儀礼の上では三公と同じとし、温侯に封じ、共に朝廷の政治を取り仕切った。
171名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:20:40 ID:XOT
他の蜀の将軍とかと比べて見てきたような記述よね
当時有名なエピソードやったんやろか
172名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:22:04 ID:wye()
>>171
うーむ、そういわれればそうやな
多分出典が違うからやと思うけど詳しく調べないとわからへんな
173名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:22:14 ID:wye()
布、自殺卓後、畏惡涼州人。涼州人皆怨。由是、李傕等遂相結、還攻長安城。

呂布は董卓を殺した後、涼州人を恐れ憎んだ。涼州人も皆呂布を恨んだ。これを理由として李傕らは遂に同盟を組み、帰って長安を攻めた。
174名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:22:50 ID:yFr
演義正史以外の文献だとだと大正義張飛だもんな
175名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:23:37 ID:XOT
>>172
そうなんや サンガツ
正史いうても色々あんねんな
176名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:23:58 ID:wye()
※裴松之の注

英雄記曰。郭汜在城北。布開城門、將兵就汜、言「且卻兵、但身決勝負」。汜、布乃獨共對戰、布以矛刺中汜、汜後騎遂前救汜、汜、布遂各兩罷。

『英雄記』曰く。郭汜は城北にいた。呂布が城門を開け、兵を率いて郭汜に言うには「兵を退けよ、ただ自身で勝負を決しよう」。
177名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:27:09 ID:wye()
>>175
例えば蜀後期の人物は陳寿が直接見て来たから陳寿の特徴である簡潔かつ客観的な文で書かれとる
比べて呉志は呉の人物が作った資料をそのまま引っ張って来てることが多く呉の人物を賛美している文が多い
こんな風に違うんや
178名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:27:25 ID:wye()
汜、布乃獨共對戰、布以矛刺中汜、汜後騎遂前救汜、汜、布遂各兩罷。

郭汜は呂布と共に一騎討ちをし、呂布が矛をもって郭汜を刺した。郭汜の騎兵が前に出て郭汜を救い、二人とも遂に一騎討ちを止めた。

※ここでいう矛は方天画戟ではない、方天画戟は宋代以降に発明された
※ここまでが裴松之注
179名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:27:49 ID:XOT
>>177
それで同じ戦の記述も全然違ったりするんやね
180名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:28:36 ID:wye()
>>179
せやで
181名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:29:03 ID:wye()
布不能拒、傕等遂入長安。卓死後六旬、布亦敗。

呂布は(李傕らを)防ぐことが出来ず、李傕らは遂に長安に入った。董卓の死後六十日が経ち、呂布もまた敗れた。
182名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:30:32 ID:wye()
※裴松之の注

臣松之案英雄記曰。諸書、布以四月二十三日殺卓、六月一日敗走、時又無閏、不及六旬。

私裴松之が考える。『英雄記』曰く。諸書では呂布は四月二十三日に董卓を殺し、六月一日に敗走した。閏年でもないので、六十日には及ばない。

※ここまでが裴松之の注
183名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:31:30 ID:wye()
將數百騎、出武關、欲詣袁術。

まさに数百騎となり、武関を出て袁術の元に参ろうと望んだ。
184名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:32:33 ID:wye()
布、自以殺卓爲術、報讎、欲以德之。術、惡其反覆、拒而不受。

呂布は自ら袁術のために董卓を殺し報復したのでこれを徳があるとされるだろうと思っていた。袁術はその心変わりを悪とし、受け入れず拒んだ。
185名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:33:36 ID:3aq
裴松 斐紹 裴元紹

違和感ないな
186名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:33:51 ID:wye()
北詣袁紹。紹與布擊張燕于常山。燕精兵萬餘、騎數千。布有良馬曰赤兔。

北の袁紹のところに参った。袁紹は呂布と常山において張燕を攻撃した。張燕には精兵一万余りと騎兵数千がいた。呂布は赤兎という良馬を有していた。
187名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:35:09 ID:wye()
※裴松之の注

曹瞞傳曰。時人語曰「人中有呂布、馬中有赤兔。」

『曹瞞伝』曰く。時の人は「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と語った。

※ここまでが裴松之の注
188名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:35:10 ID:rRJ
張飛は武人というよりは文官タイプだったらしいな
189名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:36:01 ID:wye()
>>188
それは聞いたことのない説や
上に張飛伝あるけどバリバリの武官やないか?
190名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:36:35 ID:3aq
呂布が文官やったんやっけ?
191(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)19:37:36 ID:ms4
(*^○^*)呂布も割と流浪してるねぇ…ずっと領地に留まるイメージもないけど、北方三國志だと陳宮との絡み好き
192名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:37:47 ID:wye()
>>190
>>153にあるけど呂布は主簿になってることがあるで
193名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:37:59 ID:wye()
常與其親近成廉、魏越等、陷鋒突陳。遂破燕軍。

呂布は常に側近の成廉、魏越らと先鋒になり敵陣へと突入し陥落させた。遂には張燕軍を破った。
194名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:38:05 ID:yFr
宮城谷三国志は完結したんやっけ
195名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:38:08 ID:XOT
蒼天の呂布と陳宮よかったなあ
196名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:38:39 ID:3aq
>>192
一時的なもんで
文官ガッツリやってたってわけでもないかな
197名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:39:42 ID:wye()
>>196
せやな
事績見る限り武官の方が明らかに向いてるし
198名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:39:54 ID:wye()
而求益兵衆、將士鈔掠。紹、患忌之。布覺其意、從紹求去。

そして呂布は兵士たちに利益を与えることを求め、兵士たち略奪をした。袁紹はこれを憂いた。呂布はその意を悟り、袁紹の元から去った。
199名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:41:21 ID:wye()
紹恐還爲己害、遣壯士、夜掩殺布。不獲。

袁紹は自分を害そうとするために呂布が帰ってくるのを恐れ、壮士を遣わして、夜に呂布を暗殺させた。呂布を捕らえられなかった。
200名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:43:08 ID:wye()
事露、布走河內、與張楊合。紹令衆追之、皆畏布、莫敢逼近者。

ことが露見すると呂布は河内へと走り、張楊と合流した。皆呂布を恐れ、敢えて近づくものは居なかった。
201名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:44:28 ID:wye()
評曰。呂布有虓虎之勇、而無英奇之略。輕狡反覆、唯利是視。自古及今、未有若此不夷滅也。

評曰く。呂布は虎のような勇猛さが有ったが、英知ある機略は無かった。狡猾で心変わりしやすくただ利益のみを重視した。古今において未だこのような未開人が滅ぼされないことは無い。
202名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:44:52 ID:yFr
や袁紹No1!
203名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:45:49 ID:XOT
未開人で草 辛辣やな
204名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:45:54 ID:3aq
呂布やっぱくっそ悪くかかれとるな
残当なんかね
205名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:46:39 ID:wye()
呂布伝はここまでや
呂布の後半生は張邈伝に詳しいからもし知りたかったらリクエストしてやで

今から五分間休憩入れてその後孫権伝やるで
質問や訳してほしい人物が居たら遠慮せず聞いてくれやで
206名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:47:30 ID:XOT
おつやで
やっぱ呂布はおもしれーな
207名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:48:06 ID:3aq
おつやで
ワイこういうの大好きやわ
208名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:48:15 ID:rRJ
>>204
劉備関係でいいことないからかね
209名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:48:40 ID:wye()
>>203
「夷」って字をわざわざ入れとるからね
陳寿はそう思ってたんやろうな

>>204
陳寿は歯に衣着せぬ物言いするからな
210名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:48:43 ID:yFr
陳到さんお願いしゃす
211名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:49:28 ID:wye()
>>210
陳到は伝が立ってないんや、スマンな
212(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)19:51:34 ID:ms4
(*^○^*)不思議な陳到さんやね…伊籍はどうかな、文官だけど
213名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:51:50 ID:DUX
古今においてこのような未開人が滅ぼされないことはない
中国共産党とかいう例外がなんでよりによって今なのか

袁紹のとこにもいたんやな 漫画でもゲームでも省かれてるよなここ
面白くなりそうなのに 袁紹が実物より小物にされてるせいかね
214名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:53:13 ID:wye()
>>213
伊籍伝はあるで
了解や

>>213
漫画は演義を元にしとるしその演義も劉備中心やからどうしても省かれてまうんやろなぁ
215名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:53:43 ID:wye()
そろそろ孫権伝始めるで
216名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:53:57 ID:wye()
孫權、字仲謀。

孫権は字を仲謀という。

※演義では青い目を持ち碧眼児と呼ばれているが正史にそのような描写はない
217名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:53:59 ID:XOT
袁紹もそのうちでいいからやってほしい
218名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:54:19 ID:wye()
>>217
わかったで
219名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:54:30 ID:3aq
なんでそんな設定いれたんやろ<碧眼児
220名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:55:01 ID:XOT
目力がつよいってくらいのイメージだったんちゃうん
221名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:55:14 ID:yFr
>>211
そうだったのか
いつの日か気が向いたらでいいのでアモウさん見たい
222名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:56:12 ID:wye()
>>219
異国風の見た目にして強キャラ感出したかったんちゃう?

>>221
呂蒙伝了解したで
223名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:56:23 ID:wye()
※字の伯仲叔季にはそれぞれ長男、次男、三男、末っ子の意味がある
また字の付け方の一つとして諱と字の意味を同じくするというものがある
例:諸葛「亮」-孔「明」 どちらも明るい、魏「延」-文「長」 どちらも伸ばす
孫兄弟は
孫「策」-伯「符」 長男の伯+「策」と「符」がどちらもふだ
孫「権」-仲「謀」 次男の仲+「権」と「謀」がどちらもはかりごと
孫「翊」-叔「弼」 三男の叔+「翊」と「弼」がどちらも助ける
孫「匡」-季「佐」 末っ子の季+「匡」と「佐」がどちらも助ける
と綺麗に並んでいる
224名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:57:21 ID:3aq
>>222
なるほど
そういう設定も必要やな物語的に
225名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:58:50 ID:DUX
曹操がチビってのは演義なのか正史なのか
正史だったら悪役やから醜くしたるわ!的なアレなのか
袁紹はわりに男前なんやったか
226名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)19:58:53 ID:wye()
兄策既定諸郡、時權年十五、以爲陽羨長。郡察孝廉、州舉茂才、行奉義校尉。

兄の孫策が江東の諸郡を平定したとき、孫権は十五歳であり、孫策は孫権を陽羨長とした。郡は孫権を孝廉に推挙し、州は孫権を茂才に推挙し、奉義校尉となった。

※孝廉は郷挙里選という人材登用方法の一つで孝行な者が推挙される
※茂才は郷挙里選という人材登用方法の一つ
 元は秀才と言ったが後漢の皇帝劉秀の諱を避け茂才となった
227名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:01:29 ID:wye()
>>225
曹操がチビってのは正史には載ってないはずや
袁紹は威厳のある顔立ちって正史にあるで
228名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:01:47 ID:wye()
漢以策遠脩職貢、遣使者劉琬、加錫命。

漢の朝廷は孫策が遠いところでも貢物を納めたことで、使者劉琬を遣わして賜り物を送った。
229名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:03:16 ID:wye()
琬語人曰「吾觀、孫氏兄弟、雖各才秀明達、然皆祿祚不終。惟中弟孝廉、形貌奇偉、骨體不恆、有大貴之表、年又最壽。爾、試識之。」

劉琬は人に語って言った「私が見るに、孫氏の兄弟は皆優秀であっても天寿を全うしそうにない。ただ、真ん中の子の孝廉(孫権のこと)は容貌が並外れて立派で、骨付きは普通ではなく、貴人の相があり、年もまた長寿である。君よ、試しに覚えておくがよい。」

※劉琬の予言通り孫策、孫翊、孫匡は早死にで、孫権は長寿であった
230名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:04:19 ID:XOT
長寿すぎたんだよな…
231名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:05:11 ID:wye()
建安四年、從策征廬江太守劉勳。勳破、進討黃祖於沙羡。

建安四年(199年)、孫権は孫策に従い廬江太守劉勳を征伐に行った。劉勳は破れ、孫策は進んで黄祖を沙羡にて討った。

※黄祖は劉表の部下で荊州の江夏太守
232名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:05:41 ID:3aq
ガチムチで立派やったんやな
233名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:05:42 ID:wye()
>>230
老害化はアカン
234名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:06:44 ID:yFr
どんくらいまで名君やったんや?唐芝が訪ねるあたり?
235名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:06:51 ID:XOT
>>233
やっぱボケたんかね
近年のジンバブエの大統領みてて、これって孫権のアレじゃね?と思ったんや
236(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)20:06:55 ID:ms4
(*^○^*)孫権と周喩て関係良かったのかなぁ…孫策とは断金言われる位の義兄弟で仲良いんやろうけど
237名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:07:17 ID:3aq
ボケる前に後継者決めて隠居は無理やったんかな
238名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:10:58 ID:wye()
>>234
孫権ファンには悪いがワイはそもそも名君とは思わへん
張昭や虞翻などの扱いが酷すぎや

>>235
ジンバブエの大統領ってそんな酷いんか?

>>236
ワイが正史読んだ限りじゃ仲悪くはないと思う

>>237
本来なら孫登が居たんやけど早死にしたんや
239名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:11:58 ID:wye()
策長史張昭、謂權曰「孝廉、此寧哭時邪。且、周公立法而伯禽不師。非違父、時不得行也。

孫策の長史張昭が孫権に言うには「孝廉(孫権のこと)よ、慟哭している時でありましょうか。かつて周公は法律を作りましたが伯禽はそれに倣いませんでした。父に違えたのではなく、時勢を得られず行えなかったのです。
240名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:12:06 ID:wye()
※周公は周王朝の政治家、伯禽はその息子で魯の初代の公
241名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:12:09 ID:XOT
>>238
昔はできる奴やったんやけど歳くってから国がひっくりかえるくらい意味わからんねや
242名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:12:20 ID:3aq
そういや孫登おったんやったな
243名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:14:54 ID:wye()
>>241
老害化が決定的になったのはやっぱり二宮の変あたりやと思うわ
244名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:15:11 ID:wye()
況、今姦宄競逐、豺狼滿道。乃、欲哀親戚顧禮制、是猶開門而揖盜。未可以爲仁也」乃、改易權服、扶令上馬、使出巡軍。

今の状況は姦賊が競い合い、残酷で欲深い人が道にあふれかえっております。親戚のみを哀れんで礼儀を顧みることは門を開き盗賊に礼をするようなものです。仁を行うべきです」これによって孫権の服を改め、馬に乗るのを手伝い、出陣して軍を巡らせた。
245(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)20:15:27 ID:ms4
(*^○^*)孫権は陸遜にもやらかしてるイメージ…うーん
246名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:15:36 ID:XOT
名君ではないというかトップの器ではなかったんやろなあと思う
まあ乱世に巻き込まれてよく頑張ったよ
247名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:17:51 ID:wye()
>>245
陸遜は可哀想やわ
死んだ後謝罪しとるけどなんだかなぁ

>>246
陳寿も孫策>孫権って評しとるし孫策が生きていればなあ
孫権は地方官になれば治世の才を生かせたかもしれへん
248名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:18:05 ID:g4W
ええやん
249名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:18:05 ID:wye()
是時、惟有會稽、吳郡、丹楊、豫章、廬陵。然、深險之地猶未盡從。

この時、会稽、呉郡、丹楊、豫章、廬陵が有るだけであった。さらに険阻な土地は未だ孫権に服従していなかった。
250名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:19:17 ID:DUX
孫権も武将としての方が優秀だった感あるな
やっぱ比較的田舎だからか徳の面で劣る気がする
251名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:19:32 ID:wye()
而天下英豪布在州郡、賓旅寄寓之士、以安危去就爲意、未有君臣之固。

天下の英傑は皆州郡にあって、賓客も安全と危険を考え孫権の元から去ることを思い、未だ君臣の関係は固まって居なかった。
252名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:19:53 ID:S7k
劉表すき
253名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:19:57 ID:XOT
前途多難やな
254名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:20:24 ID:3aq
水賊もおったんやっけ
255名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:21:12 ID:yFr
鶏肋の一族って実は凄いらしいね
256(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)20:22:30 ID:ms4
(*^○^*)呉自体が国というより有力家の集まりみたいな感じがするから、舵取り難しそう
257名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:24:04 ID:wye()
>>250
ワイは孫権は武将として優秀なイメージないなぁ

>>254
山越はじめ賊ばっかりや

>>225
母親が袁術の一族やからな

>>256
私兵制とってたし豪族の連合体みたいなもんやな
258名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:24:20 ID:wye()
張昭、周瑜等謂、權可與共成大業故委心而服事焉。

張昭、周瑜らは孫権が共に大業を為し、心服できる人物だと言った。
259名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:25:13 ID:DUX
>>257
すまん 孫堅のつもりだったわ
後半は孫家やけど
260名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:25:44 ID:wye()
曹公、表權爲討虜將軍、領會稽太守。屯吳、使丞、之郡行文書事。

曹操は孫権を討虜将軍にすることを上奏し、会稽太守を領させた。孫権は呉に駐屯して丞を遣わせ郡の文章のことを行わせた。
261名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:26:32 ID:wye()
>>259
孫堅なら確かに武官向きや
262名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:27:59 ID:wye()
待張昭以師傅之禮、而周瑜、程普、呂範等、爲將率。招延俊秀聘求名士、魯肅、諸葛瑾等、始爲賓客。

張昭を師の礼をもって待遇し周瑜、程普、呂範らに兵を率いさせた。俊才を招集し、名士を求め、魯粛、諸葛瑾らが初めて賓客となった。
263名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:30:15 ID:wye()
分部諸將鎭撫山越、討不從命。

部隊を諸将に分けて山越を鎮撫させ、命に従わぬ者を討伐した。

※山越は異民族
264名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:30:28 ID:XOT
このだんだん人集まる感じ
うまくいえんけど呉の魅力やな
265名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:30:49 ID:3aq
全盛期になりつつある感じなんかな
266(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)20:30:53 ID:ms4
(*^○^*)孫堅、孫策が長生きだったら別物な三國志だったんだろうなぁ…というロマン

(*^○^*)衛生環境が南は良くないとかあるやろうが
267名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:32:21 ID:wye()
>>264
呉に限らず仲間が増えてくのってロマンあるよな
水滸伝とかでも好漢が集まっていく前半がぶっちぎりで面白いし

>>266
孫堅は迂闊な人物やから荊州で戦死してなくても早死にしてたとワイは思うで
孫策もそうやが長生きできるタイプの人物やあらへん
268名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:32:29 ID:wye()
七年權母、吳氏薨。

建安七年(202年)、孫権の母呉氏が死んだ。
269名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:33:21 ID:DUX
3大生きてたifが見たい人物
カクカ 孫堅 曹昴
270名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:33:41 ID:wye()
八年權、西伐黃祖。破其舟軍、惟城未克、而山寇、復動。

建安八年(203年)西に行って黄祖を征伐した。黄祖の船団を破ったが城は落とせず、さらに山越が再び動いた。
271名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:34:37 ID:wye()
>>269
龐統と法正の長生きした蜀も見てみたい
呂蒙とかも早死にが惜しまれる人物やな
272名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:34:53 ID:wye()
還過豫章、使呂範平鄱陽會稽、程普討樂安、太史慈領海昏。韓當、周泰、呂蒙等、爲劇縣令長。

豫章を通って帰還し、呂範に鄱陽、會稽を平定させ、程普に楽安を討たせ、太史慈に海昏を領させた。
273名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:36:34 ID:wye()
九年權弟、丹楊太守翊、爲左右所害。以從兄瑜、代翊。

建安九年(204年)、孫権の弟の丹楊太守孫翊が従者に殺された。従兄の孫瑜に孫翊の代わりをさせた。
274名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:36:57 ID:1rP
イッチ、今日も乙やで
蒼天航路と三國無双しか知らんけど
楽しんで読ませて貰ってるわ
275名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:37:30 ID:XOT
>>272の後半も読んで
何となくはわかるけど
276名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:40:15 ID:wye()
>>274
こちらこそ見てくれてありがとうやで

