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好きな曲・グループを語ったりするで

1名無しさん@おーぷん:2017/01/06(金)23:43:23 ID:pPG()
自分語り大丈夫らしいからやってみるで
166名無しさん@おーぷん :2017/03/08(水)23:23:36 ID:pvo()
ビートルズ編終わりっ!閉廷!といきたいんやが、

・アルバムには入れていないシングルのみの曲を見落とす
・間違えたURLを貼る

といったミスを連発したため、続けます
167名無しさん@おーぷん :2017/03/08(水)23:31:39 ID:pvo()
「From_Me_To_You」
http://youtu.be/cJmXKnttMMQ

ジョンとポールの共作
シングル三枚目の作品(表面)
これはジョンとポールが「バスでツアーの移動中に暇だから作った」という(コノヒトタチアタマオカシイ…)
元々はハーモニカを入れずにブルース調の暗い曲だったらしいが、ハーモニカを入れたことで爽快で初期のビートルズにあった曲に仕上がったという
168名無しさん@おーぷん :2017/03/08(水)23:36:54 ID:pvo()
「Thank_You_Girl」
http://youtu.be/2phLXqv6tyc

ジョンとポールの共作
「嬢ちゃんありがとよ!」を繰り返すだけの曲なんやが、すっごく聴きやすく感じる不思議な曲
ポールはこの発表の後、女性ファンから大量のファンレターが届いたと語っている
169名無しさん@おーぷん :2017/03/08(水)23:44:45 ID:pvo()
「She_Loves_You」
http://youtu.be/T0YifXhm-Zc

ジョンとポールの共作
初期の代表曲の一つで音楽の幅を広めた作品
曲の冒頭すぐにサビが始まるのは今までになく、多くの評論家を驚かせたんや
また当時のイギリスでは「Yeah」を連呼するのは下品であるとされていたので、上流階級には冷ややかな目で見られたという

ちなみにドイツ語版が存在している
http://youtu.be/UT6xiYUtlT4

これは当時の考えに「どんな音楽的に素晴しくても言葉が分からなければ売れない」という考えがあったため(実際にそうだった)
170名無しさん@おーぷん :2017/03/08(水)23:52:20 ID:pvo()
「抱きしめたい」
http://youtu.be/QZ_DSGwqync

ジョンとポール作
イントロから全ての楽器がダイナミックに始まる曲
初期を代表する曲の一つなのだが、メンバーは作成に気乗りせず、レコーディング当日はスタジオに出向かずにホテルに篭っていたという
当然プロデューサーに叱られて、しぶしぶとレコーディングしたという
171名無しさん@おーぷん :2017/03/08(水)23:53:16 ID:pvo()
>>170
ちなみにこれもドイツ語版が存在している
http://youtu.be/WsSrGWp-ZFE
172名無しさん@おーぷん :2017/03/08(水)23:57:47 ID:pvo()
「This_Boy」
http://youtu.be/20jzMqD-N2c

ジョンとポールの共作
保守的で古きよき時代を感じる曲
当時アメリカの大スター、スモーキーロビンソンに影響されて作ったという
映画「Help」でリンゴが川辺を歩いているシーンでこの曲が流れたため、「リンゴのテーマ」とも呼ばれている

ちなみに邦題は「あいつ」
なんだこの邦題は…たまげたなぁ…
173名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)11:51:57 ID:uHq()
「Any_Time_At_All」
http://youtu.be/A1qm_Gjmt64

間違えて一つ前の音楽で上げてしまったもの
174名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)19:51:36 ID:uHq()
「We Can Work it Out」
http://youtu.be/Qyclqo_AV2M

ジョンとポールの共作
邦題は「恋を抱きしめよう」
歌詞も曲も前向きになれる曲
途中で3拍子になるのはジョージのアイデア
175名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)20:19:00 ID:uHq()
「Paperback_Writer」
http://youtu.be/53wAv4cld6c

ポール作
歌詞はポールがまだ個人で音楽活動をしていた時に抱いていた夢で、
「小説家を志望する人物が自作の本(ペーパーバック)を出版してくれるように熱烈に訴えている」
とういうもの
今までラブソングを主としたポールが題材の幅を広める作品となった



また、この曲は世界初のカラー撮影されたミュージック・ビデオといわれている
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8502633?ref=search_tag_video&ss_pos=13&ss_id=cc4a1ade-67f8-470c-9330-b08de0c18579


