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伊良部秀輝のような選手

1名無しさん@おーぷん:2018/02/14(水)16:20:05 ID:7h8()
今後伊良部秀輝のような選手は現れないと思う
















4名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:25:36 ID:DSn
ノムさん曰く「最近は選手が小粒になってきた。もう江夏のような(豪快な面を持つ)選手は出てこないだろう」てことやし
真面目ていうか『優等生』みたいな選手が増えたんやろね
5名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:25:52 ID:7h8()
そこで伊良部はチームの頭脳派投手だった牛島和彦に協力を求め、時には牛島の家に泊まって朝まで理論をぶつけ合う、シャドーピッチングを見てもらうった
その結果それまでの速球一辺倒の投球からカーブやフォークと言った変化球を織り交ぜる投球で打者を抑える投球にシフトするようになる

すると94年からは先発ローテに固定され、94年に15勝で最多勝と最多奪三振、95年は最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得するなどの活躍でたちまちチームの主力投手に変貌する。♦♦♣
6名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:26:54 ID:7h8()
>>4
ワイは実際に伊良部の現役の頃は見たことなくて映像でしか見たことないけどなんか魅力的に感じた
今の選手に魅力がないわけじゃないんだけど
7名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:31:20 ID:7h8()
96年前半戦で肘を痛めた伊良部はオールスター以降試合のたびに100球を超えても降板させてくれない(7月27日の西武戦で7回111球、8月2日のダイエー戦で7回124球、8月8日の日本ハム戦で9回137球)首脳陣に不信感を抱き始めた
8月16日の西武戦では8回途中3失点、128球という投球で降板となるが、ここでついに怒りを爆発させグローブと帽子をスタンドに投げ入れるという行動を起こしている
翌日の新聞では当時のGMだった広岡達郎から批判されたことで伊良部は球団への不信感をますます大きくする
そして96年オフ、伊良部は団野村と契約し、メジャーリーグ挑戦を希望
球団は当時ロッテと業務提携を結んでいたサンディエゴ・パドレスに伊良部の権利を譲渡するつもりであったが、伊良部はニューヨーク・ヤンキースを希望していたため交渉は難航
翌97年には球団から呼び出され、誓約書にサインするように求められるが、そこには本人曰く
『伊良部氏に関する法律で許される限りの全ての権利を譲渡する。
業務提携が破棄されても、権利は永久にパドレスへ譲渡する。』

というものだった
当然ながらヤンキースのみを希望する伊良部はこれをつっぱね、「俺は土地や建物じゃない」
「一つの球団にしかいけないのはおかしい」
と不満を露わにしている♣♦
8名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:33:22 ID:7h8()
長い交渉の末97年4月末、まずロッテが伊良部の保有権をパドレスに譲渡し、次にパドレスがヤンキースに伊良部を放出、そしてヤンキースからパドレスに約300万ドルと3人の選手を放出することで伊良部は念願だったニューヨーク・ヤンキースに入団する

ここまでヤンキースに固執した理由については、幼少期に別れたまま行方が分からなかった父親を探すためで、名門のヤンキースで活躍すれば自分に会いに来てくれるかもしれないからというものだった
だが、伊良部は自身の口からは決してこの理由を話そうとはしなかった
この三角トレードには批判が集まり「伊良部はわがまま」とマスコミなどから書きたてられたが、代理人団野村は
「伊良部が戦ったことで現在のポスティングシステムが作られ、多くの選手がFA権取得前でもメジャーに移籍することが出来るようになった」として、伊良部のことを高く評価している
実際にこれ以降はイチロー、松坂大輔、ダルビッシュ有といった選手たちがポスティングシステムを利用してメジャーに渡っている
9名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:37:57 ID:7h8()
メジャー初登板は7月10日のデトロイト・タイガース戦、ここで6回2/3を5安打2失点9奪三振を記録して初登板初勝利する
この結果のおかげで最初は歓迎されるが次いで7月20日の試合では6回2/3を6失点でノックアウト、降板するときにブーイング中のファンに向けて唾を吐くという行動でバッシングされ、早くも悪役になってしまう
(伊良部は唾を吐いたシーンについてマスコミに問いただされた際、「そんなところは見てるんですね」と答えてマスコミの評判も早々に悪くなる)
98年は13勝、99年には11勝を挙げたが同年オフにモントリオール・エクスポズへトレード。2002年にはテキサス・レンジャーズでクローザーとしてそれなりに活躍したが、エコノミー症候群で肺血栓になり同年退団


2003年、日本に復帰し阪神タイガースに入団して先発ローテとして13勝を挙げ優勝に大きく貢献したが、日本シリーズではダイエーの野手陣に走られまくり2敗を喫した
翌2004年は全く活躍できず、同年オフに戦力外通告を受け引退



引退後は再び渡米してうどんチェーン店を開いたが、2008年に廃業。2009年には野球選手として現役復帰し、四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団したが、1年で再び引退した
2011年7月27日、ロサンゼルス郊外の自宅で遺体で発見される。自殺とみられる。享年42

10名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:39:04 ID:7h8()
選手としての伊良部



11名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)16:44:27 ID:7h8()
「日本プロ野球史上最速の投手は誰か」といった議論の際に、必ずといって良いほど名を挙げられる投手で、上記で清原和博と対戦した際の158km/hはNPB新記録で、長らく破られることはなかった

速球を軸に押し切る豪快な投球スタイルで知られたが、年を重ねると共にコントロールを重視したスタイルへと変化していった
前述の最速記録の後に投げた157km/hの速球を清原に二塁打された事が、投球術を磨くきっかけとなった。巨体と独特の風貌に反して理論派であるという声も多く、古田敦也は
「阪神時代の伊良部は、投球術を駆使する軟投派だった」
と証言している。ロッテ時代の先輩であった牛島和彦も
「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」
と語っている♣♦
12名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)17:02:41 ID:DSn
>>6
こういう暴れん坊みたいな選手はワイもすき家で会った♦
13名無しさん@おーぷん :2018/02/14(水)17:03:01 ID:DSn
× ワイもすき家で会った
○ワイも好きやで♣♦♦

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伊良部秀輝のような選手
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