>>275
スマン抜け取ったわ

韓當、周泰、呂蒙等、爲劇縣令長。

韓当、周泰、呂蒙らを治めるのが難しい県の令長にした。
277名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:40:37 ID:wye()
十二年、西征黃祖、虜其人民而還。

建安十二年(207年)西に行って黄祖を征伐し、その人民を捕虜にして帰還した。
278名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:41:53 ID:wye()
十三年春權、復征黃祖。祖、先遣舟兵拒軍。都尉呂蒙、破其前鋒。而淩統、董襲等、盡銳攻之、遂屠其城。

建安十三年(208年)の春、孫権は再び黄祖を征伐した。黄祖は先んじて船団を遣わせこれを拒んだ。都尉の呂蒙がその先鋒を破った。淩統、董襲らが精鋭を使って攻め、遂に城を陥落させた。
279名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:43:01 ID:wye()
祖、挺身亡走、騎士馮則、追梟其首。虜其男女數萬口。

黄祖は身を挺して逃亡したが、騎将の馮則が追って首を取って晒した。男女数万人を捕虜とした。
280名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:49:00 ID:CEN
>>1やけど急に書き込めなくなったんで少し待っててクレメンス
281名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:49:26 ID:wye()
是歲、使賀齊、討黟歙。分歙、爲始新、新定、犂陽、休陽縣。以六縣爲新都郡。

この年、賀斉を遣わして黟、歙を討たせた。歙を分割して始新、新定、犂陽、休陽県とした。六県をもって新都郡とした。
282名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:50:00 ID:XOT
おっ大丈夫か大丈夫か
283名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:50:20 ID:wye()
あ、出来たわ
再開するで
284名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:50:59 ID:wye()
荊州牧劉表、死。魯肅、乞奉命弔表二子、且以觀變。

荊州牧劉表が死んだ。魯粛は命を受けて劉表の二子を弔問し、変化を観察しようとした。
285名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:52:14 ID:wye()
肅未到、而曹公已臨其境、表子琮舉衆以降。

魯粛が到着せぬうちに曹操は国境に臨み、劉表の子劉琮が民衆を挙げて降伏した。
286名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:52:57 ID:yXK
孫権伝かな?
287名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:53:22 ID:wye()
>>286
せや、今孫権伝やっとるで
288名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:53:40 ID:wye()
劉備、欲南濟江、肅與相見。因、傳權旨、爲陳成敗。

劉備は長江を南に渡らんとし、魯粛と相見えた。これによって魯粛は孫権の主旨を伝え、成功と失敗を述べた。
289名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:54:14 ID:yXK
>>287
サンガツ

孫堅・孫策は魅力的やったんやけどな…
290名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:55:26 ID:yXK
創作ものだと扱いものすごく地味やけど、実は三国成立の最大の立役者の魯粛さん
291名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:56:08 ID:wye()
>>289
孫権はその二人に比べて今一歩英雄の資質に劣るかもしれへんな
戦争が得意じゃないからかな?

>>290
演義やと周瑜のパシリのイメージあるな
292名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:56:15 ID:wye()
備、進住夏口、使諸葛亮詣權。權、遣周瑜程普等、行。

劉備は夏口に進み行き、諸葛亮を使者として参内させた。孫権は周瑜、程普らを遣わした。
293名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:56:22 ID:XOT
孫権は器じゃないのに無理してるとこが魅力的なんや
294名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:57:01 ID:yXK
>>291
孫権が魅力ないのは天下を目指さなかったからやとワイはおもっとる
295名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:57:27 ID:DUX
蒼天の孫権はかっこいいんやけどな
296名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:58:08 ID:yXK
>>295
蒼天はみんなかっこいいから
297名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:58:09 ID:wye()
>>293
演義でも人並み外れた人物ではなく等身大の人物として描かれている節があるよな

>>294
一応天下統一目指してたんやけどな…
実力がついていかなかっただけで
298名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:58:12 ID:XOT
蒼天はほんとキャラ立たせるのが天才的や
299名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:59:02 ID:wye()
是時、曹公新得表衆、形勢甚盛。諸議者、皆望風、畏懼、多勸權迎之。惟瑜肅、執拒之議、意與權同。

この時、曹操は新たに劉表の兵士を手に入れ、勢いは甚だ盛んであった。議論するものは皆畏怖し、多くのものは孫権に降伏するよう勧めた。ただ周瑜と魯粛だけは降伏を拒絶し、孫権と同じ意志であった。
300名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:59:51 ID:XOT
>>297
人間くさいのよね
そこが好きで正史もリクエストさしてもろたわ
301名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:00:10 ID:yXK
>>297
周瑜・魯粛が天下を目指してたから、そういうふりをしてただけのような気がするんや
302名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:01:43 ID:wye()
>>300
あ、昨日の人か
今日も見てくれてサンガツや

>>301
孫権は周りに流されやすいしそういう考え方もあるんやな
303名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:02:05 ID:wye()
瑜普、爲左右督、各領萬人、與備俱進、遇於赤壁、大破曹公軍。

周瑜と程普を左右の都督とし、各々一万人を率いさせ、劉備と共に進軍し、赤壁において曹操軍を大破した。
304名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:02:05 ID:DUX
君主でも軍師でも長生き一人いたら色々変わりそうやな江南は
ヤクルトかな?
305名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:03:42 ID:wye()
>>304
郭嘉が居れば赤壁の敗戦はなかった、法正が居れば夷陵の敗戦はなかったっていうし呉に限らず一人の俊才の影響力は大きいで
306名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:04:01 ID:wye()
公、燒其餘船、引退、士卒飢疫、死者大半。備瑜等、復追至南郡。

曹操は余った船を焼き、兵を退いた。兵は飢えと疫病で大半が死んだ。劉備と周瑜らは追撃して南郡に至った。

※先主(劉備)伝では劉備が周瑜、程普らと協力して船を燃やしたことになっている
307名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:04:26 ID:yXK
孫権は権力基盤が弱かったんやと思う
孫堅・孫策は軍を完全に掌握してたから、豪族や政治勢力に対抗できたけど、
孫権にはそれができなかったのでは、と
308名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:05:26 ID:wye()
かくして曹操の揚州併合の野望は挫かれ天下は三分されるのであった
ってなわけで孫権伝はここまでや
見てくれていた人サンガツ

質問や訳してほしい人物があれば何でも言ってくれやで
309名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:06:16 ID:XOT
イッチ呉好きじゃないのにやってくれてサンキューやで
ホンマありがとう
310名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:07:27 ID:DUX
>>305
そらそうやけど呉は一部の有能に限ってな上に頻度がね
魏あたりと比べると人材にも替えがきかんし
311名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:07:52 ID:yXK
赤壁での主力は呉で間違いないんやが、実は魏書では劉備に負けたという認識なんよな
312名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:08:06 ID:XOT
>>310
やっぱ都にくらべて選手層が薄い感はあるよ
313名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:08:25 ID:yFr
やっぱ兵力足らんかったのやろ?
314名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:08:39 ID:wye()
>>307
うーむ、孫堅と孫策は袁術の配下やったし孫権とはまた違った立場やと思うで
それに孫策は独立した後も豪族たちを力でねじ伏せて恨み買って殺されたし孫権のやり方が結局ベストやないか?

>>310
魏は人材がポンポン出て来るから比べるのはアカンかったかもな
315名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:09:38 ID:1rP
カリスマ性で行ったらやっぱり曹操なん?
316名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:10:15 ID:aXM
江南が発展するのは東晋からだからね
治水や農業技術だけでも圧倒的に北が上で
東晋成立で北から技術と人材が流れてきて発展し始める
317名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:10:48 ID:XOT
その中で建業というネーミングは凄い
318名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:11:19 ID:wye()
>>311
そうなんか?
知らんかったわ

>>313
呉の兵力はしゃーない
僻地やし

>>315
人物を集める才でいったら曹操には誰も敵わんと思うで
319名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:12:11 ID:yXK
>>314
孫堅・孫策は常に自分が軍の総司令官やん?
やから、少なくとも軍は完全に掌握できてる
だから、孫策なんて豪族に対して強く出ることができた
結果はともかくとして
孫権はそれすらできなかったから、バランサーになるしかなかった
とワイは考えてるんや
320名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:14:12 ID:XOT
それは組織が大きくなる上で必ず抱えるジレンマだと思う
あと、結果は大事
321名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:15:03 ID:wye()
今まで訳してきた人物は魏延、馬謖、張遼(合肥抜粋)、曹操(青州兵まで)、法正、董卓(前半)、関羽、張飛、趙雲、呂布、孫権(赤壁まで)や

これから訳す予定は曹植、郭嘉、張昭、賈詡、魯粛、伊籍、呂蒙や

他にやって欲しい人物リクエストしてくれれば言ってくれやで
今後の参考にするで
322名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:16:34 ID:DUX
武文美法謀に長けて領地にも恵まれて常識にとらわれないやり方で人材を集め活かしたとか英傑すぎるんだよなあ
なぜ劉備とかいう由緒正しい()ヤクザあがりを主人公にしてしまったのか
323名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:17:30 ID:XOT
>>321
張角ってあるの?
324名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:17:48 ID:yXK
>>320
創業者ではなくて、権力を受け継いだ者のジレンマだと思う
325名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:18:15 ID:XOT
>>324
それもあるかぁ
326名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:18:55 ID:yXK
>>322
大正義漢王朝やから
327名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:19:21 ID:XOT
久々に三国無双引っ張り出したくなった
328名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:19:38 ID:1rP
>>322
成り上がりは世界共通なんやないか?
329名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:20:35 ID:DUX
>>328
宦官の孫から魏王も中々のもんやないか?
330名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:21:10 ID:wye()
>>319
孫堅は部隊を率いるのみやし孫策は豪族を掌握することが出来ていないやろ
例えば陸氏は孫策時代に険悪やったけど孫権が姻戚を組んで味方してもらったようにやっぱり豪族を統べるんは孫権のが上やと思うわ
ただ人材を信じて疑わずに使うことは孫策のが上やろうけど

>>322
皇后を幽閉して殺した曹操と漢王朝の復興を目指した劉備の差やろな
331名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:22:20 ID:XOT
物語の主人公として選べっていわれたらそらもう劉備よ
332名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:22:32 ID:wye()
>>323
今調べてみたけど無いみたいやな
333名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:23:04 ID:1rP
>>328
そうやね
ただ劉備の方が義賊扱いかなぁとは思うんや
334名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:23:09 ID:XOT
>>332
サンガツ お手数おかけしたやね
335名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:23:29 ID:wye()
>>334
ええんやで
336名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:23:59 ID:yXK
>>330
その点は孫策自身も言ってたな
でも、その豪族が天下を望んでなかったから、孫権もそれに従わざるをえなかったのではと
337名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:24:30 ID:aXM
曹操は後周世宗柴栄みたいな一代の英傑って感じやな
長期王朝打ち立てた英雄とは同じ土俵には立てない
338名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:25:50 ID:1rP
なんでワイは自分に返信しとるんや…
339名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:26:41 ID:yXK
>>323
張角は後漢書の霊帝紀とか皇甫嵩伝とかに記述があったと思う
340名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:26:46 ID:wye()
>>336
陸遜のと会話から考えるにあくまで孫権は天下統一を目指していたみたいやけどな
でも実際天下三分は保たれたままやったし実情はその通りかもしれへん
341名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:28:16 ID:DUX
曹丕は政治家としては優秀だったみたいやけどな
342名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:28:32 ID:68a
演義じゃやく正史をベースとして作られた著者や作品ってあるんか?
343名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:28:35 ID:yXK
>>340
孫権が本当に天下を望んでたら、関羽北上のタイミングで豫・徐州に北上したと思うんよな
劉備より曹操を絶対的にのぞかなあかんわけやから
344名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:28:36 ID:XOT
>>338

元気出して
345名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:28:57 ID:wye()
>>339
そうなんか、サンガツ
でも伝が立ってないならすまへんがパスやな
346名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:29:36 ID:XOT
>>339
サンガツ
ほならがんばって自力で読む努力するやね
347名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:30:13 ID:yXK
黄巾の乱も考察すると、単純な農民反乱とか宗教反乱の類じゃないからおもろいで
348名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:31:48 ID:XOT
>>343
天下は見てなかったような気はするやね
政治家じゃなくて役人気質というかね
理想より現実見ちゃう子
349名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:32:29 ID:wye()
>>342
よくも悪くも正史は簡潔すぎて物語として面白くないしどの作品も演義を元にしてると思うで
一応蒼天航路は正史に近いとは言われてるがワイからみれば演義となんら変わりないくらい創作が入れられとるし
350名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:33:35 ID:wye()
>>346
ホンマにスマンな

>>347
そうなんか
黄巾の乱とかさっと流し読みしてたけど今度詳しく調べてみるわ
351名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:33:37 ID:yFr
そのうち春秋もやってクレメンス
352名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:34:18 ID:XOT
>>347
yXKニキ何かおすすめの本ある?
353名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:35:01 ID:68a
>>349
まぁ正史を基にしたとしても他人の勝手な解釈を用いて物語風にしてしまえばそれ即ち演義よな
354名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:35:09 ID:DUX
蒼天は関羽関連がね…一応神だからってことなんやろうけど
関羽を斬る係だからか孫権もかっこいいしな

董卓がただの豚だったり袁紹が小物すぎたりしないし劉備も人間臭いし既存の作品の中では
わりかし正史っぽいかな 
355名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:35:09 ID:yXK
>>350
ポイントは党禁やで
356名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:36:13 ID:wye()
>>351
スマンが春秋は興味あらへんからパスや
水滸伝やファイアーエムブレムなら自信あるから需要あれば後々紹介したいわ
357名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:37:52 ID:yXK
>>352
エロとかハードボイルドに抵抗が無ければ北方三国志がワイは好きやったで
一応正史がベースやし

>>353
ほんこれ
創作物=演義やからな
358名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:37:59 ID:UsG
水滸伝ワイは好きやけど知ってる人意外と少ないんよねぇ……
359名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:38:18 ID:XOT
>>357
やっぱそれかー
サンガツや
360名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:38:49 ID:aXM
蒼天航路は作者の好き勝手やる三国志やったのに
出版社が正史ベースと宣伝したせいで作者がそれに引っ張られて
全体のバランスがくずれた印象やね
361名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:39:06 ID:UsG
北方三國志のおはD呂布は衝撃やったわ
362名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:39:16 ID:yFr
>>356
せやったか、むちゃ言ってすまんな
363名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:39:44 ID:DUX
池上の描いた三国志気になってたけど
ほえー劉備倭人説でやるんか?ええやん!からの
チョウウンと呂布が結ばれるとかいう展開でどん引きしたンゴ
364名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:40:19 ID:yXK
>>361
マザコンの呂布さんな
というか、北方三国志コンプレックスもちおおすぎ
365名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:40:38 ID:wye()
>>354
演義と比べれば正史要素多いってくらいで全然創作物やない?

>>358
面白いのに知名度なくてホンマ悲しいわ
ワイの過去スレやけど水滸伝の好漢の紹介が載ってるからよかったら読んでくれやで
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1479655837/
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1479725320/
366名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:41:38 ID:wye()
>>362
ええんやで
367名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:41:42 ID:yXK
>>365
イッチとあのニキ同一人物やったんか
368名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:42:04 ID:UsG
>>365
これイッチのやったんか
読んだことあるわ
369名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:42:43 ID:yXK
>>363
関平な…
途中まで読んだけど、どうなんたんやろうか…?
370名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:42:59 ID:DUX
>>365
そら創作無しとか無理やで 
正史に残ってないとこ多すぎやし
赤壁とかピークなのに資料足りなすぎるンゴ 
比較的正史よりって程度やで
371名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:43:31 ID:wye()
>>367>>368
読んでくれてた人おるんか
こんなところで会えるなんて奇遇や
重ね重ねありがとうやで
372名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:43:35 ID:yFr
ワイ魯智深ぐうすこ
373名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:43:55 ID:XOT
蒼天が正史よりかはわからんが今までと視点が違って新鮮やった
374名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:44:37 ID:yXK
蒼天の劉備はどの劉備よりも劉備っぽい気はする
375名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:45:04 ID:UsG
蒼天は赤壁の描写が微妙やった所以外はすこ
376名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:46:39 ID:wye()
>>372
ワイも魯智深すこや
曲がったことが大っ嫌いでそれゆえ追われる身になるところとか弱いものには手を出さないところとかええねん

>>373
よくも悪くも新しい曹操像を生み出したよな
こんなに曹操を贔屓するなんて吉川三国志以来やろ
377名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:47:49 ID:XOT
>>376
曹操が死んだとこでばっさり終わったのも衝撃的やった
その時点で他の色々のエピソードとか結構中途半端やん
それでも終わるんかーと
378名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:49:16 ID:yXK
曹操は間違いなく三国志中随一の傑物
その曹操があの絶対的有利な状況から天下を取れんあの時代なんやねん
379名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:49:37 ID:wye()
>>377
蒼天はあくまで曹操のためにある漫画やから曹操死亡=物語の終わりなんやろなあ
呉の滅亡まで書いてほしかったけどそれは叶わん夢やな
380名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:50:09 ID:yFr
やっぱ徐州虐殺はいろいろと大きすぎたんだよねえ
381名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:50:35 ID:wZy
作者の陳寿を調べたら
2回も理不尽な理由で親不孝者扱いされて仕事干されててわろた
382名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:50:38 ID:XOT
>>378
中国ってほんとスケールちげーわ
383名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:51:11 ID:yXK
>>381
あの時代あれが当たり前なんやで
384名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:51:12 ID:UsG
まあ実質官渡であの時代の覇者は決まってたよな
385名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:51:44 ID:68a
新しい視点からの三国志創作って考えられるのが何があるやろね
魏呉蜀の君主が主人公ってのはもうあるし
兵卒とか黄巾族の人間視点もおもしろいかな?
386名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:52:28 ID:DlU
なんだかんだ言って羅貫中の三国志演義がベストやない?
物語の流れとかみんなこれベースやし
387名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:52:31 ID:wZy
>>383
そうやろな
今の感覚で見たら儒教って超理不尽やなって事で
388名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:52:47 ID:yXK
>>385
ワイは張角主人公とか、韓遂主人公とか、魯粛を中心に天下三分の計を描く妄想をしてるで
389名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:52:55 ID:DUX
段々人間味が出てくる感じが天下とらないの答えなんやろな蒼天は
まあ曹丕が直ぐに皇帝になっとるしその気になれば曹操もなれたんやろうけど
魏王に留まる理由ってやっぱり結局は漢の子って感じなんやろか
その辺描いた創作ものってあるんか?正史にその辺が書いてあるならしりたいけど
390名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:53:03 ID:wye()
>>378
劉備、孫権という弊害が大きすぎたんやろなぁ

>>384
中原を抑え河北を握るのはやっぱり大きいよな
391名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:53:26 ID:yFr
>>376
宋公とかお林とかはカッコええけどちょい聖人すぎるもんな(ちな横山光輝のマンガしか見たことない
392名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:54:15 ID:yXK
>>390
あの二人、特に劉備は絶対に曹操には屈しないマンやからな
393名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:55:52 ID:DUX
新しい視点なら張リョウ主人公で呂布配下からやったら面白いと思うんやけど
キングダムがまんま王騎に影響される→政配下の流れやっとるからな 
正史と言えどパクリ扱い受けそう