映像は庭の中でリンゴ以外が当て振りして演奏している
リンゴはただ座っているだけである
176名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)20:36:04 ID:uHq()
「Eleanor Rigby」
http://youtu.be/HuS5NuXRb5Y

紹介し忘れ
ポール作
エリナー・リグビーという独り身の老女と、誰からも相手にされないマッケンジー神父という架空の人物を悲劇的に書いた物語的な曲
この曲ではリンゴは参加していない
177名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)20:51:26 ID:uHq()
「Lady Madonna」
http://youtu.be/Q8SnIII46oQ

ポール作
男らしくパワフルに歌うポールの声が特徴的で後期の代表曲
ポール自信もお気に入りらしく、ビートルズを解散した後も自信のライブで度々演奏している定番曲である

http://youtu.be/dId8hvlyOeE
178名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)21:03:47 ID:uHq()
「The_Inner_Light」
http://youtu.be/MJK7fo_tdeI

ジョージ作
最後のワンフレーズにジョンとポールがバックで歌っているのを除けば、全て外部のミュージシャンを使用している
この曲は辛口なジョンとポールが大絶賛し、ジョンにいたってはこの曲をシングルに入れるために自身の曲を候補から外すほどであった
ポールも

「インド音楽と言う領域にとらわれずに、素直にメロディに聴き入るべき。本当に美しい曲だ」

と語っている

なお、ジョンが落とした自作曲は後年「僕の最高傑作」と明言している

「Across the universe」
http://youtu.be/zC4poOpZG9w
179名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)21:42:04 ID:uHq()
「Hey_Jude」
http://youtu.be/kl2pFgEywng
なんでこの曲紹介し忘れたんやろ…(池沼)

ポール作(名義はポールとジョンの共作)
誰もが知っているであろう曲、ポールが当時ジョンがヨーコの前妻、シンシアと険悪になり破曲が決定的になっている頃にジョンの息子ジュリアンを励ますために作曲したといわれている
最初は「Hey_Jules」(Julesはジュリアンの愛称)というタイトルだったが、実名を含む楽曲はレコードの裏面になる可能性が高かったため、「Jude」に変更し今知られているタイトルになった(B面は「A面のおまけ」と見られていたため、それを避けるため)
ただ、「Jude」はドイツ語で「ユダヤ人」を意味しており、それを知らなかったポールはアップルレコードの窓に、自ら大書きで

「Hey_Jude!(おい、ユダヤ人!)」

と、書いてしまったため「ポール・マッカートニーは反ユダヤ主義だった…?」と誤解されたため、窓は投石され抗議電話が架かってきて大変だったという


なお、この曲を作る原因となったジョンはこの曲を


「あの曲は俺に送った歌」
「ポールの婚約者に婚約を一方的に破棄された自分人身に送った無意識のメッセージじゃないの?」

とコメントしている
うーんこの

余談として無事成長したジュリアン君は1996年に「ヘイジュード」のレコーディング用楽譜類譜がオークションで出されたとき、

「ポールが僕の為に作ってくれたから」

という理由で2万5千ポンド(今の価格で392万5500円ほど)で落札している
アーナキソ
180名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)21:44:19 ID:uHq()
このバージョン至高
http://youtu.be/A_MjCqQoLLA
181名無しさん@おーぷん :2017/03/09(木)22:02:36 ID:uHq()
これでビートルズ編は本当に終わりにするで
次はその前後の音楽を紹介したり語ったりしたいで
ほな、また…
182名無しさん@おーぷん :2017/03/10(金)00:15:49 ID:PtO
おつやで
183名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)21:06:53 ID:3Gx()
>>182
サンガツやで
181で述べたようにこれからはその前後の音楽を語ったりするで
184名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)21:14:50 ID:3Gx()
深夜にやろうと思ったけど今からやるで
今回はビートルズ前、有名アーティストたちの限定に当たる人たちを簡潔に話すで
185名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)21:39:14 ID:3Gx()
1950年代以前
当時はまだ差別が断然酷い時代 白人と黒人には何をするにも明確な線があったんや
それは音楽にも引かれてあり、黒人が白人の音楽をやるのを許さなかったんや
大衆向けを意識したポップ曲、主に白人に人気のあったジャンルは黒人にはやらせてもらえない
そこで黒人は奴隷時代の名残を感じさせるブルースやらゴスペルなどを独自に開発してったんや

ただ、やることは許されなかったんやが、お互い買って聴くことは許されたんや
近所の家に蓄音機とレコードさえあれば人は集まって白人、黒人の音楽に関係なく音楽を聴けた
そこから影響を受け、引用して新しい音楽が出来上がっていく

そうやって少しずつ進化してったんだと思う
186名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)22:10:38 ID:3Gx()
日本の話をすると戦前から歌謡曲という概念はあって(それ以前は「俗謡」、俗謡の中でも流行ったものは「はやりうた」と呼ばれていた)、都会の優雅さを賛歌する歌や今で言うご当地ソングのようなものが主流だったんや
日本が海外の音楽に大きく影響されたのは戦後進駐軍がもたらしたジャズ、ラテン、ハワイアンでここから歌謡曲を全盛期を迎えたといわれているんや
187名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)22:25:33 ID:3Gx()
数が多いため、ランキング風に分けた動画をお借りしました

「Top 20 Greatest Songs 1930-1939 」
http://youtu.be/PDRWlUh3LUM

「Top 20 Greatest Songs 1940-1949」
http://youtu.be/_Gx5DhKN_zY
188名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)22:46:50 ID:3Gx()
書き忘れていたんやが、海外も日本も人気の曲には映画の影響もあったんや
というかラジオ以外で音楽に触れられるのは映画ぐらいしかなく、映像の中で歌って踊れる俳優が絶大な人気があったんや

映画オズの魔法使いより「虹の彼方に」(1939)
http://youtu.be/1HRa4X07jdE

フレッド・アステア
「Puttin On the Ritz」(1946)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm665645?ref=search_key_video&ss_pos=1&ss_id=5c520a14-7557-4bc2-8908-b90dab55ba90
youtubeにいいのがありませんでした(言い訳)

フレッド・アステア
「Drum Crazy」(1948)
http://youtu.be/wTiEJqZMW7E

「New York, New York」(1949)
http://youtu.be/x7CIgWZTdgw
189名無しさん@おーぷん :2017/03/11(土)23:56:48 ID:3Gx()
黒人音楽

キャブ・キャロウェイのジャズ「Minnie_the_Moocher」(1932)
http://youtu.be/8mq4UT4VnbE

↑この人はこっちの有名やな
http://youtu.be/u7ogK_unbqM

ロバート・ジョンソンのブルース「Crossroad」(1937)
http://youtu.be/Yd60nI4sa9A

黒人ゴスペル歌手の「Jubalaires_Gospel_Noah」(1940)
http://youtu.be/6CLFwW85O20

バンドによりジャズ演奏(1941)
http://youtu.be/TYLbrZAko7E
190名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)00:54:23 ID:85d()
このように互いに直接的な関わりはないんやが独自の発展を続けていったんや

また、黒人の中でも人種問題に寛容な白人に評価される歌手も出始めたんや
だが、不幸なことにその歌手は大成することはまずなかったんや
白人向けの音楽会社は

「この歌手が歌っている曲、めっちゃ人気だから紹介したいけど黒人やん…。黒人の歌紹介されたら叩かれるの不可避やん…」

という場合は

「せや!白人の人気歌手に歌わせたろ!ついでに黒人くさい音楽も白人にウケる曲調にしたろ!」

という風にいくら評価されようが表舞台に立てるようなことはなかったんや
191名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)01:24:59 ID:85d()
そんな直接的な関わりを一切持たない業界に、ある男の出現により大きく変化することになるんや