筍イク主人公で王佐の才をメインに描いたら面白いかな
394名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:55:54 ID:XOT
普通に曹操がさっさと天下取ってたら今頃曹操の名前なんてワイ知らんかったやろなあ
395名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:56:40 ID:yXK
諸葛亮悪人説もおもろいかもしれん
396名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:56:52 ID:68a
>>388
魯粛すきワイも魯粛で物語とか妄想しちゃう
397名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:57:39 ID:yXK
>>396
実際、正史を見ると魯粛の果たした役割は、下手したら諸葛亮よりも大きいやで
398名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:57:56 ID:DlU
>>394
曹操が天下とっても結局大分裂時代になったんやないか
西晋滅亡後の300年があったからこそ隋唐の世界帝国爆誕があるわけやし
399名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:57:56 ID:wye()
>>385
三国志は食い尽されたコンテンツやからちょっと思いつかへんわ
現代によみがえったり女体化したり何でもありやからなぁ

>>386
完成度高すぎるねん
流石四代名著に選ばれただけのことはある

>>391
原典読むと宋江なんか畜生やで
林冲も酒飲みたいから逆切れして暴れてるし
まああの暴力性残虐性が受けてるってところもあるが
400名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:00:48 ID:yXK
>>398
晋は内乱で異民族を引き込んだからな…

まあ、魏も簒奪の道を開いてるから、長期の王朝は難しいかもな
実際、司馬氏にやられてるわけやから
401名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:01:36 ID:UsG
八王の乱とかいう誰も得しないカオスな紛争
402名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:02:54 ID:DlU
八王の乱の全容をきっちり記録に残す記録キチガイな古代中国人
403名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:04:03 ID:DUX
曹操か曹丕の代のうちに統一から統制まで終わってたらなんとかなったかもな
中国人の気性だと押さえつけるしかないんかねえ

殷(商)→周→【分裂】→秦→前漢→新→後漢→【分裂】→晋→分裂→隋→唐→【分裂】
→宋→元→明→清→中華民国→中華人民共和国

4000年は大陸の歴史でしかないってはっきり分かんだね
404名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:04:19 ID:1rP
黄忠はできるんか?
405名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:05:49 ID:yFr
しかしなぜ司馬を晋公にしたんだろ
なんか運命的に感じちゃうよ
406名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:06:05 ID:UsG
>>404
黄忠の若い頃を話盛って物語にしよう
407名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:06:47 ID:yXK
>>405
河内が晋の領分やからやろ?
408名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:06:47 ID:wye()
>>403
正史でも指摘されてるけど曹操は張松を見下さなければすんなり蜀を手に入れられて天下統一出来たのに惜しいな
その傲慢さが曹操の限界やったのかもしれへんが

>>404
黄忠伝出来るで
了解や
409名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:08:02 ID:yXK
>>408
めっさ下手に出てるし、もう益州は余裕やとおもったんやろうな…
410名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:08:17 ID:1rP
>>408
イッチ、ありがとやで
411名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:09:10 ID:UsG
張松が曹操好みのイケメンなら歴史が動いていた可能性
412名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:09:36 ID:wye()
>>409
そこが惜しいんだよなぁ
まあ曹操に傲慢さがなければらしくないが

>>410
こちらこそ見てくれてサンガツ
413名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:10:56 ID:yFr
>>407
なるほどなそういうことだったのか
晋から魏韓趙に分裂したしなんかの符丁かと思ってたわ
414名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:12:35 ID:DUX
傲慢で欲のある人物でなければ部下の制止ふりきって身分は問わないから才能集めろとか言わないだろうしな
芸にも文化にもどん欲な曹操は現代から見るとめちゃくちゃ魅力的やな 
415名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:16:32 ID:wye()
>>414
曹操からは韓信、白起に例えられ超世の傑とまで呼ばれとるもんなぁ
素晴らしい才能の持ち主でもし逆臣でなかったら一番好きになっていたかもしれん
416名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:18:10 ID:yXK
勝つときは大勝、負けるときは大敗っていうのも曹操の魅力よな
417名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:21:11 ID:wye()
>>416
張繍と戦った時なんか典韋と曹昴らを失うなんて位ぼろっぼろに負けとったのによくあそこまで再起したと思うわ
418名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:22:12 ID:yXK
>>417
しかも、すぐに取って返してるというね
419名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:23:19 ID:DUX
曹昴はほんと勿体なかったな
生きてても曹丕も基本有能やから血みどろなったかもしれんが
そういえば早生した曹沖ってのもおったな
420名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:23:28 ID:wye()
>>418
そう考えるとやっぱり曹操は才覚の塊やね
421名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:25:48 ID:wye()
>>419
曹昴の才はどれほどのものかわからへんけど曹沖がいたら曹丕でも勝てなかったかもしれへん
象の重さを量る方法とか現代人でもそうそう思いつかへんやろ
422名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:26:01 ID:DUX
短気な曹操が張繍とカクを配下にしたってのが面白いわ
くびり殺されてもおかしくないとこやけどな やっぱり人材なんかね
呂布は前科が多すぎて殺されたけど
423名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:27:32 ID:yXK
まあ、でも、曹昴が生きてたら曹沖がおっても、現実に曹丕を支持した奴らが全員曹昴を支持するからな…
424名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:29:15 ID:yXK
>>422
呂布よりも大耳野郎を殺してればね…
呂布の言ったことは正しかったんや
425名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:29:47 ID:wye()
>>422
袁紹と対峙していて余裕なかったってのもあるけど曹操は才ある人物には寛容やからな
呂布は裏切りの実績が多いからしゃーない

>>423
嫡子を立てるのがあの時代の常やからそらそうよ
袁尚を立てようとした袁紹も劉琮を立てた劉表も道理に逆らって滅んでるし
426名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:31:51 ID:wye()
次回予告忘れとったわ
明日2月24日の19:00から郭嘉伝の全文(意)訳と解説をするで
曹植伝の方が先にリクエストされたけど文字数の関係から後回しにするわ、スマンな
427名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:37:57 ID:DlU
>>415
曹操評の「非常之人 超世之傑」ってよくできた春秋の筆法やと思うわ
大いに褒めるけど、晋の正統性を脅かすほどのベタ褒めまではいかない絶妙のバランス加減
428(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)22:40:41 ID:ms4
(*^○^*)明日は不良軍師か、楽しみにしてますわ
429名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:42:50 ID:wye()
>>427
陳寿の評は的を射ること素晴らしいからな
読んでて納得させられるのばっかりや
430名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:44:24 ID:XOT
明日も楽しみにしてるやで!
431名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:46:43 ID:wye()
>>428>>429
今日も読んでくれてありがとナス

じゃあワイもそろそろ落ちるで
質問したいことがあれば過去スレのものでも答えるし訳してほしい武将が居れば出来るだけ期待に沿えるようにするから何かあれば書き込んでおいてくれやで
432名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:47:16 ID:yXK
>>431
乙やで~
433名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:56:43 ID:1rP
乙やで
434名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)23:10:43 ID:68a
イッチ乙
435(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/23(木)23:24:11 ID:ms4
(*^○^*)乙やDe
436名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:01:46 ID:UHI()
そろそろ始めるで

今日は郭嘉伝の全文(意)訳と解説をしてくから暇だったら見て行ってクレメンス
437名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:02:17 ID:UHI()
郭嘉、字奉孝、潁川陽翟人也。

郭嘉は字を奉孝といい、潁川陽翟の人である。
438名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:02:40 ID:PIP
人材の名産地潁川
439名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:03:36 ID:Vxb
惜しまれる若死にの人やな
440名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:04:36 ID:UHI()
初、北見袁紹。謂紹謀臣辛評郭圖曰「夫智者審于量主、故百舉百全而功名可立也。

初めは北の袁紹に見えた。郭嘉は袁紹の謀臣辛評、郭図に言った「そもそも智者というものは主人の器を量って明らかにするもので、それゆえ百度挙げられれば百度全うし功名を立てることが出来るのです。
441名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:05:40 ID:UHI()
袁公、徒欲效周公之下士而未知用人之機。

袁公は周公の士にへりくだることに倣おうとしておりますが、人を用いることの機微は知っておりません。

※周公は周の政治家、礼学の基礎を作った
442名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:06:58 ID:PIP
人材集めても活用できない袁紹さん
443名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:07:06 ID:UHI()
多端寡要、好謀無決。欲與共濟天下大難、定霸王之業難矣」於是遂去之。

細かいことにこだわり肝要なことは出来ず、謀略を好むのに決断は出来ません。共に天下の大難を救済しようとしても、覇王の業を定めるのは難しいことでしょう。」こうして去っていった。
444名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:08:01 ID:UHI()
>>442
袁紹は田豊や沮授らの忠言を受け入れてれば覇者足り得たのになぁ
445名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:08:58 ID:UHI()
先是時、潁川戲志才、籌畫士也、太祖甚器之。早卒。

それより先、潁川の戯志才は謀略の士で太祖(曹操)は彼を甚だ重用していた。しかし、若くして亡くなった。

※正史では曹操は諱を避けられて太祖と呼ばれている
446名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:09:22 ID:0wm
イッチ乙やで!
447名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:09:48 ID:UHI()
>>446
こちらこそ見てくれてありがとナス
448名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:10:09 ID:PIP
>>444
ほんこれ
やけど、下は下で派閥争いしまくりやからな…
確か河北と潁川あたりの部下の意見が違ってるんやなかったかな?
449名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:10:49 ID:UHI()
太祖與荀彧書曰「自志才亡後、莫可與計事者。汝潁固多奇士、誰可以繼之?」彧薦嘉。

曹操が荀彧に宛てた手紙に曰く「私は戯志才が亡きあと、共に事を計るものが居なくなった。汝、潁は多くの優れた人物が居ることに間違いなく、誰に継がせるべきであろうか?」荀彧は郭嘉を推薦した。

※荀彧もまた袁紹を見限った人物である
450名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:12:12 ID:PIP
郭嘉の前任者というだけで戯志才気になるよな
ほぼ全くと言っていいほど経歴わからんけど
451名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:13:02 ID:UHI()
召見論天下事、太祖曰「使孤成大業者、必此人也」嘉出、亦喜曰「真吾主也」表爲司空軍祭酒。

郭嘉を召して天下のことを論じ、曹操は言った「私の大業を為す者は、必ずこの人であろう」郭嘉は退出するとまた喜んで言った「真の我が主君である」曹操は郭嘉を上表して司空軍祭酒とした。
452名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:13:19 ID:Vxb
荀彧は本人有能人脈有能という
453名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:14:37 ID:PIP
曹操が司空ということは献帝を奉じたあとやったか
454名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:17:42 ID:UHI()
>>448
郭図は潁川で審配は冀州だからそこらへんで分かれてたのかもしれへんな
調べてないから詳しくは言えへんが

>>452
荀彧は引っ張ってきた人物が凄い
演義での推挙ラッシュは正史だとほぼ一人でやってるからな
455名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:17:55 ID:UHI()
※裴松之の注、袁紹の十敗、曹操の十勝、有名なため抜粋

傅子曰。太祖謂嘉曰「本初擁冀州之衆、青、幷從之、地廣兵彊、而數爲不遜。吾欲討之、力不敵、如何?」

『傅子』曰く。曹操は郭嘉に言った「本初(袁紹の字)は冀州の兵を擁し、青、并州を併合し、地は広く兵は強く、何度も不遜なことをしてきた。私はこれを討ちたいが力では敵わない、どうすればよいのだろうか?」
456名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:19:36 ID:UHI()
>>453
帝を推戴したあと司空になっとるからそれで合っとるで
457名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:19:51 ID:UHI()
對曰「劉、項之不敵、公所知也。漢祖唯智勝。項羽雖彊、終爲所禽。

郭嘉は答えて言った「劉邦は項羽に敵わなかったのは曹操殿の知るところでしょう。漢の高祖はただ智にて勝っただけです。項羽は強いといえどもしまいには囚われてしまいました。

※劉邦、項羽は秦末期に覇権を争った二人
初め項羽の勢力が圧倒的に勝っていたが智謀に劣っていたため劉邦に敗れてしまった
458名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:20:45 ID:Vxb
>>453
司空って副首相みたいな役やったな
459名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:22:43 ID:UHI()
>>458
いや首相が三分割されたものと考えたほうがええで
ちなみに司空は土木工事を担当する大臣や
460名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:22:55 ID:UHI()
嘉竊料之、紹有十敗、公有十勝、雖兵彊、無能爲也。

私が密かにこれを計るに、袁紹に十敗あり、曹操殿に十勝があり、兵は強いといえども事を為すに能わないでしょう。
461名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:24:36 ID:UHI()
紹繁禮多儀、公體任自然、此道勝一也。

袁紹は儀礼は繁雑ですが曹操殿は自然に任せます、これが一つ目の道の勝利です。
462名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:25:34 ID:UHI()
紹以逆動、公奉順以率天下、此義勝二也。

袁紹は反逆をもって動き、曹操殿は順行をもって天下を率いています、これが二つ目の義の勝利です。
463名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:26:04 ID:Vxb
>>459
それはわかるけど
一応序列があって司徒が一番上やったと思う
464名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:28:20 ID:UHI()
>>463
そういうことね
それと一番上って太尉やなかったっけ?
官職には詳しくないから間違っとるかも
465名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:28:28 ID:UHI()
漢末政失於寬、紹以寬濟寬、故不攝、公糾之以猛而上下知制、此治勝三也。

漢末の失政は寛容すぎることが原因ですが、袁紹は寛容さで寛容さを済ませ、故に律せずにいます。曹操殿は猛きことをもって糾弾するので皆制度というものを知っております。これが三つ目の治の勝利です。
466名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:30:09 ID:UHI()
紹外寬內忌、用人而疑之、所任唯親戚子弟、公外易簡而內機明、用人無疑、唯才所宜、不間遠近、此度勝四也。

袁紹は外面こそ寛容ですが内面は人を忌み、人を用いるのに疑い、任務を任せるに親戚や子弟のみです。曹操殿は外面を簡易にしておりますが内面は機微があり明察で、人を用いるのに疑わず、ただ才のみを善しとします。これが四つ目の度の勝利です。
467名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:31:22 ID:UHI()
紹多謀少決、失在後事、公策得輒行、應變無窮、此謀勝五也。

袁紹ははかりごとが多いですが決断力に欠け、失策は後れることにあり、曹操殿は策略をすぐに行うことが出来て、臨機応変で窮することがありません。これが五つめの謀の勝利です。
468名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:32:37 ID:UHI()
紹因累世之資、高議揖讓以收名譽、士之好言飾外者多歸之、

袁紹は四世三公の家柄で高尚な議論と謙譲で名誉を収め、士は言葉を飾る者が多く帰しております。
469名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:33:43 ID:UHI()
公以至心待人、推誠而行、不爲虛美、以儉率下、與有功者無所吝、士之忠正遠見而有實者皆願爲用、此德勝六也。

曹操殿は真心をもって人を待遇し、誠実さをもって事を行い、飾った美しさに騙されず、倹約をもって下々を率い、功ある者に惜しみなく、士は忠誠で誠実で遠慮があり、有能なものは皆用いられることを願っております。これが六つめの徳の勝利です。
470名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:34:47 ID:UHI()
紹見人飢寒、恤念之形于顏色、其所不見、慮或不及也、所謂婦人之仁耳、

袁紹は人が飢えや寒さにあっているのを見ると哀れみの念が顔に現れますが、それが見えないと思慮が及ばず、いわゆる婦人の仁と呼ばれるものです。

※婦人の仁は元は漢の名将、韓信が項羽を評した言葉
 ここでは郭嘉が袁紹を項羽に例えているためこういう表現を用いた
471名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:36:04 ID:UHI()
公於目前小事、時有所忽、至於大事、與四海接、恩之所加、皆過其望、雖所不見、慮之所周、無不濟也、此仁勝七也。

曹操殿は目の前の小さいことを時におろそかにしますが、大事においては広く天下に接し恩を加え、皆が望むことを超え、見えないといえども思慮を巡らし、救済せぬことがありません。これが七つ目の仁の勝利です。
472名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:37:07 ID:UHI()
紹大臣爭權、讒言惑亂、公御下以道、浸潤不行、此明勝八也。

袁紹の大臣は権力を争い讒言で乱れておりますが、曹操殿の臣下は道理をもって染み込んでいくような悪い行いはありません。これが八つ目の明の勝利です。
473名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:38:21 ID:UHI()
紹是非不可知、公所是進之以禮、所不是正之以法、此文勝九也。

袁紹は物事の是非を知らず、曹操殿は礼をもって進み、是でないところは法をもって正します。これが九つ目の文の勝利です。
474名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:39:31 ID:UHI()
紹好爲虛勢、不知兵要、公以少克衆、用兵如神、軍人恃之、敵人畏之、此武勝十也。」

袁紹は虚勢を好んで兵法の要を知らず、曹操殿は少数の兵で多数の兵に勝ち、兵を用いることは神の如く、軍の人はこれを頼みにし、敵はこれを恐れます。これが十つ目の武の勝利です。」

※郭嘉と同じように賈詡は曹操の四勝を挙げている
475名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:40:45 ID:UHI()
太祖笑曰「如卿所言、孤何德以堪之也!」

曹操は笑って言った「もし卿(郭嘉のこと)の言う通りなら、私はどのような徳をもって袁紹に堪えようか!」
476名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:42:05 ID:UHI()
嘉又曰「紹方北擊公孫瓚、可因其遠征、東取呂布。不先取布、若紹爲寇、布爲之援、此深害也。」太祖曰「然。」

郭嘉はまた言った「袁紹は北に公孫瓚を討ちに行きましたが、その遠征のうちに東の呂布を討つのがよろしいでしょう。呂布を先に討たずしてもし袁紹が攻め込めば、呂布が援軍となり、その害は深きものとなりましょう。」曹操は言った「その通りだ。」

※ここまで裴松之の注
477名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:43:35 ID:UHI()
半分終わったんで今から5分休憩入れるで

質問あれば遠慮なく言ってクレメンス
他にも訳してほしい人物とか居ったら言ってくれやで
478名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:45:23 ID:UHI()
ちな今まで訳してきた人物は魏延、馬謖、張遼(合肥抜粋)、曹操(青州兵まで)、法正、董卓(前半)、関羽、張飛、趙雲、呂布、孫権(赤壁まで)や

これから訳す予定の人物は郭嘉、曹植、張昭、賈詡、魯粛、袁紹、伊籍、呂蒙、黄忠や
479名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:46:51 ID:eEK
いつ書かれた書物なんや?
まぁ書き足しとかはされてるやろうけど
480名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:48:34 ID:FTw
魏は郭嘉のころが一番夢があると感じる
481名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:49:39 ID:UHI()
>>479
『三国志』は西晋に書かれたもので大体3世紀終わりから4世紀初めあたりや
裴松之が注釈を入れたのは南北朝時代で大体五世紀頭くらい
482名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:50:44 ID:UHI()
>>480
曹操が領土拡大していく時期やからな
483名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:51:11 ID:UHI()
征呂布、三戰破之。布退固守。時士卒疲倦、太祖欲引軍還。嘉說太祖急攻之、遂禽布。語在荀攸傳。

曹操は呂布を征伐し、三回戦ってこれを破った。呂布は陣を退き(下邳にて)固守した。時に兵士は疲労しており、曹操は軍を引き返して帰還しようとした。郭嘉は曹操に激しく攻めるよう説き、遂に呂布を生け捕った。話は荀攸伝にある。

※正史では基本的に他の伝で話が被らないようにしているためこのような配慮がとられる
484名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:51:45 ID:PIP
裴松之の注は彩を加えてはいるけど、話半分ぐらいに見た方がええで
明らかにおかしな話もあるからな
裴松之と言うより、注にひかれた書物やけども
485名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:52:50 ID:UHI()
孫策、轉鬭千里、盡有江東。聞太祖與袁紹相持於官渡、將渡江北襲許。

孫策は千里を転戦して江東を尽く有した。曹操が官渡において袁紹と対峙していることを聞くと、長江を渡り北の許昌を襲わんとした。
486名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:53:57 ID:UHI()
衆聞皆懼、嘉料之曰「策新幷江東、所誅皆英豪雄傑。能得人死力者也、然策輕而無備。雖有百萬之衆、無異於獨行中原也。