その人物の名はアラン・フリード
世界で始めてラジオ・テレビ番組で白人に黒人の音楽を広めた人物である



彼の番組
http://youtu.be/cbPEzjX8Htg


すっごい重要な人物なのでどういう人物なのか紹介するで
192名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)02:06:20 ID:85d()
1921年、アメリカ合衆国ペンシルベニア州でユダヤ人の父とウォールズ系の母の間に生まれる
彼は大学在学時代にラジオ局のDJの仕事を興味を持ち、兵役後の1942年以降ラジオ局に入社し、情報番組のキャスターや人気番組の制作に関わるなど経験を積んでいく
そして1951年、念願かなってクリーブランドのクラシック専門のラジオ番組「レコード・ランデヴー」のDJを任された
だが、彼は最初から黒人音楽を流したのわけではなく、最初はクラシックを流していた
流せば自分は解雇される恐れがあったため、黒人音楽を流す勇気がなかったんや
193名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)02:14:40 ID:85d()
そんなある日、フリードはスポンサーで地元レコード店のオーナーに招かれたんや。
打ち合わせやらなんやらしていると、店内で自分が大好きなあの黒人音楽が流れてきた
気になって音のなるほうへ行ってみると10代の若者、しかも白人の若者が黒人音楽に合わせて楽しく踊っていたんや
これにフリードは大きな衝撃をうけ、無理だと思っていた願いが可能かもしれないという希望が芽生えた
レコード店の店主の後押しもあり、フリードは黒人音楽を専門に放送するラジオ番組を作ることを決心したんや
194名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)14:15:16 ID:85d()
だが、放送するために曲の検閲があって、そこを乗り越えなければならないんや
そこでフリードは、黒人音楽の総称「リズムアンドブルース」を「ロックンロール」として呼ぶようにして乗り越えることに成功したんや
ロックンロールは元々黒人のスラングで(特に中流階級の)白人たちには馴染みのない表現だったんや
その馴染みのない響きが新鮮に感じ、白人の若者の心を掴んだ

1951年7月11日、番組名を「ムーンドック・ロックンロール・パーティ」に変更
番組は白人向けの流行歌に一切目もくれずに埋もれていた黒人ミュージシャンたちの曲をヘビーローテーションで放送した
失敗すれば即回顧という博打に挑んだところ、深夜放送にも関わらず大きな反響を呼び、彼は成功を収めたんや
195名無しさん@おーぷん :2017/03/12(日)14:41:42 ID:85d()
番組の放送は凄まじく、放送を聴くため夜更かしをする若者が大量に現れ、日に日にリピーターが増えていったんや

そして約半年後の1952年3月21日、フリードは地元クリーブランドで「ムーンドッグ・コロネーション・ボール」と名づけたダンスパーティ形式のコンサート開催を計画した
事前に番組で宣伝したところ、収容人数1万のアリーナに2万人を超える若者たちが押し寄せる予想以上のものだった
しかも、集まった若者は白人と黒人たちの若者で人種に関係なく入り混じって踊るという当時では信じられない騒ぎだったという

この異常事態に直面した州当局は、騒ぎが広まる前にコンサートを急遽中止させたんや
当然不満を覚えた若者達は、ゲートを押し破るなど暴徒化したと伝えられている。
これが史上初のロックコンサートといわれている

その後もフリードは保守思想の圧力に屈せずに、その後もコンサートを次々に開催 それらはいずれも大きな成功を収め、あるコンサートでは10万人近い観客が訪れたという伝説が残ってもいる






196名無しさん@おーぷん :2017/03/13(月)02:58:45 ID:DPc
ここまで遡るんか…(驚嘆)

リッツの夜はTacoがカヴァーしてたなぁ
197名無しさん@おーぷん :2017/03/19(日)10:48:19 ID:TkO()
>>196
聴いてみたけどめっちゃええやん!
いいもん聴かせてもらいましたわ
198名無しさん@おーぷん :2017/03/19(日)14:32:53 ID:TkO()
家庭にテレビが普及するとフリードはすぐにテレビ番組を立ち上げ、現在の音楽番組の基礎を作った
テレビ効果は凄まじく「フリードの番組が放送されると町に若者が消え、さらには犯罪が止まる」とさえ言われるほど大反響を呼んだ
この頃のフリードは若者、平等主義を唱える人物たちから尊敬され、神のように扱われたんやが、そう長くは続かなかったんや

黒人の音楽を広めるフリードは保守層にとって「国を沈める反逆者」「裏切り者」として憎まれ、どんなことでいちゃもんをつけてフリードを追い込もうとしたんや
黒人と白人がダンスをするシーンをテレビに映れば、そのことを激しく抗議し番組を放送中止に追い込む、コンサートで過剰警備をする警官隊と観客の間で暴動が発生すると
「フリードが暴動を扇動して警官隊を殺そうとした」としてフリードを告訴したりした。
保守層の行動が会社自体に及ぶことを恐れたレコード会社はフリードを解雇
フリードは別の会社に勤めては解雇を繰り返す悪循環に陥ってしまったんや
199名無しさん@おーぷん :2017/03/19(日)14:44:10 ID:TkO()
やがてフリードは「ペイオラ・スキャンダル」と呼ばれる音楽業界内の不祥事に巻き込まれるに至ったんや
ペイオラとは、支払いを意味するpayとレコードプレイヤーの代名詞であったVictrolaの合成語で、レコード会社がDJに働きかけて特定のレコードを流してもらう見返りにDJにリベートを支払うことをさす言葉なんや
DJは雇用的に不安定な職業で賃金も低かったため、生活の大半をこのペイオラに頼り、また1950年代当時はペイオラを違法とする法律も存在しなかったため業界内で慣例化、謝礼行為として認知されていたんや

1958年、アメリカの非営利団体がそんな業界の体制を放送倫理の腐敗だとして激しく非難し、議会に訴えたんや
議会はその訴えを飲みペイオラを賄賂とみなして、違法とする法律を作ったんや
そして、ペイオラを行ったとされるDJの全てが法律違反として取り締まり、その中にはフリードも含まれていたんや

フリードは告訴されて300ドル(当時の価値で約10万円)の罰金、6ヶ月の謹慎処分の実刑判決を受け業界の表舞台に去ることになったんや
200名無しさん@おーぷん :2017/03/19(日)14:49:31 ID:TkO()
刑期が終わった後、ニューヨークを終われる形で離れ、カリフォルニア、フロリダのラジオ局を転々とするんやが、かつてのような自由にやることは許されず、どれも長続きしなかった
次第にフリードは自暴自虐になってアルコール依存に陥ってしまう
また、罰金のために多額の負債を抱えたことで自宅は差し押さえられ、生活すらままならなくなった
1965年1月、肝硬変と尿毒症を患い、43歳で亡くなった
201名無しさん@おーぷん :2017/03/19(日)14:59:17 ID:TkO()
しかし、現在は
「ロックンロールの生みの親」
「ミスター・ロックンロール」
「キング・オブ・ロックンロール」

などと称えられ、再評価されている

特に評価されたのは「黒人歌手の認知を広めたこと」といわれているんや

次はフリードによって発掘された歌手を代表曲と共に紹介するで
202名無しさん@おーぷん :2017/03/19(日)16:08:58 ID:TkO()
リトル・リチャード






音楽に業界に「シャウト」という歌唱法を初めて持ち込んだ人物
最初はかなり苦労したんやが粘り強くデモテープをレコード会社に送っていたフリードの目に留まる
エネルギッシュで卓越した歌唱力を紹介され一躍スターに
ポール、ジョンが敬愛していた人物の一人でもあるんやで

http://youtu.be/LVIttmFAzek
203名無しさん@おーぷん :2017/03/19(日)16:38:52 ID:TkO()
そして、つい今日亡くなったチャックベリー




母親が教師という恵まれた家庭の中流階級の子であった彼は6歳の頃から聖歌隊に入って以後、音楽に関わっていく
高校卒業後、あるバンドのギタリストとして迎えられ、まもなくしてバンドのリーダーとなる
彼の特徴的なギターリフ、優れたテクニックで一躍話題を呼び、一躍スターに
ジョンレノンが最も尊敬した人物でもあり
「ロックンロールに別名を与えるとすれば『チャックベリー』だ」
「もしギターリフに著作権があるならチャックベリーは大変な大金持ちになっていただろう」
と評している
また90歳となった2016年にアルバムを製作していることを発表
もし発売されるなら大変な偉業となるのだが、今日亡くなる

「Johnny_B_Goode」
http://youtu.be/Jql4GF2LKaU


こっちの方が認知あるな
http://youtu.be/S1i5coU-0_Q
204名無しさん@おーぷん :2017/03/30(木)21:20:44 ID:nes()
そういった黒人ミュージシャンたちの活躍は白人達は大きな衝撃だった
そして、その衝撃を受けロックを取り入れた白人達がアメリカの音楽業界を変えることとなる

1954年ビルヘイリーが「Rock_Around_The_Clock」を発売し、全世界で2000万枚以上売れる大ヒットを記録し、アメリカのブームだけであったロックンロールを全世界に認知させる
http://youtu.be/zju6KbP_1xY

1956年にデビューし、眼鏡にスーツという出で立ちで保守的な大人たちに受け入れ、現在のロックグループの基礎を作ったバディ・ホリー
「Peggy_Sue」
http://youtu.be/bfu_gfPBPWc
「It's_So_Easy」
http://youtu.be/nQpWFcEJ9Eg