人々はこれを聞くと皆恐れたが、郭嘉はこれを計り言った「孫策は新たに江東を併合し、誅殺したのは英雄豪傑ばかりである。人の死力を得られる者であるが、孫策は軽んじて無防備である。百万の兵が居るといえども、中原を一人で行くのと異なりません。
487名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:55:13 ID:PIP
>>486
ここ、裏から手をまわしてないと言えんことやと思うわ
488名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:55:24 ID:UHI()
若刺客伏起、一人之敵耳。以吾觀之、必死於匹夫之手」策臨江未濟、果爲許貢客所殺。

もし伏せている刺客が起てば、一人を敵にするのみである。私がこれを見るに、必ず匹夫の手にかかって死ぬでしょう」孫策は長江に臨んで未だ渡らぬうちに、果たして許貢の客人に殺されることとなった。
489名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:56:04 ID:eEK
>>481
サンガツ
三国志は10年以上前に横山漫画読んだのとたまに無双シリーズ買うくらいしかしらんからこういうの新鮮やわ
490名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:57:47 ID:UHI()
>>487
裴松之は偶然って言ってるけどワイもそう思うわ
そもそも孫策は人殺しすぎていつ暗殺されるかわからん状態やったし

>>489
こちらこそ読んでくれて嬉しいで
491名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:58:12 ID:UHI()
從破袁紹、紹死。又從討譚尚于黎陽、連戰數克。

郭嘉は袁紹を破るのに従い、袁紹は死んだ。また黎陽において袁譚、袁尚を討つのに従い、連戦して勝った。
492名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)19:59:05 ID:UHI()
諸將欲乘勝遂攻之、嘉曰「袁紹愛此二子。莫適立也。有郭圖逢紀、爲之謀臣。必交鬭其間還相離也。

諸将は勝ちに乗じて攻めようと欲したが、郭嘉は言った「袁紹はこの二子を愛していた。後継者を立てなかった。二人には郭図、逢紀らが居り、この人物は謀臣である。必ずその間で交戦しお互いに離れることになりましょう。

※隔岸観火の計である
493名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:00:21 ID:UHI()
急之則相持、緩之而後爭心生。不如南向荊州若征劉表者、以待其變。變成而後擊之、可一舉定也」太祖曰「善」乃南征。

急げばお互い保持し、手を緩めれば後に争いの心が生じるでしょう。南に向かい荊州の劉表を征伐するように見せかけ、変が起こるのを待ちましょう。変が成った後これを討てば一挙に平定出来ましょう。」曹操は「良し」と言い軟征した。
494名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:01:24 ID:UHI()
軍至西平、譚尚果爭冀州。譚爲尚軍所敗、走保平原、遣辛毗乞降。太祖還救之、遂從定鄴。

軍が西平に至ると、袁譚と袁尚は冀州を争った。袁譚は袁尚の軍に敗れ、平原に走り、辛毗を遣わして降伏を願った。曹操は戻って袁譚を救出し、遂に鄴を平定することとなった。
495名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:02:18 ID:UHI()
又從攻譚於南皮、冀州平。封嘉洧陽亭侯。

また南皮において袁譚を攻め、冀州を平定した。郭嘉は洧陽亭侯に封じられた。
496名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:03:15 ID:UHI()
太祖將征袁尚及三郡烏丸、諸下多懼劉表使劉備襲許以討太祖。

曹操が袁尚及び三郡烏丸を征伐しようとしたとき、配下たちの多くは劉表が劉備を遣わして許昌を襲い曹操を討たせるのではないかと恐れた。
497名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:04:18 ID:UHI()
嘉曰「公雖威震天下、胡恃其遠、必不設備。因其無備、卒然擊之、可破滅也。

郭嘉は言った「曹操殿は天下を震撼させておりますが、胡(烏丸)は遠方なのを頼みとして必ず備えをしないでしょう。その備えがないことに乗じて卒然とこれを討てば破滅させられるでしょう。
498名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:05:31 ID:UHI()
且袁紹有恩于民夷、而尚兄弟生存。今四州之民徒以威附、德施未加。舍而南征、尚因烏丸之資、招其死主之臣。

袁紹は異民族にも恩をかけ、袁尚の兄弟は生存しております。今四州の民は威に帰服しているだけで徳は施されておりません。これを無視して南征するならば烏丸のもとに主を失った臣が集まりましょう。
499名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:06:31 ID:UHI()
胡人一動、民夷俱應、以生蹋頓之心、成覬覦之計。恐青冀非己之有也。

烏丸が一度動けば烏丸の民は呼応し、蹋頓は野心を生じ、身分不相応なことをうかがい望むでしょう。おそらく青、冀州は我らの有するところではなくなります。
501名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:07:35 ID:UHI()
!aku500
アク禁:>>500
502名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:07:46 ID:UHI()
表、坐談客耳、自知才不足以御備。重任之則恐不能制、輕任之則備不爲用。雖虛國遠征、公無憂矣」太祖遂行。

劉表は座って客と論じるだけであり、自らの才知が劉備を制御できないことを知っているでしょう。重任すると制御できないのを恐れ、軽く用いれば劉備は活躍しません。国を空けての遠征といえども曹操殿は憂いることはありません」曹操は出陣した。
503名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:07:52 ID:FTw
これぞ軍師って感じ
504名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:08:51 ID:UHI()
至易、嘉言曰「兵貴神速。今千里襲人、輜重多、難以趣利。且彼聞之必爲備。不如留輜重、輕兵兼道以出、掩其不意」

易に至り、郭嘉は言った「兵は神速を貴ぶものです。今千里先の人を襲うに、輜重が多く勝利するのは困難です。かつ彼らがこれを聞けば必ず備えをするでしょう。輜重を留め軽い兵で兼行して出でれば、不意をつくことが出来ましょう」

※輜重は後方の支援部隊
505名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:10:00 ID:UHI()
太祖乃密出盧龍塞、直指單于庭。虜卒聞太祖至、惶怖合戰。大破之、斬蹋頓及名王已下。尚及兄熙走遼東。

曹操は密かに盧龍塞を出て、単于庭を直接目指した。烏丸の兵は曹操がやってきたと聞き、恐れおののきながら合戦した。これを大破し、蹋頓及び各王を下した。袁尚及び兄の袁熙は遼東に逃亡した。
506名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:11:12 ID:UHI()
嘉、深通有算略達於事情。太祖曰「唯奉孝、爲能知孤意」

郭嘉は算略に深く通じ、物事に精通していた。曹操は言った「ただ奉孝(郭嘉の字)だけが私の意を知ることが出来た」
507名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:12:08 ID:UHI()
年三十八、自柳城還、疾篤。太祖問疾者、交錯。

三十八歳のとき、柳城に帰還し、病が篤くなった。曹操からの病状を問う者が何度も行き交った。
508名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:13:11 ID:UHI()
及薨、臨其喪哀甚、謂荀攸等曰「諸君、年皆孤輩也。唯奉孝最少。天下事竟、欲以後事屬之。而中年夭折、命也夫」

郭嘉が死亡するに及び曹操は喪に臨んで悲哀すること甚だしく、荀攸らに言った「諸君の年齢は皆私と同じである。ただ奉孝が最年少であった。天下のことを終えたなら後事を託そうとしていた。中年で夭折するとは、天命であろうか」
509名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:14:12 ID:UHI()
乃表曰「軍祭酒郭嘉、自從征伐十有一年。每有大議臨敵制變。臣策未決、嘉輒成之。

こうして曹操は上表して言った「軍祭酒郭嘉は私の征伐に十一年従ってきました。大きなことが起こるたび敵に臨み変を制してきました。私の策が決まらぬうちに郭嘉はこれを成してきました。
510名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:15:14 ID:UHI()
平定天下謀功爲高。不幸短命事業未終。追思嘉勳、實不可忘。可增邑八百戶、幷前千戶」諡曰貞侯。子奕嗣。

天下が平定されるにははかりごとの功を高く評価するものです。郭嘉は不幸にも短命で大事を成す前に終わりました。郭嘉の勲功を追慕するに、まことに忘れられません。邑を百戸増やし合わせて千戸とされますよう」貞侯と諡された。子の郭奕が後を継いだ。
511名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:16:12 ID:UHI()
後太祖征荊州還、於巴丘遇疾疫燒船。歎曰「郭奉孝在、不使孤至此」

後に曹操は荊州征伐から帰り巴丘において疫病にあい船を焼いた。嘆いて言った「郭奉孝がおれば私をこのようにしなかったであろう」

※俗にいう赤壁の戦いのこと
512名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:17:22 ID:UHI()
初、陳羣非嘉不治行檢、數廷訴嘉。嘉、意自若。太祖愈益重之、然以羣能持正亦悅焉。

かつて陳羣が郭嘉の品行が悪いことを非難し、数回朝廷で郭嘉を訴えた。郭嘉は自若としていた。曹操は郭嘉を益々重んじたが、陳羣が正しさを持つとしてまた喜んだ。
513名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:18:35 ID:UHI()
奕、爲太子文學。早薨。子深嗣。深薨、子獵嗣。

郭奕は太子文学となったが早死にした。郭深が後を継いだ。郭深が死ぬと子の郭猟が後を継いだ。
514名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:19:51 ID:UHI()
評曰。程昱、郭嘉、董昭、劉曄、蔣濟、才策謀略世之奇士。雖清治德業殊於荀攸、而籌畫所料是其倫也。

評曰く。程昱、郭嘉、董昭、劉曄、蒋済の策謀の才は世にずば抜けていた。清廉さと徳においては荀攸と異なるが、はかりごとを企てる点においてはそのともがらである。
515名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:21:27 ID:UHI()
郭嘉伝は以上で終わりや
例のごとく質問や訳して欲しい人物おったら受け付けるんでよろしくやで
516名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:22:35 ID:PIP
劉備って魏書でやたら高く評価されてるよな
陳寿の仕込みやろうか?
517名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:24:48 ID:UHI()
次回予告しとくで
明日2月25日の19:00から曹植伝、伊籍伝、黄忠伝の全文(意)訳と解説をするで
文字数の関係で順序が逆になるけどそこはかんべんしてクレメンス

>>516
陳寿はなるべく正確に事実を書くからそれはないと思うで
実際劉備は評価される才を持っていたとワイは考えるわ
518名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:24:55 ID:PIP
荀彧は最終的に曹操と決裂したけど、郭嘉が長生きしてたらどうやったんやろうな?
儒教的価値を重視してないから、最後までうまくいきそうではあったけど
519名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:25:22 ID:FTw
郭嘉はええなあ
ほんとええなあ
イッチありがとうやで
520名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:26:47 ID:UHI()
>>518
郭嘉伝での惜しみっぷりから最後まで重用しそうではあるがどうなんやろなぁ
曹操も天下統一したら高祖のように粛清しまくるんやろか?

>>519
いやいや、こちらこそ読んでくれて有り難いことや
521名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:29:31 ID:PIP
>>517
陳寿は旧蜀漢の臣として、本当は蜀漢こそ正統という思いがあるような気がするんや
劉備を高祖の風ありと評したり、項羽と似たような逸話を持ち出したり
まあ、ワイの勝手な考えやけどな
522名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:31:42 ID:yas
>>516
黄巾から関羽死亡までの間で戦い続けてるの劉備と曹操だけやし実際すごかったんやないか?
523名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:32:17 ID:EZN
>>484
西晋永嘉の乱を区切りとしてそれ以前は世間が
曹操や司馬懿(特に後者)を賞賛していたのがそれ以後は批判する流れに変わったんやね
裴松之の注はそういう世の中の空気を反映しとるんやで
524名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:32:55 ID:UHI()
>>521
陳寿は直接仕えた劉禅の伝でも善政はなかったとバッサリ切ってるし、薛珝の劉禅に対する悪評もそのまま残してあるんや
また関羽や張飛のような功臣すら悪い部分はしてきしているから贔屓はないと思うで
525名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:33:11 ID:PIP
>>522
凄いのは間違いなく凄い
陳寿が曹操>孫権>劉備にしてるのが納得できんぐらいや
ただ、持ち上げ過ぎかな、と
526名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:35:53 ID:UHI()
>>523
裴松之はかなり蜀寄りの人物やと思うわ

>>525
陳寿って孫権を劉備より評価しとるんか?
527名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:35:57 ID:PIP
>>524
勿論、陳寿はかなり公正な歴史家やと思う
ただ、暗に仕込んでるんじゃないかと
例えば、イッチが前に取り上げた魏延なんか、韓信並みの評価をしてるんじゃないかと
そして、それを登用した劉備を婉曲的に持ち上げる、という感じで
528名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:37:19 ID:PIP
>>526
先主伝の評やったかで、領土の広さが三人の才能に応じてた、みたいな記述があったと思う
529名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:39:19 ID:EZN
>>526
裴松之の時代は大混乱時代を招いた曹魏・司馬晋は下げやからね
530名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:39:32 ID:yas
>>525
劉備って実際は北方劉備みたいな人だったんじゃないか?

近くにいたら惚れちゃうんやろ
531名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:40:22 ID:UHI()
>>527
うーむ、魏延を韓信のように評価しとるか?
ワイが魏延伝を読むにそこまでの高評価はされてないと思うんやがなぁ
まあでも劉備を先主なんて呼ぶくらいやし持ち上げられてるって部分あるのかもね

>>528
ワイの記憶やと曹操とは比べられてはいたが孫権とは比べられてないはずやで
調べなきゃわからへんから間違っとるかもしれんが
532名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:41:00 ID:yas
>>528
孫権は孫策と2人での評価か
533名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:41:53 ID:FTw
>>532
孫権は領土広げてないからね
守っただけでも凄いが
534名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:43:31 ID:PIP
>>531
魏延伝の漢中太守を決める件が、韓信の抜擢と同じような経緯やろ?
そこからのワイの推測や
それと、陳寿が諸葛亮の軍事的才能をあまり評価してないのもプラスで

すまんやで
孫権との比較は無かった
535名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:44:54 ID:PIP
>>530
劉備は人たらしではあったと思う
口数少なく表情もあまり変わらんかったらしいから、徳の仮面のイメージは近いかもな
536名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:45:57 ID:UHI()
>>534
魏延の抜擢を敢えて韓信になぞらえて書いたってことやな
その説は聞いたことないけど面白いとおもうわ
537名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:50:16 ID:yas
>>535
北方知っててくれて嬉しいで

劉備がブチ切れて人殺す→張飛がやってたことにする
これ実際やってたんやろうなって思ったわ
538名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:50:19 ID:PIP
やから、先主伝を書く上でかなり劉邦を意識したんじゃないかと
劉邦に準えるってあの時代だとかなりのことやと思うんやけど
539名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:51:37 ID:yas
>>538





540名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:55:16 ID:PIP
>>539
そもそも、プロパガンダで蜀漢という国家を挙げて劉備を劉邦にだぶらせてたから、
その空気感を陳寿もそのまま書いた、とも考えられるか
541名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:55:31 ID:UHI()
>>538
敢えて高祖に似せて『三国志』を書いたってことやな
そういう視点持ったことなかったから今度そういう風に意識して読んでみるわ

>>539
漢中王って劉邦の漢王とは違うんやで
542名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)20:58:37 ID:PIP
>>541
楼桑村の名前の由来になった木の逸話なんて典型的やと思う
543名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:00:37 ID:UHI()
>>542
劉邦にそういう逸話あるんか?
544名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:03:06 ID:PIP
>>543
ワイも詳しく覚えてないんやけど、皇帝の車かなんか見て
「ワイもああなりたい」
みたいなこと言ってたと思う
ちなみに項羽にも同じような話があるから、混同してるかもしれん
545名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:06:33 ID:UHI()
>>544
劉邦が始皇帝の行列をみてああなりたいって言ったやつ?
546名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:06:59 ID:PIP
>>545
そうそう
547名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:08:33 ID:UHI()
>>546
そういわれれば似てる気もしてきたわ
548名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:11:52 ID:PIP
ざっくり言えば、項羽も含めて3人とも皇帝になりたいって言ってるわけやからな…
現代人のワイがそう思ったってことは、教養のある当時の人間はなおさら劉邦をイメージしたんやないかな?
549名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:14:48 ID:UHI()
これからの予定を発表しておくと
2月25日(土)曹植伝、伊籍伝、黄忠伝
2月26日(日)張昭伝
2月27日(月)賈詡伝
2月28日(火)魯粛伝
2月29日(水)袁紹伝
2月30日(木)呂蒙伝

他にリクエストあれば言ってや
三国志の他にも水滸伝とかの人物紹介もするから要望があれば言ってクレメンス
550名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:15:35 ID:yas
>>544
始皇帝通過中

項羽「いつか、ワイがその座奪い取ったるわ!」
劉邦「かっこいいなー、男ならああならないといけないなー」
551名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:17:52 ID:FTw
>>549
太史慈かなー
552名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:18:11 ID:PIP
>>549
毎日やってくれるんか…
三国志好きのワイ喚起
ありがとうやで!イッチ!
来れる限り見に来るわ
553名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:18:53 ID:yas
>>549
伊籍楽しみや!
554名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:19:44 ID:UHI()
>>548
先主伝では劉邦のようだって言ってるからね

>>550
これ二人の性格の違いがはっきり分かって面白い逸話やと思う
結局項羽は義帝に取って代わらんとして身を苦しめてるわけやし

>>551
太史慈了解や

>>552
そんなに喜んで貰えるとはこっちもやりがいがあるわ
ワイが飽きるまでやるつもりやからよろしくやで

>>553
楽しみにしててや
くっそ短いけどな
555名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:22:34 ID:FTw
2月30日…?
556名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:24:06 ID:UHI()
>>555
素で間違えたわ

3月1日(水)袁紹伝
3月2日(木)呂蒙伝
3月3日(金)太史慈伝
に訂正で
557名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:29:49 ID:UHI()
じゃあワイはそろそろ落ちるわ
見てくれた人サンガツ
明日もやるんで良かったら来てくれやで
558名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:30:40 ID:PIP
乙やで
559名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:34:00 ID:FTw
おつやでー
560名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)21:36:12 ID:yas
>>557
乙やで〜
三国志熱が上がったから北方三国志読んで寝るわ
561名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)22:26:24 ID:4JC
>>555
ぼくの春休みやぞ
562(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/25(土)04:48:51 ID:M3f
(*^○^*)乙やDe

>>549
荀彧、陳宮、杜預、陸遜辺りみたいなぁ
563名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:01:02 ID:jEa()
今日は曹植伝、伊籍伝、黄忠伝の訳をやっていくで

>>562
荀彧伝と陸遜伝ならあるから後々訳してみるわ
564名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:01:24 ID:jEa()
陳思王植、字子建。

陳思王曹植は字を子建という。
565名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:02:20 ID:jEa()
年十歲餘、誦讀詩論及辭賦數十萬言、善屬文。

年十余歳にして『詩経』、『論語』及び『辞賦』数十万言を読誦し、文章を作るのが上手であった。
566名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:03:11 ID:jEa()
太祖嘗視其文、謂植曰「汝倩人邪」植跪曰「言出爲論、下筆成章。顧當面試、柰何倩人」

太祖(曹操)はかつてその文章を見て曹植に言った「お前は人に頼んだのか」曹植は跪いて言った「言葉は出でて論となり、筆を下せば文章となります。目の前で試してみてください。どうして人に頼みましょうか」

※曹操は正史で諱を避けられ太祖や曹公と呼ばれている
567名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:04:24 ID:jEa()
時鄴銅爵臺新城、太祖悉將諸子登臺、使各爲賦。植援筆立成、可觀、太祖甚異之。

時に鄴の銅雀台が新たに築かれ、曹操は諸子を皆連れて銅雀台に登り、各々に賦を作らせた。曹植は筆を使い賦を作ると見事なものであったので曹操はとても優れていると思った。

※賦は韻文の形式の一つ、物事を羅列的に表すのが特徴
568名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:05:40 ID:Fwu
才能も性格も芸術家なのに後継者争いに加わった不幸
569名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:07:18 ID:jEa()
>>568
意外と武官としても活動してるで
後々出て来るけど出征させて下さいって願いでてるし
570名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:07:27 ID:jEa()
性簡易、不治威儀。輿馬服飾、不尚華麗。

性格は単純で、作法は出来ていなかった。馬車と服装は華麗さを大切にしなかった。
571名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:08:22 ID:jEa()
每進見難問、應聲而對、特見寵愛。

難問を出されるたびに進み出て質問の声に答えるので曹操から特別寵愛された。
572名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:09:22 ID:jEa()
建安十六年封平原侯。十九年徙封臨菑侯。

建安十六年(211年)、平原侯に封じられた。建安十九年(214年)、臨菑侯に封じられた。

※参考までにいうと建安十六年は潼関の戦い、建安十九年は劉備が入蜀したあたり
573名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:10:55 ID:Fwu
酔っ払って軍務に就けんかったかなんだかいう逸話、正史にあったっけ?
574名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:11:36 ID:jEa()
>>573
あるで
この伝で出てくる
正確にいえばちがうが
575名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:11:44 ID:jEa()
太祖征孫權、使植留守鄴、戒之曰「吾昔爲頓邱令、年二十三。思此時所行、無悔於今。

曹操が孫権を征伐し、曹植は鄴の留守を任された。曹操が曹植を戒めて言った「私が昔頓邱令だった時、齢は二十三歳であった。その時したことを思い返しても、今後悔することなど無い。
576名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:12:16 ID:Fwu
>>574
サンガツ
うろ覚えやから楽しみに待ってるわ
577名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:12:46 ID:jEa()
今汝年亦二十三矣、可不勉與」植既以才見異。

お前もまた今年二十三歳になるが努力しないわけにはいくまい」曹植は既に才能が優れていると見られていた。
578名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:13:43 ID:jEa()
而丁儀、丁廙、楊脩等、爲之羽翼。

丁儀、丁廙、楊修らが翼となって曹植を助けた。
579名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:14:53 ID:jEa()
太祖狐疑幾爲太子者、數矣。而植、任性而行、不自彫勵、飲酒不節。

曹操は幾度となく太子にする者を悩んだ。しかし曹植は性格を行くままに任せ、自らを彩ることに励まず、酒を飲んでは節度を持たなかった。
580名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:15:11 ID:Fwu
>>578
負けた側やからやけど、このメンツを見るとね…
581名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:16:25 ID:jEa()
文帝、御之以術、矯情自飾。宮人左右並爲之說、故遂定爲嗣。

文帝(曹丕)ははかりごとを用い、感情を正し自らを着飾った。宮中の人は皆これを説くので、遂に太子となった。

※曹丕は正史では諱を避けられ文帝と呼ばれている
582名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:17:24 ID:jEa()
二十二年增置邑五千、幷前萬戶。

建安二十二年(217年)、邑五千を追加され、合わせて万戸となった。
583名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:17:55 ID:l66
曹彰すこ
584名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:18:34 ID:Fwu
>>579
この辺、芸術家よな
585名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:18:38 ID:jEa()
植嘗乘車行馳道中、開司馬門出。太祖大怒、公車令坐死。由是、重諸侯科禁、而植寵日衰。

曹植はかつて車に乗り天子しか通れない道を走らせ、司馬門を開いて出た。曹操は大いに怒り公車令を刑死させた。これによって諸侯の禁令は重くなり、曹植に対する寵愛も日に日に衰えていった。
586名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:19:07 ID:7Wj
>>585
(アカン)
587名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:19:15 ID:Fwu
そうか
いろんなことでやらかしてるんやな
588名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:19:55 ID:jEa()
太祖、既慮終始之變。以楊脩頗有才策而又袁氏之甥也、於是以罪誅脩。植、益內不自安。

曹操はいつも事変を憂慮していた。楊修が策を練る才能があったうえ袁氏の甥であったことから、罪をもって楊修を誅殺した。曹植は益々不安になった。
589名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:21:09 ID:jEa()
二十四年、曹仁爲關羽所圍。太祖以植爲南中郎將、行征虜將軍。欲遣救仁、呼、有所敕戒。植醉不能受命、於是悔而罷之。

建安二十四年(221年)、曹仁が関羽に包囲された。曹操は曹植を南中郎将、征虜将軍とした。曹操は曹植を曹仁の救援に向かわせようと呼び出して戒めようとした。曹植は酔っていて命を受けることが出来ず、曹操は後悔してやめた。
590名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:21:39 ID:Fwu
結局、曹操は見るところは見てて、打つ手は打つ
情愛に流された袁紹・劉表との大きな違いよな
591名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:23:21 ID:jEa()
>>590
その二人との違いは部下の進言を聞くかどうかやろなぁ
592名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:23:28 ID:jEa()
文帝卽王位、誅丁儀丁廙幷其男口。植與諸侯並就國。

曹丕は王位に就くと丁儀、丁廙とその一族の男を誅殺した。曹植は諸侯と共に国に赴いた。
593名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:24:36 ID:jEa()
黃初二年、監國謁者灌均、希指、奏「植醉酒悖慢、劫脅使者」

黄初二年(221年)、国を監視する灌均は指示に従い、奏上して言った「曹植は酒に酔うと傲慢になり、使者を脅しました」
594名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:25:43 ID:jEa()
有司請治罪、帝以太后故、貶爵安鄉侯。其年改封鄄城侯。

曹丕は役人を処罰したが、太后に配慮して曹植は安郷侯に格下げで済ませた。その年、曹丕は曹植を鄄城侯に改易した。
595名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:26:00 ID:Fwu
これだけやらかしてて、国家の為に働きたいって何回も言ってくんねんな…
596名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:26:36 ID:7Wj
酒は身をほろぼすなあ
597名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:27:34 ID:Fwu
北方三国志での曹植に対する曹丕の陰険さ大好き
598名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:27:38 ID:jEa()
>>595
曹植は国のために働きたいってより立身出世のためやとワイは思うわ
自分の才能を過信してるところちらほらみられるし
599名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:27:47 ID:jEa()
三年立爲鄄城王、邑二千五百戶。四年、徙封雍丘王。

黄初三年(222年)、鄄城王に格上げし、邑二千五百戸を有させた。黄初四年(223年)、雍丘王に封じられた。
600名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:28:41 ID:Fwu
>>598
それやと余計、曹丕からしたら
こいつ何言ってんねん
てかんじやろうな
601名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:29:36 ID:jEa()
>>600
せやな
最後まで曹丕には疎まれとったと思うわ
ただ母親に遠慮して殺せなかっただけで
602名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:29:45 ID:jEa()
※曹植の上奏文が入るが長いので省略
内容は朝廷への参内を許されたお礼
603名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:30:01 ID:jEa()
六年帝東征、還過雍丘、幸植宮、增戶五百。太和元年、徙封浚儀。二年、復還雍丘。

黄初六年(225年)、曹丕は東征し帰り道に雍丘を通り、曹植の宮殿へ御幸し、戸を五百ほど増加した。太和元年(227年)、浚儀に封じられた。太和二年(228年)、再び雍丘に封じられた。
604名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:30:54 ID:7Wj
兄ちゃんは扱いに苦労してんな
605名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:32:04 ID:jEa()
>>604
任地をコロコロ変えとるし力持たせない配慮常にしとったんやろなぁ
606名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:32:10 ID:jEa()
植常自憤怨、抱利器而無所施。上疏求自試曰。

曹植は常に己の才能が振るうところを持たないことに憤りを感じていた。自分を試すように上奏して言った。
607名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:33:05 ID:jEa()
※曹植の上奏文が入るが長いので省略
内容は呉蜀を倒してやるから自分を出陣させろというもの
曹植は文の人のイメージが強いが実は武闘派
608名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:33:09 ID:Fwu
曹丕は一族に力持たせたがらんかったからな
曹彰もさっぱりやったよな
609名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:34:10 ID:Fwu
まともに軍を指揮したことないくせに自信だけは無駄にあったんやろうな…
610名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:34:58 ID:jEa()
>>608
せやな
曹氏は一族に力持たせなかったから滅んでるけど司馬氏が一族に力持たせまくって八王の乱やからどっちがええかわからんけど
611名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:35:09 ID:jEa()
三年、徙封東阿。

太和三年(229年)、東阿に封じられた。
612名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:35:28 ID:jEa()
※またもや曹植の上奏文が入るが長いので省略
内容は駙馬都尉、奉車都尉のどちらかにさせて宮仕えさせてくれというもの
613名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:36:11 ID:jEa()
※またまた曹植の上奏文、長いので省略
内容は推挙に関すること
614名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:36:37 ID:jEa()
其年冬、詔諸王朝六年正月。其二月以陳四縣、封植爲陳王、邑三千五百戶。

その年(231年)の冬、諸王に太和六年(232年)の正月に参内せよとの勅命が下された。その二月に陳の四県をもって曹植は陳王に封じられた。邑は三千五百戸であった。
615名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:37:05 ID:7Wj
>>610
諸行無常やな…
616名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:37:42 ID:Fwu
>>610
まあ、今回の正男君の件にしてもそうやけど、近い血縁は存在自体が不安定要素やからな…
そういう意味では、徳川家康は秀逸やったと思うわ
617名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:38:22 ID:jEa()
植每欲求、別見獨談、論及時政、幸冀試用、終不能得。既還、悵然絕望。

曹植は常に一人での謁見を願って、時の政治について論じ、試しに用いられることを望んだが、遂に叶わなかった。帰還すると絶望した。
618名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:38:40 ID:7Wj
北朝鮮ってやることが古代中国とかわらんとこあるよね
やば~ん
619名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:39:43 ID:jEa()
時法制、待藩國既自峻迫、寮屬皆賈豎下才、兵人給其殘老大數不過二百人。又植以前過、事事復減半。

時の法律では藩国の待遇はひっ迫しており、属するものは皆才能などなく、兵士は老いたものが支給され多くても二百人を超えることはなかった。また曹植は以前の過失から事あるごとにその半分を減らされた。
620名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:40:42 ID:Fwu
>>618
あそこは独裁王朝国家で、500年前を生きてるからね…
621名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:41:31 ID:jEa()
遺令薄葬。以小子志保家之主也、欲立之。

曹植は質素な葬儀にするよう言い残した。末子の曹志が家を保てる人物であると思い、後継者にしようとした。
622名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:42:23 ID:jEa()
初、植登魚山臨東阿、喟然有終焉之心、遂營爲墓。

それより前、曹植が魚山に登り東阿に臨んで、この場で終焉を迎えたいと思い、墓を作った。
623名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:43:32 ID:jEa()
子志嗣、徙封濟北王。

子の曹志が後を継ぎ、済北王に封じられた。
624名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:44:11 ID:jEa()
※詔が書かれているが長いので省略
625名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:44:23 ID:jEa()
志累增邑、幷前九百九十戶。

曹志は邑を増やされ併せて九百九十戸となった。
626名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:45:30 ID:jEa()
※陳寿の評

陳思、文才富豔、足以自通後葉。

陳思王(曹植)は、文才が豊富で後世に名が残るには十分であった。
627名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:46:46 ID:jEa()
※七歩の才について

曹植の才能をあらわす言葉に七歩の才というものがあるが実はこれは言葉通り七歩ではない
古代中国では右足を出し左足を出しはじめて一歩と数えるため現代でいうところの十四歩分歩いていることになる
同様に五十歩百歩も現代でいえば百歩と二百歩の差になる
628名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:47:53 ID:jEa()
これで曹植伝は終わりや
五分休憩の後伊籍伝、黄忠伝やるで
それと質問あったら何でも聞いてクレメンス
629名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:48:41 ID:7Wj
おつやで
意外と暗殺とかされてないねんな
630名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:50:14 ID:jEa()
>>629
むしろ曹丕は刑罰をもって堂々と処刑出来る立場にあったけど母親のこと考えてしなかったんや
暗殺はなおさらせーへんで
631名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:52:12 ID:7Wj
>>630
なるほどね
632名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:53:19 ID:G0M
>>627
七歩詩貼っとこか
http://youtu.be/p-_t26nwkaI
七歩詩自体は絶句なんで時代的に曹植作はありえんけど
そういう伝説が作られるほどやった言うことやね
633名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:54:34 ID:jEa()
そろそろ始めるで

>>632
これスリキンか?
634名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:54:44 ID:jEa()
伊籍、字機伯、山陽人。

伊籍は字を機伯といい山陽の人である。

※字の伯仲叔季にはそれぞれ長男、次男、三男、末子という意味がある
 それに従えば伊籍は長男ということになる
635名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:56:03 ID:G0M
>>633
せやでー
636名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:56:20 ID:jEa()
少依邑人鎭南將軍劉表。

幼いころより同じ邑の人である鎮南将軍劉表を頼った。

※邑は行政区画の一つで集落を指す
637名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:57:18 ID:jEa()
先主之在荊州、籍常往來、自託。表卒、遂隨先主南渡江、從入益州。

先主(劉備)が荊州に居たとき、伊籍は常に往来して自らを劉備に託した。劉表が死ぬと劉備に随行して南に長江を渡り、益州に入るのに従った。

※正史において劉備は名を呼ぶことを避けられ先主と呼ばれている
638名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:58:38 ID:jEa()
益州既定、以籍爲左將軍從事中郎。見待、亞於簡雍孫乾等。

益州が平定されると伊籍は左将軍従事中郎となった。待遇を見るに簡雍、孫乾らに次いだ。

※簡雍は劉備と旧交があり孫乾は徐州時代からの臣下であり、この二人に次ぐといわれることから伊籍の厚遇ぶりがみてとれる
639名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)19:59:42 ID:jEa()
遣東使於吳、孫權聞其才辯、欲逆折以辭。

伊籍は東の呉に遣わされ、孫権はその弁舌の才を聞き、弁舌で逆に言いくるめてやろうとした。
640名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:02:36 ID:jEa()
籍、適入拜、權曰「勞事無道之君乎?」籍既對曰「一拜一起、未足爲勞」籍之機捷、類皆如此、權甚異之。

伊籍は入りて拝礼をすると孫権は言った「道理の無い君主には苦労するか?」伊籍は答えて言った「一度拝み一度立ち、苦労には及びません」伊籍の機微は皆このようであり、孫権は伊籍を甚だ優れていると思った。
641名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:02:52 ID:jEa()
※伊籍はここで「無道の君(劉備)に仕えるのは苦労するか」という孫権の嫌味に対し「無道の君(孫権)に一拜一起するだけなので苦労しません」と皮肉で返している
642名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:03:12 ID:7Wj

643名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:04:06 ID:jEa()
後、遷昭文將軍。與諸葛亮、法正、劉巴、李嚴、共造蜀科。蜀科之制、由此五人焉。

後に昭文将軍となった。諸葛亮、法正、劉巴、李厳と共に蜀科(蜀の法律)を作った。蜀科の制定はこの五人に由来する。
644名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:05:17 ID:jEa()
※陳寿の評

麋竺、孫乾、簡雍、伊籍、皆雍容風議、見禮於世。

麋竺、孫乾、簡雍、伊籍は皆おっとりとした行儀作法をしていて、世において礼があると見られていた。
645名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:06:34 ID:jEa()
伊籍伝は以上で終わりや
このまま黄忠伝の全文訳いくで
646名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:06:50 ID:jEa()
黃忠、字漢升、南陽人也。

黄忠は字を漢升といい南陽の人である。

※演義では老人であり弓の名手であるとされるが正史では年齢不詳、かつ弓が得意という記述もない
※中国では老いて益々盛んな人を老黄忠と呼ぶ
647名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:08:02 ID:jEa()
荊州牧劉表以爲中郎將、與表從子磐、共守長沙攸縣。

荊州牧劉表によって中郎将とされ、劉表の甥の劉磐と共に長沙の攸県を守った。
648名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:09:02 ID:jEa()
及曹公克荊州、假行裨將軍、仍就故任、統屬長沙守韓玄。

曹操が荊州に勝つに及んで裨将軍に仮に任命され、そのまま元の任に着き、長沙太守の韓玄の元に所属となった。
649名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:09:13 ID:jEa()
※演義の黄忠は韓玄に処刑されかけるも魏延によって助けられて劉備に属すが正史ではそのような記述は無い
 韓玄は生死を含め事績が不明な人物であり魏延はそもそも韓玄に仕えていない
650名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:10:16 ID:jEa()
先主南定諸郡、忠遂委質、隨從入蜀。

先主(劉備)が南に行き諸郡を平定すると黄忠は劉備に身を委ね、随行して蜀に入った。

※正史では劉備の名前をはばかって先主と呼んでいる
651名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:11:28 ID:jEa()
自葭萌受任、還攻劉璋。忠、常先登陷陳、勇毅冠三軍。

自ら葭萌(にいた劉備)から任を受け、引き返して劉璋を攻めた。黄忠は常に先頭に立って陣を陥落させ、勇猛で剛毅なことは三軍の筆頭であった。
652名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:12:05 ID:jEa()
益州既定、拜爲討虜將軍。

益州が平定されると討虜将軍に拝命された。
653名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:13:20 ID:jEa()
建安二十四年於漢中定軍山、擊夏侯淵。

建安二十四年(219年)漢中定軍山において夏侯淵を攻撃した。
654名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:14:05 ID:7Wj
夏侯淵は弓の名人だって正史にも書いてるん?
655名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:15:40 ID:jEa()
>>654
弓の名手とは書いていない
多分黄忠の敵役として弓の名手にされたんやと思う
656名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:15:56 ID:jEa()
淵衆甚精、忠推鋒必進、勸率士卒、金鼓振天、歡聲動谷、一戰斬淵、淵軍大敗。遷征西將軍。

夏侯淵の兵は甚だ精強であったが黄忠は先鋒となって必死に進み、兵を励ましながら率いて、鐘と太鼓は天を震わせ、歓声は谷を動かし、一戦して夏侯淵を斬り、夏侯淵の軍は大敗した。征西将軍となった。
657名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:16:04 ID:7Wj
>>655
なるほど
どっちも創作なのね
658名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:16:58 ID:Fwu
ちなみに蜀書で弓(といっても騎射)がうまいという記述があるのは以外にも麋竺とその子と孫
659名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:17:04 ID:jEa()
是歲、先主爲漢中王、欲用忠爲後將軍。

この年、劉備は漢中王となり、黄忠を後将軍に用いようとした。
660名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:18:31 ID:jEa()
諸葛亮說先主曰「忠之名望、素非關馬之倫也。而今便令同列。

諸葛亮は劉備に説いて言った「黄忠の名声は関羽、馬超のともがらではありません。しかし今、同列にされようと令をだしておられます。
661名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:19:42 ID:jEa()
馬張在近、親見其功、尚可喻指。關遙聞之、恐必不悅。得無不可乎」

馬超、張飛は近くに居て親しくその功績を見ており、これを諭すことが出来るでしょう。しかしながら遥か遠くの関羽がこれを聞けば恐らく喜ばないことは間違いないでしょう。得るところがなくすべきではないでしょう」
662名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:21:20 ID:jEa()
先主曰「吾自當解之」遂與羽等齊位、賜爵關內侯。

劉備は言った「私が自らこれをわからせよう」遂に関羽と同位について関内侯の爵位を賜った。
663名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:22:12 ID:jEa()
明年卒、追諡剛侯。子敍、早沒、無後。

翌年(220年)死亡し、(劉禅によって260年に)剛侯と諡された。子の黄敍は早くに没しており、後継者は居なかった。

※諡については後主(劉禅)伝より
664名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:22:49 ID:Fwu
>>660
あかん、細かいことが気になる、僕の悪いく…
令して同列ならしめんとす なんかな?
同列ならしめんとす やないかな?
665名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:24:53 ID:jEa()
>>664
「しむ」であってるね
一日一武将のペースで訳してるから結構おざなりに訳してまうんや
すまへんな
666名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:25:09 ID:jEa()
※陳寿の評

黃忠、趙雲、彊摯壯猛、並作爪牙、其灌滕之徒歟。

黄忠、趙雲は強くて勇猛であり、そろって爪牙を作り、灌嬰、滕公(夏侯嬰)のともがらであろうか。

※灌嬰、滕公(夏侯嬰)はそれぞれ劉邦に仕えた将軍で漢の功臣
667名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:25:25 ID:Fwu
>>665
いや、こちらこそ細かいことをすまんやで
668名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:26:30 ID:Fwu
でも、この短期間の軍功で関羽・張飛・馬超と同列にするんやから、衝撃的な軍功を挙げてるんやろうな
669名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:28:03 ID:jEa()
以上で黄忠伝は終わりや
質問や訳して欲しい武将のリクエストあったら言ってクレメンス

>>668
夏侯淵を斬り漢中を得るって大手柄やからな
670名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:28:10 ID:Fwu
やっぱり、黄忠と趙雲を並べて評するのは違和感あるわ
671名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:29:55 ID:Fwu
>>669
夏侯淵斬ったのもそうやけど、入蜀戦からかなりの戦巧者ぶりを見せつけてたんやろうな
672名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:32:05 ID:7Wj
おつやでー
また次も楽しみにしてる
673名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:32:10 ID:jEa()
>>670
官職でも季漢輔臣賛の序列でも黄忠と趙雲じゃ圧倒的に差があるもんなぁ
なんで陳寿は二人を並べたんやろか?