そして、今までカントリーをやっていたバディ・ホリーがロックンロールに傾倒するきっかけを作った人物、エルヴィス・プレスリー

今回はプレスリーについて語るで

20代のプレスリー



205名無しさん@おーぷん :2017/03/31(金)02:29:46 ID:WKE
アニソンとかについて適当にだべるスレかと思ったら学系スレだったンゴ
でも面白いから続けて、どうぞ
206名無しさん@おーぷん :2017/04/08(土)11:42:43 ID:TzJ()
>>205
ありがとやで
言い訳すると最近忙しくてあんまり出来ん
でも今夜はするで
207名無しさん@おーぷん :2017/04/08(土)19:10:40 ID:TzJ()
エルビス・プレスリー 1935年アメリカ南部に位置するミシシッピ州テューペロに産まれる

家は非常に貧しく一日の食事さえ苦労するほどであったが、両親はエルヴィスを大切に育て続けた
音楽に触れたのは11歳の誕生日にギターをプレゼントされたときであった。本当はライフルが欲しかったらしいが変わりに与えられたギターを気に入り、黙々と練習したらしいんや
また、14歳のときに隣の接したテネシー州メンフィスに引っ越したことある。メンフィスは歴史的に奴隷の町と言われ奴隷制解放後もその名残が色濃く残っていたんや
町には貧しい無職者、労働者の黒人が圧倒的に多く、黒人音楽がそこら中に流れていた。
これが彼の今後の人生に大きな影響を与えたと思うんや
208名無しさん@おーぷん :2017/04/08(土)20:34:34 ID:TzJ()
そうやって幼少期の頃から自然と身についた音楽的教養のおかげで次第に音楽で食っていこうという将来の目標を作り、メンフィスのレーベル、サン・レコード社と契約する
1954年6月、以前からエルヴィスの才能を感じていたサンレコードの社長は行方不明である歌手の代理としてエルヴィスを呼び、この頃から本格的な活動を始める
同年7月5日、「That's_All_Right,Mama」という曲をいじくっている時、社長の独断でちょうどそこに居合わせていたサポートメンバーたちで即効演奏をすることになった(ドラムはいない)
その楽曲とB面に「Blue_Moon_of_Kentucky」という曲も収録して人生初のシングルを発売
このシングルはメンフィスでローカルヒットを記録し、初の公演旅行を行う。
余談なんやが、これを聞いた音楽ファンはエルヴィスの歌声を最初は黒人歌手であると勘違いし、公演中に白人であるエルヴィスが出てきたときはどよめきが聞こえたという
209名無しさん@おーぷん :2017/04/08(土)20:48:20 ID:TzJ()
That's_All_Right,Mama
http://youtu.be/NmopYuF4BzY

Blue_Moon_of_Kentucky
http://youtu.be/QLb99I86pE4
210名無しさん@おーぷん :2017/05/02(火)19:48:03 ID:wCr()
テスト
211名無しさん@おーぷん :2017/05/02(火)19:48:54 ID:wCr()
1ヶ月ぶりだからちょっと心配だったけどあがってよかったわ
212名無しさん@おーぷん :2017/05/02(火)20:12:18 ID:BXV
おんJとVIP以外は強制sageないから安心してクレメンス
213名無しさん@おーぷん :2017/05/02(火)20:30:48 ID:wCr()
>>212
そやったか
最近本当に忙しくて放置してたけど深夜に再開するで
214名無しさん@おーぷん :2017/05/02(火)22:57:38 ID:wCr()
サン・レコードでは歌った歌の多くはカバー曲ばかりだったがウェスタン調で軽快に歌うプレスリーは徐々に注目を浴びていく
1955年8月18日、エルヴィスの両親はプロデューサーのトム・パーカー(以下あだ名である大佐で通すで)と契約して、新しくRCAレコードと契約することになる
契約から約5ヵ月後、自身六枚目のシングルとなる「Heartbreak_Hotel/I_Was_The_One」をリリースしHeartbreak_Hotelはビルボード一位を獲得、エルヴィスの名前は世界に響くことになる
その響きっぷりは漫画サザエさんでサザエが歯を食いしばりながらハートブレイクホテルを歌うほどである
http://youtu.be/e9BLw4W5KU8
215名無しさん@おーぷん :2017/05/02(火)23:21:20 ID:wCr()
最初は白人にも関わらず黒人のような歌い方をするエルヴィスを保守層の白人が激しく非難したがそれ以上に若者達の支持が勝り保守層から攻撃を受けることはなかった
若者達の後押しもあり一気に大スターへとなるアメリカンドリームを実現させ映画主演を果たすまでになった。
しかし、これが彼にとって後の障害となるんや




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好きな曲・グループを語ったりするで
CRITEO