>>671
せやな
それに劉備は魏延を漢中太守にしたように旧臣じゃなくとも才があれば大抜擢する人物やからそれも大きいやろ
674名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:32:32 ID:jEa()
>>672
こちらこそ見てくれてありがとうや
675名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:34:24 ID:Fwu
>>673
巻を作る上で趙雲が浮いたんじゃないかと妄想してみる
他に趙雲を入れることができそうな巻って、イッチは思いつく?

李厳もかなりの抜擢やしな
せや!李厳やってクレメンス
676名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:36:28 ID:jEa()
>>675
入れるとしたら黄権、王平、馬忠、張嶷らがいる伝かな?
李厳伝了解したで
677名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:39:30 ID:Fwu
>>676
サンガツ

その巻は益州出身の有能武官を集めてる感じやな
678名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:41:29 ID:jEa()
それと今後の予定いっておくと
2月26日(日)張昭伝
2月27日(月)賈詡伝
2月28日(火)魯粛伝
って感じでやっていくわ

その後3月1日以降なんやけどワイに予定が出来てしまったんで不定期になるわ
予告しておいて出来ないのは本当にすまへん
679名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:42:30 ID:jEa()
>>677
他に入れるところが思いつかんわ
その巻しか武官が集まってるところがなかった気がする
680名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:42:43 ID:Fwu
>>678
ええんやで
681名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:43:51 ID:Fwu
>>679
やっぱり、趙雲をあそこに入れざるをえんかったんかもしれんな
関羽・張飛に次ぐ古参武将やし
682名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:44:58 ID:7Wj
>>678
ええんやで
イッチの都合のが大事や
683名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:47:15 ID:jEa()
>>680>>682
ありがとナス

>>682
劉禅に諡を受けた五人で固まっとるしな
もしくは陳到や呉懿と同じく伝を立てられなかった可能性も
684名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:50:24 ID:Fwu
>>683
ああ、そうか
諡を受けた武官をまとめた巻か
685名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:56:06 ID:jEa()
もう質問もなさそうやしワイは落ちるわ
明日2月26日(日)の19:00から張昭伝やるんで良かったら見てくれやで
686名無しさん@おーぷん :2017/02/25(土)20:56:37 ID:Fwu
>>685
乙やで!
687(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/26(日)02:43:00 ID:ydo
(*^○^*)孫権と喧嘩するじーさんだっけか…乙やDe

(*^○^*)しかし伊籍の孫権への切り返しはキレあって好き
688名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:01:48 ID:8wt()
そろそろ始めるか

今日は張昭伝訳していくからよろしくやで
689名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:02:10 ID:8wt()
張昭、字子布、彭城人也。

張昭は字を子布といい彭城の人である。
690名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:03:16 ID:8wt()
少好學、善隸書。從白侯子安、受左氏春秋、博覽衆書、與琅邪趙昱、東海王朗、俱發名友善。

幼い頃より学問を好み隸書が良かった。白侯子安に従い『春秋左氏伝』を習い、様々な本を博覧し、琅邪の趙昱、東海の王朗と共に名を成し友好を築いた。

※隸書は書体の一つ
691名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:04:27 ID:8wt()
弱冠察孝廉、不就。與朗共論舊君諱事、州里才士陳琳等皆稱善之。

二十歳にて孝廉に挙げられたが就かなかった。王朗と共に旧君の諱の事を論じ州里の才士陳琳らは皆これを善しと称賛した。

※孝廉は郷挙里選という人材登用方法の一つ、孝行なものが推挙される
692名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:04:35 ID:9Kh
イッチ乙やで
黄忠頼んだもんや
リアルタイムで見れなくてすまんな
弓の名手じゃなかったのは以外やわ
693名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:05:39 ID:8wt()
>>692
いやいや、見てくれるだけで有り難いで
694名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:05:50 ID:8wt()
刺史陶謙舉茂才、不應、謙以爲輕己、遂見拘執。昱、傾身營救、方以得免。

刺史陶謙が茂才に挙げたが応じず陶謙は己を軽んじたと思い、遂に張昭を拘束した。趙昱が身を挺して救出し、こうして免れられた。

※茂才は郷挙里選という人材登用方法の一つ
 元は秀才といったが光武帝劉秀の諱を避け茂才となった
695名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:07:07 ID:8wt()
漢末大亂、徐方士民多避難揚土、昭皆南渡江。

漢末期大乱が起こり、徐州の士と民の多くは揚州に避難し張昭も南に長江を渡った。
696名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:08:08 ID:8wt()
孫策創業、命昭爲長史、撫軍中郎將。升堂、拜母、如比肩之舊。文武之事、一以委昭。

孫策は創業するにあたり張昭を長史に撫軍中郎将に命じた。堂に登って母に拝礼し、肩を並べる旧臣の如きだった。文武のことは一切を張昭に委ねた。
697名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:09:26 ID:8wt()
昭每得北方士大夫書疏、專歸美於昭。昭、欲嘿而不宣則懼有私、宣之則恐非宜、進退不安。

張昭は北方の士大夫の手紙を得るたび、それは専ら張昭を賛美するものであった。張昭は黙ってそれを述べないなら私心有りと思われることを恐れ、それを述べるならば良いことではないと恐れ、進退が不安になった。
698名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:10:17 ID:8wt()
策聞之、歡笑曰「昔管仲、相齊。一則仲父、二則仲父、而桓公爲霸者宗。今子布賢、我能用之。其功名獨不在我乎。」

孫策はこれを聞き、笑って言った「昔管仲は斉の宰相であった。一に仲父(管仲のこと)、二に仲父とし桓公は覇者の祖となった。今子布(張昭のこと)は賢く、私はこれを用いることが出来ている。その(桓公の)功名は私にはないだろうか(いや、あるだろう)。」
699名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:10:30 ID:8wt()
※桓公、管仲は春秋時代の人物
桓公は斉の君主で自分を暗殺しようとした管仲を才能がわかると見るや宰相に就かせた大人物
 管仲は優れた政治力を発揮し桓公を覇者へと押し上げた名宰相
蜀の諸葛亮は自らをこの管仲になぞらえていた
700名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:11:49 ID:8wt()
策臨亡、以弟權託昭。昭、率羣僚立而輔之。上表漢室、下移屬城、中外將校、各令奉職。

孫策は死に臨み、弟の孫権を張昭に託した。張昭は同僚たちを率いて孫権を補佐した。漢室に上表し、属する城に移動し、中外の将校には各々令を出して職を司らせた。
701名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:13:04 ID:8wt()
權悲感未視事、昭謂權曰「夫、爲人後者、貴能負荷先軌、克昌堂構、以成勳業也。方今天下鼎沸、羣盜滿山。

孫権は悲しんで事業を見なかったため、張昭は孫権に言った「そもそも後継者たる人は先代の事業を負うことが出来るのを貴び、力を盛んに尽くし、堂を構え、これをもって勲功と業績を成すのです。今天下は沸き立ち、盗賊たちが山を満たしております。
702名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:14:13 ID:8wt()
孝廉、何得寢伏哀戚、肆匹夫之情哉」乃身自扶權上馬、陳兵而出。

孝廉(孫権のこと)よ、伏して寝て親戚を悲哀し何を得られましょうか。匹夫の情をほしいままに出来ましょうか」こうして自身の手で孫権を扶助して馬に上げ、兵を並べて出陣させた。
703名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:15:09 ID:8wt()
然後、衆心知有所歸。昭、復爲權長史、授任如前。

しかる後に大衆は帰服する場所を知った。張昭はまた孫権の長史となり、任を受けることは前の通りであった。
704名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:16:14 ID:8wt()
後、劉備表權行車騎將軍、昭爲軍師。

後に劉備が孫権を行車騎将軍に上表すると張昭は軍師となった。
705名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:17:17 ID:8wt()
權、每田獵、常乘馬射虎。

孫権は野に出でて狩りをするたびに、常に馬に乗り虎を射た。
706名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:18:35 ID:8wt()
虎常突前攀持馬鞍、昭變色而前曰「將軍、何有當爾。夫、爲人君者謂、能駕御英雄、驅使羣賢。

虎がかつて前に突撃して馬の鞍を持ち上げることがあり、張昭は顔色を変えて言った「将軍(孫権のこと)よ、何故このようなことををなさるのですか。そもそも人君たる者は英雄を御し、賢者たちを駆使するのです。
707名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:20:10 ID:8wt()
豈謂、馳逐於原野、校勇於猛獸者乎。如有一旦之患、奈天下笑何?」

どうして原野を駆け、猛獣と勇を比べるものを人君と言えましょうか。一つの患いでもあろうものなら、天下の人の嘲笑を如何なさいますか?」
708名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:21:23 ID:8wt()
權謝昭曰「年少、慮事不遠。以此慚君」然、猶不能已、乃作射虎車。

孫権は張昭に謝って言った「年少にして、事を思慮することが出来なかった。これをもって君に恥じ入る」しかしながら、なおやめることが出来ず、こうして射虎車を作った。
709名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:22:26 ID:8wt()
爲方目、閒不置蓋、一人爲御、自於中射之。時有逸羣之獸輒復犯車、而權每手擊、以爲樂。昭雖諫爭、常笑而不答。

射虎車の形は正方形で蓋を置かず、一人が御者となり、孫権は自ら中で虎を射た。時に群れから離れた獣がいてまた射虎車を襲ったが、孫権はその度弓を撃って楽しんだ。張昭が諌めたといえども常に笑って答えなかった。
710名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:23:26 ID:8wt()
※孫堅は戦争中にもかかわらず単騎で行動したため黄祖の兵に射殺された
 孫策も人を殺し恨みを持たれる立場でありながら護衛をつけずに外出し暗殺された
 二人とも陳寿に軽率であると指摘されている
 孫権もまたこのような迂闊さがあったが天寿を全うできたのは幸運と言うほかないであろう
711名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:24:19 ID:8wt()
魏、黃初二年、遣使者邢貞、拜權爲吳王。

魏は黄初二年(221年)に使者邢貞を遣わし孫権に呉王を拝命させた。
712名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:25:19 ID:8wt()
貞、入門、不下車。昭謂貞曰「夫禮、無不敬故法無不行。而君敢自尊大。豈以江南寡弱、無方寸之刃故乎」

邢貞は入門すると車を降りなかった。張昭は邢貞に言った「そもそも礼というものは尊敬がなければ法が行われることは無い。君は敢えて自身を尊大だとする。どうして江南は弱くごく小さな刃すら無いと思うのか」
713名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:26:28 ID:8wt()
貞卽遽下車。拜昭爲綏遠將軍、封由拳侯。

邢貞は急遽に下車した。張昭に綏遠将軍を拝命させ、由拳侯に封じた。
714名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:27:40 ID:8wt()
權於武昌、臨釣臺、飲酒大醉。權、使人以水灑羣臣、曰「今日酣飲。惟醉墮臺中、乃當止耳」昭、正色不言、出外車中坐。

孫権は武昌において釣台に臨み酒を飲んで大いに酔った。孫権は人を使って群臣に酒を注がせ言った「今日は酒を飲んで楽しもう。酔って釣台から落ちたらやめよう」張昭は顔色を正し何も言わず、外に出て車に中座した。
715名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:29:06 ID:8wt()
權、遣人呼昭還、謂曰「爲共作樂耳、公何爲怒乎?」

孫権は人を遣わして張昭を呼び戻し言った「共に楽しみを作ろうとしているだけだ、張昭殿は何故怒るのだ?」
716名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:30:14 ID:8wt()
昭對曰「昔紂、爲糟丘酒池長夜之飲。當時亦以爲樂、不以爲惡也」權默然、有慚色、遂罷酒。

張昭は答えて言った「昔紂は糟丘、酒池で長夜の飲酒をしました。当時もまた楽しみであり悪ではないとしました」孫権は黙って恥じ入る顔色を見せ、遂に酒宴をやめた。

※紂は殷の時代の王で酒色に耽ったため殷の滅亡の原因となった
夏の時代の桀と共に暴君の代名詞となり、併せて夏桀殷紂と呼ばれる
717名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:31:52 ID:8wt()
初、權當置丞相、衆議歸昭。權曰「方今多事、職統者責重。非所以優之也」

初め孫権が丞相を置こうとした時、皆張昭がふさわしいと議論した。孫権は言った「まさに今多忙であり、丞相の職になるものは責任が重い。これでは(張昭に対しての)優遇にはならない」
718名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:33:04 ID:8wt()
後、孫邵卒。百寮復舉昭、權曰「孤、豈爲子布有愛乎。領丞相、事煩。而此公性剛、所言不從、怨咎將興。非所以益之也」乃用顧雍。

後に孫邵が死んだ。百官はまた張昭を丞相におしたが、孫権は言った「私はどうして子布(張昭)を惜しむのか。丞相となれば事を煩わせる。しかも張昭殿は性格が剛直で言うことに従わず恨みが起ころう。これでは利益にはならない」こうして顧雍を用いた。
719名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:34:05 ID:8wt()
權既稱尊號、昭以老病、上還官位及所統領。更拜輔吳將軍、班亞三司、改封婁侯、食邑萬戶。

孫権が尊号(皇帝)を称すと張昭は老いと病を理由として官位と所有地を返還した。改めて輔呉将軍を拝命し、位は三公に次ぎ、婁侯に封じられ、食邑は万戸となった。
720名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:35:45 ID:8wt()
在里宅無事、乃著春秋左氏傳解及論語注。

里の自宅にいて無事であり、『春秋左氏伝解』及び『論語注』を著した。
721名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:36:48 ID:8wt()
權嘗問衞尉嚴峻、「寧念小時所闇書不?」峻因誦孝經「仲尼居」

孫権はかつて衛尉厳峻に問うた「ちょっとした時に思うべきことを暗誦してくれないか?」厳峻は孝経を「仲尼居し」と暗誦し始めた

※「仲尼居」は孝経の開宗明義章第一の冒頭
722名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:38:09 ID:8wt()
昭曰「嚴畯、鄙生。臣請爲陛下誦之」乃誦「君子之事上」咸以昭爲知所誦。

張昭は言った「厳峻は辺鄙なところの人間です。私が陛下(孫権)のために暗誦しましょう」こうして「君主の上に事うるや」と暗誦しはじめた。皆は張昭は暗誦すべきところを知っているとした。

※「君子之事上」は孝経の事君章第十七の冒頭
723名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:38:59 ID:8wt()
大体半分終わったんで今から五分休憩や
質問があったら答えるんで何でも聞いてクレメンス
724名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:39:55 ID:PPN
ワイリクエストの曹植とカクカ終わってるやんけ!読んでくるわ
725名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:41:38 ID:8wt()
>>724
今日も来てくれたんかサンガツ
ご希望通り二人の伝を訳してみたんでゆっくりでいいから読んでやで
726名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:44:14 ID:8wt()
再開するで
727名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:44:26 ID:8wt()
昭每朝見、辭氣壯厲、義形於色。曾以直言逆旨、中不進見。

張昭は朝見するたびに、言葉は厳粛で義は顔色に現れていた。かつて直言をもって孫権の主旨に逆らい、謁見を許されなかったことがあった。
728名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:46:06 ID:8wt()
後、蜀使來、稱蜀德美、而羣臣莫拒。權歎曰「使張公在坐、彼不折則廢、安復自誇乎」

その後、蜀の使者が来訪し、蜀の徳を賛美し、群臣は誰も言い返せなかった。孫権は嘆いて言った「張昭殿をこの座におけばあの者は折れずとも言葉を廃しどうしてまた誇れようか」
729名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:47:10 ID:8wt()
明日遣中使勞問、因請見昭。昭、避席謝。權、跪止之。

次の日中使を遣わして慰労し、張昭を謁見させた。張昭は席を避けて謝った。孫権は跪いてこれを止めた。
730名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:48:27 ID:8wt()
昭坐定、仰曰「昔太后、桓王、不以老臣屬陛下、而以陛下屬老臣。是以思盡臣節、以報厚恩、使泯沒之後有可稱述。

張昭は席に座ると仰いで言った「昔孫太后、桓王(孫策)は私を陛下に属させたのではなく、陛下を私に属させたのです。これをもって臣下としての忠節を思い、厚恩に報い、没してから称賛されようとしました。

※孫策は孫権によって長沙桓王と諡されたのでこう呼ばれた
731名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:49:37 ID:8wt()
而意慮淺短、違逆盛旨、自分幽淪、長棄溝壑。不圖、復蒙引見、得奉帷幄。然、臣愚心所以事國、志在忠益、畢命而已。

しかし配慮が浅く、陛下の主旨に逆らい、自分は幽閉され、長らく溝に捨てられました。図らずもまた蒙昧な私を引見し、帷幕を奉ることが出来ました。しかしながら私は心を尽くして国の事をするのは、志が忠節にあるまま、命を終えたいからです。
732名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:51:08 ID:8wt()
若乃、變心易慮以偷榮取容、此臣所不能也」權辭謝焉。

心変わりして安易に思慮し、栄誉を盗み、聞き入れられることだけを受け入れるのは、それこそ私に出来ないことです」孫権は謝罪した。
733名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:52:15 ID:8wt()
權、以公孫淵稱藩、遣張彌許晏、至遼東、拜淵爲燕王。

孫権は公孫淵が(孫権の)藩を称したことで張彌、許晏を遣わして遼東に到らせ、公孫淵に燕王を拝命させた。
734名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:53:21 ID:8wt()
昭諫曰「淵、背魏懼討、遠來求援、非本志也。

張昭は諌めて言った「公孫淵は魏に背き討たれることを恐れ遠くに救援を求めて来たので本来望むところではありません。
735名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:54:46 ID:8wt()
若、淵改圖欲自明於魏、兩使不反。不亦取笑於天下乎」權、與相反覆、昭意彌切。

もし公孫淵が改めて魏に無実を証明しようと図れば、二人の使者は帰らないでしょう。天下の人は笑わないでしょうか」孫権は張昭と意見を反復させたが張昭の意志は切迫していた。
736名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:55:58 ID:8wt()
權、不能堪、案刀而怒曰「吳國士人、入宮則拜孤、出宮則拜君。孤之敬君亦爲至矣、而數於衆中折孤。孤嘗恐失計」

孫権は堪えられず、刀で斬ることを視野に入れながら怒って言った「呉の国の士は宮殿に入ると私に拝礼し宮殿を出るときも私に拝礼する。私の張昭殿を尊敬することはまたこのようなのに張昭殿は何度も人の中で私の言を折る。私はかつてより計が失敗するのを恐れている」
737名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:57:13 ID:8wt()
昭熟視權曰「臣、雖知言不用、每竭愚忠者、誠以、太后臨崩呼老臣於牀下、遺詔顧命之言故在耳」因涕泣橫流。

張昭は孫権を熟視して言った「私の言が用いられないと知っているといえでも度々忠義を尽くすのは誠に太后が臨終される際私を床下に呼んで命令の詔を遺したからであります」涙を流して泣いた。
738名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:58:12 ID:8wt()
權擲刀致地、與昭對泣。然、卒遣彌晏往。

孫権は刀を投げて地に伏し、張昭と共に泣いた。しかしながら張彌、許晏を遣わした。
739名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)19:59:31 ID:8wt()
昭、忿言之不用、稱疾不朝。權恨之、土塞其門。昭又於內以土封之。淵、果殺彌晏。

張昭は言が用いられないことに怒り、病を称して朝廷に出なくなった。孫権はこれを恨み、土で門を塞いだ。張昭もまた土をもって内側から門を塞いだ。
740名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:00:11 ID:PPN
>>725
リクエスト分読んできたで〜
武官もええけどやっぱり軍師や芸術家は面白いンゴねえ
サンガツ
741名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:01:28 ID:8wt()
權、數慰謝昭、昭固不起。權因出、過其門、呼昭、昭辭疾篤。權燒其門、欲以恐之、昭更閉戶。

孫権は何度も張昭に謝罪したが張昭はかたくなに起きなかった。孫権は出て行ってその門を過ぎ、張昭を呼んだが張昭は病が篤いとして固辞した。孫権はその門を焼き恐れさせようとしたが、張昭は更に門を閉ざした。
742名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:02:40 ID:8wt()
權使人滅火、住門良久、昭諸子共扶昭起、權載以還宮、深自克責。昭、不得已、然後朝會。

孫権は人に火を消させ。孫権は門に久しく留まり、張昭の子供たちは張昭を扶助して起こした。孫権は張昭を車に乗せ宮殿に帰り深く自責した。張昭はやむを得ず、その後は朝廷に会見した。
743名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:04:04 ID:8wt()
昭、容貌矜嚴、有威風。權常曰「孤與張公言、不敢妄也」舉邦憚之。年八十一、嘉禾五年卒。

張昭は容貌に威厳があり、威風があった。孫権は常に言った「私は張昭殿と言葉を交わすとき、みだりなことは出来ない」国を挙げて張昭のことを恐れつつ死んだ。年八十一にして嘉禾五年(236年)に没した。
744名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:05:09 ID:8wt()
遺令、幅巾素棺斂以時服。權、素服臨弔、諡曰文侯。長子承、已自封侯。少子休、襲爵。

遺命を出して、幅のある質素な棺桶に賜り物の服を着せて納めさせた。孫権は質素な服で弔問に臨み、文侯と諡した。長男の張承は既に侯に封じられており、幼子の張休が爵位を継いだ。
745名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:06:17 ID:r4u
張昭と孫権はホンマええなあ
一本気なじじいと血気盛んな若者
746名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:06:34 ID:8wt()
評曰。張昭、受遺輔佐、功勳克舉、忠謇方直、動不爲己。而、以嚴見憚、以高見外。既不處宰相、又不登師保、從容閭巷、養老而已。以此明、權之不及策也。

評曰く。張昭は遺命を受けて孫権を補佐し勲功を揚げ忠言は実直で己のために動かなかった。しかし、厳しさによって憚られ、高潔さによって疎外された。宰相に任されず、また師保にも登れず村里におちつき老体を養って終わった。聡明さにおいて孫権は孫策に及ばなかった。
747名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:07:18 ID:8wt()
>>745
コントみたいなことやってるのがホンマおもろいわ
748名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:08:10 ID:r4u
>>747
江南=関西のイメージ
749名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:08:16 ID:8wt()
以上で張昭伝の全文訳は終わりや
質問や訳して欲しい武将のリクエストあったら遠慮せず言ってや
750名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:09:34 ID:r4u
いつもながらほんまおもろいわイッチには感謝や
751名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:10:44 ID:8wt()
>>748
国挙げてギャグやってるから関西のイメージ合ってるかもな
というか孫権が諸葛瑾や周泰、虞翻らとコントしとるイメージ

>>750
何回も見てくれてこちらこそありがとうやで
752名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:11:18 ID:r4u
>>751
周泰もええね
そのうちでええからぜひ
753名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:12:15 ID:8wt()
>>752
周泰伝了解や
754名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:12:54 ID:r4u
>>753
サンガツや!
755名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:20:10 ID:8wt()
今後の予定やけど
2月27日(月)賈詡伝
2月28日(火)魯粛伝
でやっていくで

明日の賈詡伝も19:00からやっていくから良かったら見てクレメンス
3月1日以降忙しくなるんで袁紹伝、呂蒙伝、荀彧伝、陸遜伝、李厳伝、周泰伝の訳は期間が空くと思うわ
リクエストしてくれた人にはすまへんが了承してやで
756名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:21:01 ID:8wt()
あ、太史慈伝忘れとったわ
757名無しさん@おーぷん :2017/02/26(日)20:25:16 ID:8wt()
ほならそろそろ質問もなさそうやし落ちるで
見てくれた人サンガツ
758(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/26(日)22:02:28 ID:ydo
(*^○^*)乙やDe

(*^○^*)明日は世渡り上手な賈詡か、楽しみにしてるんだ
759名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:04:15 ID:Zig()
そろそろ始めるわ

今日は賈詡伝の訳と解説していくで
760名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:04:39 ID:Zig()
賈詡、字文和、武威姑臧人也。

賈詡は字を文和といい武威姑臧の人である。
761名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:05:52 ID:Zig()
少時、人莫知。唯漢陽閻忠異之、謂、詡有良平之奇。

幼い時、彼を知るものは居なかった。ただ漢陽の閻忠のみが優れているとし、賈詡には張良、陳平のような奇才が有ると言った。

※張良、陳平は共に漢の高祖に仕えた謀臣
 張良は四面楚歌の策で項羽を追いつめ、陳平は離間の策や金蝉脱穀の計(囮をつかって脱出する計)を使って高祖を助けた
762名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:06:28 ID:DBi
超有能&世渡り上手の賈詡さんや!
763名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:06:46 ID:uhX
三国志の時間だああ
764名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:07:02 ID:Zig()
察孝廉爲郎。疾病去官、西還至汧。道遇叛氐、同行數十人皆爲所執。

孝廉に挙げられ郎となった。病気になり官職を辞し、西に帰って汧に至った。道中で氐族の反乱にあい、同行するもの数十人が皆捕らえられた。

※氐は異民族
765名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:08:18 ID:Zig()
詡曰「我、段公外孫也。汝別埋我、我家必厚贖之」時太尉段熲、昔久爲邊將、威震西土。故詡、假以懼氐。

賈詡は言った「私は段公の外孫です。君たちは私を別に埋めてくだされ。私の家族が必ず厚くお礼してくれるでしょう。」時の太尉段熲昔から久しく辺境の将であり、西土を震撼させていた。ゆえに賈詡はその威を借りて氐族を恐れさせた。
766名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:09:08 ID:Zig()
氐、果不敢害、與盟而送之。其餘、悉死。詡、實非段甥。權以濟事、咸此類也。

氐族は敢えて殺そうとせず、盟友となって送りだした。その他の人はことごとく殺された。賈詡は実のところ段熲の甥ではなかった。権謀によって事を済ませることはこのようであった。
767名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:10:29 ID:Zig()
董卓之入洛陽、詡以太尉掾爲平津都尉、遷討虜校尉。

董卓が洛陽に入ると賈詡は太尉掾となり平津都尉に任命され、後に討虜校尉となった。
768名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:11:15 ID:DBi
この逸話好き
さっと対羌・氐最強の段熲さんの名をさらっとだすあたりね
769名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:11:29 ID:uhX
>>768
いいねいいね
770名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:11:42 ID:Zig()
卓壻中郎將牛輔、屯陝。詡在輔軍。

董卓の娘婿の中郎将牛輔が陝に駐屯した。賈詡は牛輔の軍にあった。
771名無しさん◎おーぷん :2017/02/27(月)19:11:43 ID:ACA
メモ
772名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:12:07 ID:Zig()
>>768
こういう頭の良さが賈詡にはあるよな
773名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:12:31 ID:4be
三國志より日本の戦国をまとめろ
774名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:12:33 ID:DBi
あかん、昨日PCのリカバリしたから、三国志関連の漢字がすぐにでぇへん
775名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:12:54 ID:sJK
スタートしたらまずカクさんを寝返らすンゴねぇ
776名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:13:34 ID:Zig()
>>773
戦国も好きやけど三国志ほどやないからスマンな
777名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:13:40 ID:Zig()
卓敗、輔又死。衆恐懼、校尉李傕郭汜張濟等欲解散、閒行歸鄉里。

董卓が敗れ牛輔はまた死んだ。兵は皆恐れおののき、校尉の李傕、郭汜、張済らは解散し郷里に帰ろうとした。
778名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:13:43 ID:DBi
1の頃は「嘘吐き軍師」と蔑まれてたもんや
779名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:14:35 ID:Zig()
詡曰「聞、長安中議欲盡誅涼州人。而諸君棄衆單行、卽一亭長能束君矣。

賈詡は言った「聞くところによると長安の中では議論して涼州人を誅殺しようとしております。諸君らは兵を棄て単独で行こうとしており、一亭長でも貴君らを捕らえることが出来るでしょう。
780名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:14:40 ID:4be
>>776
日本の色んな書物も訳してよ
781名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:15:40 ID:Zig()
>>780
リクエストしてもらったところ悪いんやけどやる気ないわ
本当にスマンな
782名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:15:56 ID:Zig()
不如率衆而西、所在收兵。以攻長安、爲董公報仇。幸而事濟、奉國家以征天下。若不濟、走。未後也」衆以爲然。

兵を率いて西に行くに及ばず、所在の兵を収めましょう。長安を攻めることで董卓殿の仇を報じましょう。幸いにも事が済めば国家を奉り天下を征伐しましょう。もし事が済まなければ逃げましょう。まだ遅くないでしょう」皆はその通りだとした。
783名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:17:16 ID:Zig()
傕乃西攻長安。語在卓傳。後、詡爲左馮翊。

李傕は西に行き長安を攻めた。話は董卓伝にある。その後左馮翊となった。
784名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:18:10 ID:Zig()
傕等欲以功侯之、詡曰「此救命之計、何功之有」固辭不受。

李傕らは賈詡の功をもって侯にしようとしたが賈詡は言った「これは助かりたいがための計であり何の功がありましょう」固辞して受けなかった。
785名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:18:32 ID:uhX
かっこE
786名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:19:03 ID:Zig()
又以爲尚書僕射、詡曰「尚書僕射、官之師長、天下所望。詡名、不素重、非所以服人也。縱詡昧于榮利、奈國朝何?」乃更拜詡尚書。

また尚書僕射にしたところ、賈詡は言った「尚書僕射は官職の中でも高い地位で天下の人が望むところです。私の名声は平素から重くなく、人は服従しないでしょう。私が栄利を欲しいままにしていて、国家王朝はどうするのです?」賈詡は更に尚書を拝命した。
787名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:19:29 ID:DBi
>>782
あかん、また細かいことが気になる。僕の悪い…

衆を率いて西し、在る所の兵を収め、以て長安を攻め董公の為仇を報じるに如かず
やないかな?
788名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:22:44 ID:Zig()
>>787
ここはこうやな

不如率衆而西、所在收兵。

「衆を率いて西し、在る所の兵を収めるに如かず。」やな
789名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:23:04 ID:Zig()
典選舉、多所匡濟。傕等親而憚之。會母喪去官、拜光祿大夫。

賈詡は選挙を司り、補佐するところが多かった。李傕は親しみつつもはばかった。母の喪に服すと官を去り光祿大夫を拝命した。
790名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:24:36 ID:Zig()
傕汜等鬭長安中、傕復請詡、爲宣義將軍。傕等和、出天子。祐護大臣、詡有力焉。天子既出、詡上還印綬。

李傕、郭汜らは長安の中で戦い、李傕はまた賈詡に要請して宣義将軍とした。李傕らが和平し、天子が脱出した。大臣が助け護られたのは賈詡の力があったからである。天子が脱出した後、賈詡は印綬を返還した。
791名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:26:38 ID:Zig()
是時將軍段煨屯華陰、與詡同郡。遂、去傕託煨。

この時将軍段煨が華陰に駐屯しており、彼は賈詡と同じ郡の出身であった。賈詡は李傕の元を去り段煨を頼った。
792名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:28:05 ID:Zig()
詡素知名、爲煨軍所望。煨、內恐其見奪、而外奉詡禮甚備。詡、愈不自安。

賈詡は平素より名声があり、段煨の軍兵に望まれていた。段煨は内心地位を奪われることを恐れたが外面では賈詡を奉り礼を甚だ備えた。賈詡はいよいよ不安になった。
793名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:28:50 ID:uhX
デキる男も苦労すんねんな
794名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:29:32 ID:Zig()
張繡在南陽、詡陰結繡。繡、遣人迎詡。

張繍が南陽に居たとき、賈詡は密かに張繍と結んだ。張繍は人を遣わして賈詡を迎えた。
795名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:30:11 ID:9jT
蒼天航路の賈詡と張繍好き
796名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:30:30 ID:DBi
イッチに確認なんやけど、細かいことの指摘はやめといたほうがええかな?
性格上ついついやってしまうんや
797名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:31:51 ID:Zig()
>>796
別にええで
ワイの訳も間違ってること多いと思うしどんどん指摘してクレメンス
798名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:32:02 ID:Zig()
詡將行、或謂詡曰「煨待君厚矣、君安去之?」

賈詡が張繍の元へ行こうとした時、ある人が賈詡に言った「段煨は君を厚遇したが、君はどうして去るのか?」
799名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:32:11 ID:DBi
賈詡の凄いところは才能を発揮しつつ、自分の身はきっちり守り続けたことや
800名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:33:58 ID:DBi
>>797
了解
早速で悪いが、さっきのところ、ちくまの正史訳だとワイが提示した書き下しが近いと思う
801名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:34:17 ID:Zig()
>>799
同じく曹昴を殺した張繍と比べて曹丕からの扱いが断然違うから凄いで
802名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:34:22 ID:Zig()
詡曰「煨性多疑、有忌詡意。禮雖厚、不可恃、久將爲所圖。我去必喜、又望吾結大援於外、必厚吾妻子。

賈詡は言った「段煨の性格は疑いが多く、私のことを嫌っている。礼が厚いといえども頼りにすることは出来ず、長く留まれば必ず図られるところとなろう。私が去れば必ず喜び、また私が外の人と結ぶのを望み、必ず妻子を厚遇するはずである。
803名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:35:52 ID:DBi
>>801
張繍は「ワイのアッニ殺したやろ」て感じでいびられるからな
804名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:36:35 ID:Zig()
>>800
多分ちくまと原文が違うんやと思う
ワイの元とした資料やと「不如率衆而西、所在收兵。以攻長安、爲董公報仇。」で区切れとったからこう訳したんや
805名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:36:44 ID:Zig()
繡無謀主、亦願得詡。則家與身必俱全矣」詡遂往。

張繍は謀臣がおらず、私を得ることを願っているだろう。即ち家とわが身を共に全う出来るのだ」賈詡は遂に張繍の元へ行った。
806名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:38:13 ID:Zig()
繡、執子孫禮。煨、果善視其家。

張繍は賈詡に対し子孫の礼をとった。段煨も賈詡の家族の面倒をよく見た。
807名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:38:36 ID:DBi
>>804
ほんまや中華書局本だと句読点が違ってるな
808名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:38:42 ID:uhX
勤め先替えるのに妻子は残していくもんなん?
809名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:40:11 ID:Zig()
>>808
本来は家族も引き連れていくのがベストやけどこの場合賈詡は段煨に疑われとって家族引き連れて行ったら何されるかわからん状況やったからしゃーない
810名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:40:26 ID:Zig()
詡說繡與劉表連和。太祖比征之、一朝引軍退。繡自追之。

賈詡は張繍に劉表と連合するように説いた。太祖(曹操)はこれを征伐したが一朝で軍を率いて引いた。張繍は自らこれを追った。

※曹操は正史では諱を避け太祖と呼ばれている
811名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:42:03 ID:Zig()
詡謂繡曰「不可追也。追必敗」繡不從、進兵交戰、大敗而還。

賈詡は張繍に言った「追いかけるべきではございません。必ず敗れましょう」張繍は従わず兵を進めて交戦し、大敗して帰還した。
812名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:43:18 ID:Zig()
詡謂繡曰「促更追之、更戰必勝」繡謝曰「不用公言、以至於此。今已敗、奈何復追?」

賈詡は張繍に言った「改めて追撃してくだされ、更に戦えば勝てましょう」張繍は謝って言った「公(賈詡のこと)の言を用いず、こうなるに至った。今は既に敗れているが、何故また追撃するのだ?」
813名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:44:36 ID:Zig()
詡曰「兵勢有變、亟往必利」繡信之、遂收散卒赴追。大戰、果以勝還。

賈詡は言った「形勢は変化するものであり、速やかに行けば我らの利するところとなりましょう」張繍はこれを信じ、散り散りとなった兵を集め追撃した。大いに戦い、勝って帰還した。
814名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:45:52 ID:Zig()
問詡曰「繡以精兵追退軍、而公曰必敗。退、以敗卒擊勝兵、而公曰必剋。悉如公言。何其反而皆驗也?」

張繍は賈詡に問うて言った「私は精鋭をもって敵軍を追撃したが貴公は必ず敗れると言った。退いてから敗残兵で敵軍を討てば貴公は必ず勝つと言った。ことごとく貴公の言う通りとなった。どうして反対のことをしたのに皆結果通りとなったのか?」
815名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:46:59 ID:Zig()
詡曰「此易知耳。將軍雖善用兵、非曹公敵也。軍雖新退、曹公必自斷後。追兵雖精、將既不敵、彼士亦銳、故知必敗。

賈詡は言った「これを知るのは簡単なことです。将軍は兵を善く用いるといえども、曹操には敵いません。軍が引いたばかりといえども曹操は必ず自ら後続を断つでしょう。追撃の兵は精鋭といえども将は敵わず、曹操の兵もまた精鋭で、ゆえに必ず敗れると知ったのです。
816名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:48:07 ID:Zig()
曹公、攻將軍無失策、力未盡而退、必國內有故。已破將軍、必輕軍速進。

曹操は攻めにおいて失策が無く、力を使いきらずに引いたのは、必ず国内の問題でしょう。将軍が敗れたならば必ず軽装な兵を速やかに進めるはずです。
817名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:49:14 ID:Zig()
縱留諸將斷後、諸將雖勇、亦非將軍敵。故雖用敗兵、而戰必勝也」繡乃服。

諸将を留め後続を断たせ、その諸将が勇猛だといえども将軍には敵わないでしょう。ゆえに敗残兵を用いても必ず勝てると言ったのです」張繍は感服した。
818名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:50:13 ID:Zig()
大体半分終わったんで5分間休憩をとるで

何か質問あったら言ってクレメンス
819名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:55:17 ID:Zig()
再開するで
820名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:55:28 ID:Zig()
是後、太祖拒袁紹於官渡、紹遣人招繡。幷與詡書、結援。繡欲許之。

この後、曹操は袁紹を官渡において防ぎ、袁紹は人を遣わして張繍を招いた。賈詡に書簡を与え共に援助を結ぼうとした。張繍はこれ許可しようとした。
821名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:55:49 ID:DBi
この張繍を曹操に勝たせるのなんて、三国志中でも屈指の策だと思うわ
しかも、この後のやり方がまた憎らしい
822名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:57:22 ID:Zig()
>>821
賈詡の先見の明は異常や
823名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:57:36 ID:Zig()
詡、顯於繡坐上、謂紹使曰「歸謝袁本初。兄弟不能相容、而能容天下國士乎」

賈詡は(張繍と使者の会談の)座に現れて、使者に言った「帰って袁本初(袁紹)に謝るがいい。兄弟を受け入れることが出来ないのに天下の国士を受け入れることが出来ようか」
824名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)19:59:21 ID:Zig()
繡驚懼曰「何至於此」竊謂詡曰「若此、當何歸?」

張繍は驚いて言った「何故そこまでするのか」密かに賈詡に言った「このようになったら、どこに帰服すればいい?」
825名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:00:32 ID:Zig()
詡曰「不如從曹公」繡曰「袁彊曹弱。又與曹爲讎、從之如何?」

賈詡は言った「曹操殿に従うにしきません」張繍は言った「袁紹は強く曹操は弱い。また曹操とは仇敵となってしまっているが従うのはどうであろうか?」

※張繍はこれより前に曹操と戦い、典韋、曹昴、曹安民を殺めている
826名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:01:58 ID:DBi
ちゃんと情報を仕入れて、袁紹や曹操がどういう人間かも分析済なんやろうな
827名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:02:18 ID:Zig()
詡曰「此乃所以宜從也。夫曹公奉天子以令天下、其宜從一也。

賈詡は言った「これが曹操殿に従うべき所以です。曹操殿は天子を奉じて天下に号令しており、それが従うべき理由の一つ目です。
828名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:02:45 ID:Zig()
>>826
賈詡のことだから抜かりなくやってそう
829名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:03:08 ID:uhX
>>826
竹簡しかメディアがない時代にこれはすごいよね
830名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:03:21 ID:Zig()
紹彊盛、我以少衆從之、必不以我爲重。曹公衆弱、其得我必喜。其宜從二也。

袁紹は強くて盛んであり、我々が少数の兵をもって従っても必ず我らを重く用いないでしょう。曹操殿の兵は弱く、我らを得ることを必ず喜ぶでしょう。それが従うべき理由の二つ目です。
831名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:05:13 ID:DBi
>>829
しかも、出身地が武威やから、両陣営にはっきりした人脈も無いからな
この分析力は異常やで
832名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:05:16 ID:Zig()
夫有霸王之志者、固將釋私怨、以明德於四海。其宜從三也。願將軍無疑」繡從之、率衆歸太祖。

覇王の志を持つものは私怨を棄てて広く天下に徳を施します。それが従うべき三つ目の理由です。願わくば将軍はこれを疑わないでくだされ」張繍はこれに従い、兵を率いて曹操に帰服した。
833名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:06:20 ID:uhX
すごい決断だよなぁ
834名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:06:55 ID:Zig()
※荀彧や郭嘉ら智者は速やかに袁紹を見限り曹操についている
 賈詡もまた曹操に従うように進言しており先見の明がある人物は皆このように曹操を推戴している
曹操と袁紹の能力の差がわかる逸話であろう
835名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:08:26 ID:Zig()
>>833
このときほとんどの人が袁紹に帰順していてほぼ天下統一間違いない勢力として見られていたからな
やっぱり賈詡は凄いお人や
836名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:08:43 ID:Zig()
太祖見之、喜、執詡手曰「使我信重於天下者、子也」表詡爲執金吾、封都亭侯、遷冀州牧。

曹操はこれを見て喜び、賈詡の手を取って言った「天下の人で私を信じ重んじてくれるのは君である」曹操は上表して賈詡を執金吾として、都亭侯に封じ、冀州牧にさせた。
837名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:09:08 ID:DBi
>>834
さらに言うと荀彧・郭嘉はちゃんと自分の目で二人を確認してるけど、
賈詡はそれすらしていない
838名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:10:23 ID:Zig()
>>837
そう考えると賈詡の情報収集能力の高さが改めてわかるわ
839名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:10:31 ID:Zig()
冀州未平、留參司空軍事。袁紹圍太祖於官渡、太祖糧方盡、問詡計焉出、

冀州は未だ平定されず、賈詡を参司空軍事に留めた。袁紹は曹操を官渡において囲み、曹操の兵糧はことごとくなくなり、出でて賈詡に計を問うた
840名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:10:50 ID:uhX
>>838
どうやって収集してたんやろなあ…
841名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:12:04 ID:Zig()
>>840
伝聞とか密偵に探らせた情報からの推理やろ
842名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:12:19 ID:Zig()
詡曰「公、明勝紹、勇勝紹、用人勝紹、決機勝紹。

賈詡は言った「曹操殿は明において袁紹に勝ち、勇において袁紹に勝ち、人を用いることにおいて袁紹に勝ち、機を決するに袁紹に勝ちます。

※賈詡と同じように郭嘉は袁紹の十敗、曹操の十勝を挙げている
843名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:12:21 ID:uhX
>>841
やっぱ密偵はあるよなー
844名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:12:28 ID:DBi
>>836
曹操は賈詡を執金吾にしてるんやな
自分の幕僚にしたんじゃなくて、廷臣にしてるあたり、厚遇ぶりがよくわかる
845名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:12:53 ID:uhX
袁紹がかわいそうになってきた
846名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:13:17 ID:Zig()
有此四勝而半年不定者、但顧萬全故也。必決其機、須臾可定也」

この四勝がありながら半年も平定出来ないのはただ万全を期しているゆえでしょう。その機会を決めたなら必ずあっという間に平定出来るでしょう」
847名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:13:36 ID:DBi
>>839
と思いきや、ここで幕僚にしてるんやな
848名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:15:00 ID:Zig()
太祖曰「善」乃幷兵出、圍擊紹三十餘里營、破之。紹軍大潰、河北平。

曹操は「良し」と言い兵を合わせて出陣し、袁紹の三十余里の軍営を包囲して攻め、これを破った。袁紹軍は大敗し、河北は平定された。
849名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:16:21 ID:Zig()
太祖領冀州牧、徙詡爲太中大夫。

曹操は冀州牧となり、賈詡を太中大夫とした。
850名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:17:40 ID:DBi
ていうても、荀彧も郭嘉も賈詡も内心はドッキドキやったんやないやろか?
分析して勝てると判断してるけど、なんだかんだ袁紹のほうが兵力は上やし、兵糧面もやばかったから
「か、勝てるよ…ね?」
みたいなw
851名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:18:03 ID:Zig()
建安十三年太祖破荊州、欲順江東下。

建安十年(208年)、曹操は荊州を破り、江東を下したいと欲した。
852名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:18:09 ID:DBi
ついでに周り敵ばっかやし
853名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:18:14 ID:uhX
>>850
それは思うやろなあ…
854名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:19:02 ID:D9X
同じ時期の日本じゃ神話の話しか残ってないのにここまでの歴史書残ってるってすげぇな
855名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:19:17 ID:Zig()
詡諫曰「明公昔破袁氏、今收漢南。威名遠著、軍勢既大。賈詡は諌めて言った「曹操殿は昔袁氏を破り、漢南を治めました。威名は遠くにも著しく、軍の勢いも盛んです。

若乘舊楚之饒、以饗吏士撫安百姓、使安土樂業、則可不勞衆而江東稽服矣」太祖不從、軍遂無利。
856名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:20:08 ID:Zig()
ずれたんでやり直し

詡諫曰「明公昔破袁氏、今收漢南。威名遠著、軍勢既大。

賈詡は諌めて言った「曹操殿は昔袁氏を破り、漢南を治めました。威名は遠くにも著しく、軍の勢いも盛んです。
857名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:21:23 ID:Zig()
>>854
古代中国は記録大好き民族やからな
858名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:21:31 ID:yVr
>>854
古代日本史も中国の歴史書頼みやないと研究進まんしな
859名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:21:32 ID:Zig()
若乘舊楚之饒、以饗吏士撫安百姓、使安土樂業、則可不勞衆而江東稽服矣」太祖不從、軍遂無利。

もし旧楚の地の豊作に乗じて吏士をもてなし百姓を安んじ、安全な土地をもって生業を楽しませれば、即ち兵を苦労させずに江東は降伏するでしょう」曹操は従わず、軍に利はなかった。
860名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:21:55 ID:Zig()
※「軍に利がなかった」は赤壁で負けたことを指す
 ちなみに曹操は郭嘉が居れば赤壁の敗北もなかったともいっている
 賈詡と郭嘉の信頼の差はどこで出たのであろうか?
861名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:22:04 ID:LzM
>>765
汝別埋我、我家必厚贖之
の別は另外、埋は隐藏の意味なんで「ワイを別に埋める」じゃなくて
「ワイを隠してくれたら(殺さんでくれたら)」やね
862名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:22:09 ID:uhX
>>857
エジプトといい文字発明してまうと何でも書きたくて仕方なくなるんやろな
863名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:23:40 ID:Zig()
>>861
補足サンガツ
ワイには漢文の知識があんまりないんでスマンな
864名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:24:09 ID:Zig()
太祖後、與韓遂馬超戰於渭南。超等索割地以和、幷求任子。

曹操はこの後、韓遂、馬超と渭南において戦った。馬超らは土地を割譲して和平し、あわせて子弟の登用を求めた。
865名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:24:16 ID:DBi
>>861
そうか
ここは身代金たんまりやで、ってことやな
866名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:25:20 ID:Zig()
詡以爲、可偽許之。又問詡計策、詡曰「離之而已」太祖曰「解」一承用詡謀。語在武紀。卒破遂超、詡本謀也。

賈詡は偽ってこれを許諾すべきだとした。また曹操は賈詡に計略を問い、賈詡は言った「離間させましょう」曹操は言った「わかった」賈詡の謀略を承諾した。話は武帝紀(曹操伝)にある。兵は遂に馬超を破ったのは、賈詡の謀略があったためである。
867名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:26:15 ID:Zig()
※武帝紀における賈詡の策謀について
賈詡は離間の計を曹操に与えた
曹操は韓遂とあった時、軍事の話を避け世間話をした
また墨で塗りつぶした書をわざと与え、韓遂がやったものと馬超に思わせた
こうして馬超は韓遂を疑うようになった
868名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:27:22 ID:DBi
>>866
ここは、
最終的に韓遂・馬超を破ったのは
やないかな?
869名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:28:35 ID:DBi
>>867
これ、いっつも思うんやけど、馬超単純すぎやろ
ふつう、そんなあからさまに疑われるようなことするか?
870名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:31:25 ID:Zig()
それと曹操伝って言い方なんやけど紀と伝の違いの違いが判らない人のために敢えてこうしてるんや

>>868
その訳し方のが合ってるな
そもそも日本語がなんかおかしいわこの訳し方
871名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:31:49 ID:Zig()
是時、文帝爲五官將。而臨菑侯植、才名方盛。各有黨與、有奪宗之議。

この時、文帝(曹丕)は五官将であった。また臨菑侯曹植は才と名声が各地で盛んであった。各々が徒党を持ち、後継者の奪い合いを議論した。

※正史において曹丕は名前をはばかられて文帝と呼ばれている
872名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:33:20 ID:Zig()
文帝、使人問詡自固之術、詡曰「願將軍恢崇德度、躬素士之業。朝夕孜孜、不違子道。如此而已」文帝從之、深自砥礪。

曹丕は人を遣わして賈詡に後継者となる術を問い、賈詡は言った「将軍よ、願わくば徳を広く崇め、兵卒の生業を自らしてくだされ。朝夕努力し子の道に違えることなきよう。このようになされ」曹丕はこれに従い、自らを深く研ぎ磨いた。
873名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:34:54 ID:Zig()
太祖又嘗屏除左右、問詡、詡嘿然不對。

曹操はかつて従者を除きて、賈詡に(後継者のことを)問うたが、賈詡は黙然として答えなかった。
874名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:35:47 ID:DBi
地味やけどこの処世術、賈詡さんの本領発揮やな
875名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:36:24 ID:Zig()
太祖曰「與卿言而不答、何也?」詡曰「屬適有所思、故不卽對耳」

曹操は言った「卿(賈詡のこと)と話しているのに答えないのは何故だ?」賈詡は言った「思うところがあって答えるに適わず、ゆえに即座に答えなかったのです」
876名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:36:40 ID:uhX
当事者には正論しかいわない
相談されても誰とはいわない
877名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:37:05 ID:Zig()
>>874
こういう演技が出来るところも賈詡の立ち回りの上手さや
878名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:37:28 ID:Zig()
太祖曰「何思?」詡曰「思袁本初劉景升父子也」太祖大笑、於是太子遂定。

曹操は言った「何を思っていたのだ?」賈詡は言った「袁本初、劉景升父子のことを思っておりました」曹操は大笑いして、これにおいて太子は遂に定まった。
879名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:37:44 ID:Zig()
※袁本初は袁紹のことで袁譚と袁尚のどちらを後継者にしていいか選べないうちに死に、その後袁兄弟は相争って滅亡した
劉景升は劉表のことで長男劉琦ではなく次男劉琮を後継者にし、二人を中心に派閥争いがあった
二人とも嫡男を後継者とする道理に逆らい滅びた人物である
880名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:39:15 ID:Zig()
詡、自以非太祖舊臣、而策謀深長、懼見猜疑。闔門自守、退無私交。男女嫁娶、不結高門。

賈詡は自らが曹操の旧臣でないことと策謀に長けていたことから疑いの目で見られることを恐れた。門を閉じて自分を守り、退いては私的に交流を持たなかった。男女の嫁を娶るときは名門のものとは結ばなかった。
881名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:41:17 ID:DBi
自分の立場と、身を守る術を心得ている
これこそ真の知者よ
882名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:41:34 ID:Zig()
>>880
男女の嫁を娶るって訳し方へんやな
まるで男の嫁を娶るみたいや

正しくは男女関係においてやな
883名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:41:49 ID:Zig()
天下之論智計者、歸之。

天下の智者はこれを論じ、帰服した。
884名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:42:02 ID:uhX
はぇ~…ってなるな
885名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:42:12 ID:DBi
>>882
ざっくり
子供の結婚
でええんやないか?
886名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:43:14 ID:Zig()
>>885
意訳としてはそっちのほうがすっきりするな
887名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:43:35 ID:Zig()
文帝卽位、以詡爲太尉、進爵魏壽鄉侯、增邑三百、幷前八百戶。又分邑二百、封小子訪爲列侯。以長子穆爲駙馬都尉。

文帝が即位すると賈詡は太尉となり、寿郷侯の爵位を得て、邑は三百増やされ、併せて八百戸となった。また邑二百が分けられ幼子の賈訪が列侯に封じられた。長男の賈穆は駙馬都尉となった。

※邑は行政区分の一つで集落のようなもの
888名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:45:10 ID:Zig()
帝問詡曰「吾欲伐不從命、以一天下。吳、蜀何先?」

曹丕は賈詡に問うて言った「私は命に従わぬものを討伐して、天下を統一したい。呉と蜀のいずれを先にすればよいか?」
889名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:45:43 ID:DBi
程昱は人肉問題で三公になれんかったが、賈詡は三公になるからな
このあたりからも身の処し方のうまさがわかる
890名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:46:45 ID:tD6
賈詡さんは実際一番の知恵ものだからな
891名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:46:54 ID:Zig()
對曰「攻取者先兵權、建本者尚德化。陛下應期受禪、撫臨率土。若綏之以文德而俟其變、則平之不難矣。

賈詡は答えて言った「攻め取るものは兵権を先に出し、根本を建てるものは徳化を重んじます。陛下は期に応じて禅譲を受け、慰撫をもって土地を率います。もし文徳をもって変を待つならば、即ちこれを平定するのは難しくないでしょう。
892名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:48:06 ID:Zig()
吳蜀雖蕞爾小國、依阻山水。劉備有雄才、諸葛亮善治國。孫權識虛實、陸議見兵勢。據險守要、汎舟江湖、皆難卒謀也。

呉蜀は取るに足らない小国といえども、険阻な山と川に依っております。劉備には英雄の才があり、諸葛亮は善く国を治めます。孫権は虚実を知り、陸議(陸遜)は兵の勢いを見ております。険阻に拠って要衝を守り、広く江湖に船を浮かべ、皆謀るのに困難です。
893名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:49:41 ID:uhX
まーた人んちの君主や軍師を的確に評してしまうのか
894名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:49:55 ID:Zig()
用兵之道、先勝後戰、量敵論將、故舉無遺策。臣竊料羣臣、無備權對。雖以天威臨之、未見萬全之勢也。

用兵の道は先に勝てる状況にしてから後に戦い、敵を量り将を論じ、ゆえに挙兵しても失策がなくいられるのです。私が密かに群臣を量るに劉備、孫権に対抗出来ないでしょう。天の威をもってこれに臨もうとしても未だ万全の勢いとは見えません。
895名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:51:06 ID:Zig()
昔舜、舞干戚而有苗服。臣以爲、當今宜先文後武」文帝不納。

昔、舜は武器を持って舞い、苗が帰服しました。私はまさに文治を先にして武略を後にすべきだと思います」曹丕は納得しなかった

※舜は古代中国の五帝の一人、伝説上の人物
896名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:52:30 ID:Zig()
後、興江陵之役、士卒多死。詡年七十七、薨、諡曰肅侯。子穆嗣、歷位郡守。穆薨、子模嗣。

後に江陵の役があり、兵卒が多く死んだ。賈詡は七十七歳で死に粛侯と諡された。子の賈穆が後を継ぎ、郡守を歴任した。賈穆が死に、その子の賈模が後を継いだ。
897名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:53:20 ID:Zig()
※陳寿の評

荀攸賈詡、庶乎算無遺策、經達權變。其良平之亞歟。

荀攸、賈詡は算段にほとんど失策がなく、臨機応変さに長けていた。張良、陳平に次ぐ人物であろうか。
898名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:55:00 ID:Zig()
以上で賈詡は終わりや
見てくれた人サンガツ

何か質問があれば答えるから遠慮せず聞いてや
それと訳して欲しい武将のリクエストがあればやってみるんで希望があれば言ってクレメンス
899名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:55:26 ID:uhX
おつやで
毎回ホンマおもろいわ
900名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:55:36 ID:tD6
乙やでイッチ好きな武将とかいるんか?
901名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:56:56 ID:DBi
おつやで
イッチもいつもありがとうやで
902名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:57:46 ID:Zig()
明日2月28日(水)の19:00から魯粛伝やるんで良かったら見に来てクレメンス

>>899
こちらこそ見てくれてありがとうや
毎回見てくれるなんて喜ばしい限りや

>>900
諸葛亮が一番好きで次に劉備、関羽、張飛と続くな

>>901
いやいや見てくれるだけで有り難いわホンマ
903名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:58:20 ID:tD6
>>902
諸葛亮好きかワイは陸遜が好きやで
904名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:58:49 ID:DBi
明日はいよいよワイのリクエストした魯粛やな
魯粛にはあふれる思いがあるんや
楽しみにしてるで
905名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)20:59:15 ID:uhX
明日も楽しみや!
906名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)21:02:38 ID:Zig()
>>903
陸遜もええよな
陸遜は魯粛、呂蒙亡き後の呉を一身で支えたまさに忠臣の鑑や
それだけに孫権との不仲が惜しまれるな
陸遜伝は後々訳すんで良かったら見て行ってくれやで

>>904
魯粛頼んでくれた人やったんか
毎度どうもありがとうございますやで

>>905
明日もよろしく頼むわ
907名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)21:08:26 ID:Zig()
もう質問もなさそうやからワイは落ちるで
見に来てくれた人サンガツ
908名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)21:08:49 ID:DBi
>>907
乙やで!
909名無しさん@おーぷん :2017/02/27(月)21:13:09 ID:42a
魯粛は気になるな
910(*^○^*)◆ljz42FCi8o :2017/02/28(火)12:21:58 ID:UUP
出来る男過ぎますわ…魯粛もかなりキレ者だから期待
911名無しさん@おーぷん :2017/02/28(火)19:03:15 ID:g0J()
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